汁椀が出来上がるまでを撮影して編集しました。市場で丸太を仕入れ津山に持って帰って製材するところから始まります。

流れは、1.製材→2.木取り→3.荒繰り→4.乾燥→5.轆轤挽き→6.漆塗です。3分ほどに編集しましたが、汁椀一つが出来上がるまでに実際は3年ほどかかります。(撮影・編集/小椋芳之)

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【木地師十三代 小椋芳之より】
ブログやfacebookを活用して、私の仕事を知ってもらいたいと思っています。よろしくお願いします。

当家は寛文年間(1661年~1673年)、木地師発祥といわれる旧滋賀県永源寺町から旧岡山県奥津町千軒に入山土着した祖から木地業を受け継ぎ、初代の小椋利兵衛から数え第十三代目になる木地師が私(小椋芳之)となります。数多くいた中国山地美作地方の木地師の中で小椋姓の木地師は私だけとなりました。

木地師の歴史は古く、平安時代までさかのぼります。

始まりは平安時代貞観(860年)、木地師の祖神とされている文徳天皇第一皇子の惟喬親王が、滋賀県小椋荘で家臣に木彫りの食器を作らせたことだといわれています。そして親王側近の太政大臣、藤原実秀公が天皇より小椋姓と全国山々入山許可証を賜ったのを契機とし、小椋郷で生まれた木地師たちが夫々小椋姓と木地師免許証を持って全国各地に散り木地業を伝えました。
(写真は旧滋賀県永源寺町で行われた手引き轆轤再現の様子)

材料は、岡山県外の木材市場まで買いに行きます。中国山地やその近隣の山には私が求める広葉樹林の大木などが市場でほとんど出されなくなったためです。

市場には丸太から板木までありますが私は特に丸太を買います。丸太は木の中が見えないので慎重に選びます。外見は良くても、中は空洞になっていたり、思っていたほどの杢目がなかったり、虫がいることがあるからです。

杢目が沢山でそうな木は、木の肌が波になっていたりコブがついているものです。扱いにくい木もありますがそこにやりがいを感じることもあります。 木には様々な癖があるので木を見極める目が必要です。

写真は市場の様子です。

【木取り】

木取りとは製材した木を、製品に対して大きめに切り取ることです。丸太から板材にする場合、美しい木目(もくめ)を取り出す技術が必要です。

木地師小椋芳之の木取りについて
日本木地師学会からの報告

【荒繰り】

荒繰りとは木取りを行った後、茶櫃やお盆などの内側の要らない部分をろくろでくることです。これは、とても重労働です。

【乾燥】

私はすべて自然乾燥しています。乾燥にかかる期間は、木によって様々ですが二年~十年です。 木を乾燥させるという作業は簡単そうに見えますが、かなり気を使います。木は日があたりすぎても、風が強すぎても、湿気がありすぎても割れます。また、湿気が強すぎると腐ってしまうので程度が難しいです。 私なりに工夫していることは、木工ボンドを木の内側と外側に厚く塗ることで割れを防いでいます。

木地師の使う道具として、主に轆轤(ろくろ)と轆轤鉋(ろくろがんな)があります。これは扱う人が使いやすいように自分で作ります。私が父から教わったことは、自分が使う道具は自分で作るということです。

一つの製品を作るために、十数本の轆轤鉋を使い分けます。

轆轤鉋についてもう少し詳しく知る

荒ぐりした木を、轆轤で製品の形にしていきます。

この作業は簡単に見えてかなりの重労働です。挽いているときに刃物を安定させないと、轆轤の回転に力負けしてしまうからです。 もし力負けした場合、カンナが飛ばされたり、お盆がはずれて飛んでいってしまうので危険です。そうならない為に、刃物の角度や挽く位置・轆轤の回転を調整していきます。

それはとても難しいことで、長年の経験で養われていきます。私も幼い頃から轆轤を挽いていますが、何度も飛ばされた経験から得たものです。今では飛ばされることはありませんがいつも気をつけています。

