向山洋一教育実践原理原則研究論文/ 6学年/国語/主題
          

詩の構成に着目した発問を試みる
6年「あこがれ」

  岡山県津山市立北小学校    岡田健治

 皆さんは、向山洋一実践「ふるさとの木の葉の駅」を追試したことは、おありだろうか。
もしも、まだの方は、新学期の授業参観などに追試されてみてはいかがだろう。
授業後、教室が感動の余韻に包まれること請け合いである。 

 詳しくは、「国語の授業が楽しくなる」向山洋一著(明治図書)をご高覧いただきたい。 

 ふるさとの木の葉の駅  坂村真民

この駅で

いつもは葉が待っていてくれた

駅には赤いカンナの花が咲き

車窓にそれが近々と迫ってきた

母のいないさびしい駅を

わたしは 息をのんで過ぎていった 

  向山先生の「この詩の三つの連の視点はどのように移動しましたか。図を書きなさい。」という中心発問は、なぜ知的な討論が成立するのだろうか。

 分析批評の「話者の視点」を問う発問であるから、集中を生むことは明白である。
それでは、他に原理原則は、無いだろうか。

 向山先生は、第三連の「わたしは」の次にある、一マスの空欄に第一連全部が入るのだと思うと述べている。これは、子どもには容易に見抜けない。勿論、私もこの詩を初めて読んだときに、このような「詩の構成の工夫」があることを全く見抜けなかった。

 子どもは、「詩の構成の工夫」を容易に見抜けない。
見抜けないからこそ、知的な思考の集中が起きるのである。
つまり、教材文に「詩の構成の工夫」があるものを選ぶことが、重要なのだ。この原理原則を活用すれば、他の詩でも知的な討論が成立するのではないだろうか。

 そこで、この「詩の構成の工夫」に着目して、「あこがれ」という詩を授業した。
対象学年は、
6年生である。教材文は、次の通りである。

あこがれ
                            新川和江
どんな一途なあこがれが
あのように
ヒバリを飛翔させるのでしょうか
深い井戸に落ちこむように
空のふかみにはまってゆく

どんなせつない願いごとが
あのように
ヒバリののどをふるわせるのでしょうか
胸も裂けよとばかり
空いっぱいに歌を広がらせて

天までゆかなくとも
餌は むぎばたけの中にあると
歌わなくとも
巣づくりはできると
知っていながら 知っていながら

私は、発問・指示を次の通りおこなった。

指示1 起立して、一斉に音読しましょう。

指示2 わからないことを発表しなさい。

発問1 何連の詩ですか。

指示3 第一連を簡単な図に表しなさい。

発問2 作者は、ヒバリが何と何を持っていると考えましたか。

 私は、次にいよいよ「詩の構成」に着目した発問をした。

発問3 ヒバリが飛翔する目的は、何ですか。

この発問をすると、子ども達は、「あこがれがあるから」といった曖昧な答えが多く出る。しかし、「餌を取るために行く」という意見も出て、対立した。

 そこで、私は、答えを告げずに次の発問をした。

発問4 ヒバリは、歌いながら何をしますか。

これは、第三連の「歌わなくとも巣づくりはできる」という所から、歌いながら巣を作ることが判明する。それと同時に、子ども達は、第二連の内容が第三連の三行目と四行目に呼応した形式になっていることに気づくのである。

 そこで、もう一度発問3に戻る。「これで、ヒバリの飛翔する目的がわかりましたね。」となるわけである。

 つまり、第一連の内容は、第三連の一行目と二行目に呼応した形式になっているのである。正解は、「餌を取るために天に飛翔する」である。私は、子ども達に「天まで行かなくても餌は近くの麦畑にあると知っていても、天の餌にあこがれて、飛翔するのですね。」と解説した。

最後に、この詩の主題を扱うことにした。

 私は、

発問5 作者が、もっとも言いたいことは何のことですか。

と聞いた。
すると、「ヒバリのこと」と答える子が多かった。しかし、中に、「あこがれ」と答える子もいた。私は、「ヒバリ以外だとすると言いたいことは、何のことですか。」と再度たずねた。そして、私は、「正解は、人のことなのです。」と告げ、向山式の主題指導をした。

「『花咲かじじい』の主題は、『人は、正直にすれば得をする。』です。主題は、題材を取り払います。そして、『人は、』または『世の中は』で始めるのです。」と告げ、主題文を書かせた。
私は、「人は、日常に満足せず、高い理想を持って生きるものである。」が主題であると考えた。