当店の漆塗りは、「奥津千軒刻研出本漆塗(おくつせんげんぼりとぎだしほんうるしぬり)」といいます。これは中国山地美作地方の木地師の世界の中で特異な形で生まれ、そして継承されてきた技術です。 祖先が白木地のままでは汚れ、変形、割れなどが起こりやすいので、器の杢目が毎日使っていて汚れることのないよう、器面に漆を塗って幾年もその美しさを残そうと思案した漆塗の手法です。

当家の漆塗りの最大の特徴は下地作りにあります。下地の段階で一度塗った漆を拭き取った後、漆ととの粉を混ぜ合わせたものを塗り、乾燥したら水で研ぐ(洗い落とす)という過程を数回繰り返します。ですから木に漆を塗るのではなく、漆を木に染み込ませるというのが正しいかもしれません。

奥津千軒刻研出本漆塗の工程について詳しく知る
奥津千軒刻研出本漆塗ついて日本木地師学会からの報告

最後の仕事は販売です。

店だけではなく、年に数回作品展を行っています。また、掲載点数は少ないですが、オンラインショップで通信販売もしています。注文が入ると発送準備をします。

作品展は岡山県内の倉敷・岡山・津山を中心に行っています。轆轤挽きの実演や工芸展入選作品の展示、広盆の展示(1mほどの丸盆)・轆轤鉋の製作風景(自作ビデオ)の他、漆器製品・白木地仕上げ製品などを多数販売しています。

木工製品がお好きな方、木地師の仕事に興味のある方は是非、作品展にお越しください。お待ちしています。

※当店へ来店される方で、仕事の見学のみを希望される方は作品展へお越し下さいますようお願いいたします。

日本木地師学会について

木地師は長い期間にわたって生きてきたが、明治を迎え、近代工業の発展と共にその波に呑み込まれたかに見えた。しかし、今でも生き残っているのである。 日本木地師学会(昭和60年結成)は久しい間、歴史の片隅で忘れられてきた木地師の歴史・社会・民俗・工芸技術・木工史などの基礎的資料の発掘、調査、研究に全力を尽くす人達の集まりです。 木地師を長年、調査・研究してきた学会から、木地師十三代 小椋芳之氏について皆様に報告する。また、和鉄による轆轤鉋の復元を行ったことを小椋芳之が報告する。⇒日本木地師学会ホームページ

日本木地師学会から見る木地師 小椋芳之氏について

■ 小椋芳之氏の木取りの技法と古い型(デザイン)の保持
1)木取りの技法

木取りは逸物。たとえば、お盆などの器を栃などの自然の丸太から板材にし、その板をさらに細かく切断して器の形にする方法である。 丸太から板材にする場合、美しい杢目(もくめ)を取り出す技術が必要です。美しい杢目にすることは、その木の持っている自然を生かしてやることであり、これが木地師が先祖から語り伝えられた技術であり、感性なのです。 小椋芳之氏はこのことを強く意識し、美しい杢目を板材にする名人です。

2)中国山地で挽かれた古い時代の逸物の型(デザイン)の保持

逸物製品はその時代に合った、そして、売れる製品のデザインのものが作られます。それは、木地師が生きてゆくための手段です。当然のことです。そのデザインもデザイナーなどによって斬新なものが作られています。 反面、古い時代のデザインの製品はだんだんと忘れられ、捨てられていきます。しかし、岡山県の中国山地の風土の中で作られてきた古い時代の逸物製品の型(デザイン)は、小椋六助、芳之という二代にわたって伝承されています。 これらのデザインを小椋芳之氏は保持している貴重な存在です。

■ 奥津千軒刻研出本漆塗(おくつせんげんぼりとぎだしほんうるしぬり)の技法ついて

木地師は轆轤で器を挽き出すだけでなく、挽き出した器の木目が毎日使っていて汚れることのないよう、器面に漆を塗って、幾年もその美しさを残そうとしてきました。それが木地師の人々の共通の理念です。

例えば、杢目が漆の下から透けて見える「飛騨の黄春慶」、「木曽の赤春慶」、「茨城の栗野の黄春慶」です。そして、「拭き漆」、「木地呂漆」などもその一つです。このほか、木曽地方の木地師は、挽いた杢目がガラスのような透明に見える「漆塗」の手法で杢目の美しさを見せる塗りがありました。その名も、その手法もまったくわかりません。手法や名称が途絶えてしまっているのです。 ところが、私は平成元年ごろ、小椋芳之氏が製作している「奥津千軒刻研出本漆塗」を始めて見ました。それは私が長年探し求めていた木曽地方の木地師が行っていた「幻の漆塗」ではないかと思うようになりました。

この「奥津千軒刻研出本漆塗」は、日本の漆芸技法では「春慶塗」や「木地呂塗」とよく似ていますが手法は異なっており、中国山地の木地師が考案し、それが秘伝・家伝のような形で小椋芳之家に残されてきたものと思います。 特色は、時が経過すればするほど漆が透けて、挽いた杢目が鮮やかに浮き出てくる漆塗です。これは日本の漆器産地にはまったく見られない、中国山地で木地師によって生み出され、実用化されてきた漆塗だと確かな言葉で申し上げることが出来ます。

鶴山漆器は千軒刻研出本漆塗(せんげんぼりとぎだしほんうるしぬり)で塗られています。また奥津千軒とは、小椋芳之の父の出身地である岡山県旧奥津町千軒のことです。

■ 奥津千軒刻研出本漆塗の手法について

千軒刻研出本漆塗の最大の特徴は下地と仕上げの手法である。

1)下地の方法

薄い漆を塗り、赤との粉を水でどろどろに薄めたものに、漆を少量入れ、よく練り合わせ、それを布(木綿)で木の目にそって塗りこんでいく。それをよく乾燥させ、次に水を使って耐水ペーパーで磨いていく。この作業を二回繰り返す。
この作業で、木の目が埋まり、表面をつるつるにさせることが出来る。

2)中研ぎの方法

下地が出来上がった木地に、漆を塗っては磨くの繰り返しを数回行う。

3)仕上げの方法

つの粉と菜種油を混ぜたもので木地を磨き上げ、油とつの粉を拭き取る。その後、漆を塗り、さっと拭き取る。この工程を二回繰り返す。
この作業を行うことにより、本当の光沢が出てくる。

■ 小椋芳之氏の使用する轆轤鉋の特徴と伝統技術

挽く器(木の材料)を細長い鉄の棒状の先にJ状の刃物を作り、その刃物で円形の器を挽き出す道具を「轆轤鉋(ろくろがんな)」、あるいは「バイト」と呼んでいる。 この轆轤鉋は日本の木地師特有の道具である。現在、この「轆轤鉋」は、「ハイス」と呼ばれる非常に硬質なものが使われている。国の伝統的工芸品に指定されている富山県の庄川逸物、長野県の南木曽ろくろ細工の業界でも戦後はほとんどこのハイスを原材料とした轆轤鉋を用いている。 ハイスは材質が硬いので、挽き出す素材を短時間に仕上げることが出来る。また、木地師の技術が未熟でも、刃物が切れるため(ハイスという硬い刃物ゆえ)お椀などの器が簡単に挽き出すことが出来る。

小椋芳之氏が、この「ハイス四種」を轆轤鉋として用いるようになったのは、平成十二年からである。「ハイス四種」という材料も、「安来ハガネ」の「刃先」に自分で鍛冶屋をして接着し、使用している。それは、ハイスに比べて軟質な「安来ハガネ青」は、轆轤鉋としては挽く高度な技術が要求されることである。また、茶托、菓子器などの器の表面がつるつるした光沢を持っており、刃物と木の持つ特質を小椋芳之という木地師の技術が見事にとらえ、挽き出すのである。

ハイスの場合、木の材質を刃物でガリガリと挽き出すため、茶托、菓子器の表面をサンドペーパーをあて、木の表面のザラザラを消し、かつ光沢を出している。 小椋芳之氏の場合、轆轤鉋のみでハイス以上の美しい光沢を挽き出している。

私は木地師の研究をもう三十年も続けているが、木地師の作品、製品の仕上げ、技術の良し悪しを目で見るのでなく、手の指先で判定している。小椋芳之氏の作品は、数百人いる日本の木地師の中でも超一流の木地師であることを、私は確かな言葉で語ることが出来る。 これは、小椋芳之氏の人柄が岡山県人特有の時流に流されない、どっしりとしていることと、かたくなに昔の技法を残そうとする岡山の風土の中で生きてきたことが、小椋芳之氏の今日の技術にあるからである。

大変うれしいことに、小椋芳之氏の手元に、父・六助(明治36年~昭和58年)が使ってきた「安来ハガネ」の轆轤鉋が何本も残されている。もうこのように古い原材料は残されていないだけに貴重である。 そして、小椋芳之氏のよれば、中国山地に木地師の轆轤鉋の刃物作りの技法と刃物の形は、小椋六助によって伝えられてきたのである。その小椋六助の刃物と小椋芳之の刃物は寸分たがわぬものだと、小椋芳之氏は言う。

このことから、小椋芳之氏の木地師の技法は中国山地で江戸時代から明治にかけて製作を続けてきた伝統的技法が木地師の一子相伝という形で、今日まで残されてきたのである。 さらに付け加えておきたいことは、小椋六助よりさらに古い時代の岡山県をはじめとする中国山地の木地師は、この地方で産出していた砂鉄から作った「玉鋼(たまはがね)」を素材とした原材料で、轆轤鉋を作り、かつ使っていたことである。

小椋芳之家の祖先に、「玉鋼」を作った工人「たたら」の家から嫁に来ていたことは、轆轤鉋をめぐる、たたら衆と木地師の深い関係を物語っている。この「玉鋼」は現在、島根県下で文化庁の助成を受けて、日本刀の原材料の玉鋼を砂鉄から製作している。 私ども日本木地師学会は、この玉鋼を譲り受け、「安来ハガネ青」の刃先に、この玉鋼を鍛冶の技術でつけ接着させて、江戸、明治の轆轤鉋の復元を試みようと計画している。 その技術は、玉鋼というまことに扱いにくい素材には並みの技術の木地師の鍛冶の技術では出来るものではない。 その試みをお願いできるのは、小椋芳之氏など数人のみである。玉鋼の入手が極めて困難であるが、何とか実現させたいと考えている。[2002年現在]

日本木地師学会会長 楯 英雄

念願の轆轤鉋復元計画 (木地師 小椋芳之からの報告)

■ 「和鉄」による轆轤鉋復元
第一回目 [平成22年4月2日]

木地師の店おぐら工房で江戸時代のお寺の修繕の時出たかわらの和鉄の釘を木地師学会に寄贈していただいたので、その釘でロクロカンナを作り、お盆を挽きました。余り切れません。鋼が入っていないので焼きを硬く上げようと思って、温度を上げて焼き上げをしても硬くなりませんでした。


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第二回目 炭素を入れる [平成22年6月22日]

第二回今回は、岡山市・西大寺・倉敷市・美作市・津山市など新聞でロクロカンナ復元の記事を見られた人が、江戸時代の釘・化粧釘、脇差・玉鋼など、たたら製鉄で製造した鋼を津山市福井に居られる刀匠の安藤先生にハガネにして頂きました。木地師学会の会員・大学の先生、生徒など集まりハガネに炭素を入れる工程を見ました。貴重な経験を致しました。 安藤先生には大変お世話になりました。有難う御座いました。


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第三回目 轆轤鉋復元計画仕上げ [平成22年7月17日]

第三回ロクロカンナ復元いよいよ最後の仕上げになってきました。今年は大変な暑さで35度にもなりました。その中で鍛冶屋をしてカンナを造りお盆を挽きました。 今回は、木地師学会の総会も兼ねていますので、7月17日土曜日に集合して1時間ほど総会をし、そして木地師の店の工房で鍛冶屋をしました。夜には懇親会をし明日の刃物造りなど話を致しました。 18日午前中刃物も出来上がり大学の先生・生徒・木地師学会の人などロクロカンナの切れ味を試しました。午後より記念撮影をし、解散を致しました。長野県・岐阜県・兵庫県・香川県・鳥取県・広島県など遠いところ有難うございました。


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