詩の構成に着目した発問を試みる
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皆さんは、向山洋一実践「ふるさとの木の葉の駅」を追試したことは、おありだろうか。 詳しくは、「国語の授業が楽しくなる」向山洋一著(明治図書)をご高覧いただきたい。
向山先生の「この詩の三つの連の視点はどのように移動しましたか。図を書きなさい。」という中心発問は、なぜ知的な討論が成立するのだろうか。 分析批評の「話者の視点」を問う発問であるから、集中を生むことは明白である。 向山先生は、第三連の「わたしは」の次にある、一マスの空欄に第一連全部が入るのだと思うと述べている。これは、子どもには容易に見抜けない。勿論、私もこの詩を初めて読んだときに、このような「詩の構成の工夫」があることを全く見抜けなかった。 子どもは、「詩の構成の工夫」を容易に見抜けない。 そこで、この「詩の構成の工夫」に着目して、「あこがれ」という詩を授業した。
私は、発問・指示を次の通りおこなった。
私は、次にいよいよ「詩の構成」に着目した発問をした。
この発問をすると、子ども達は、「あこがれがあるから」といった曖昧な答えが多く出る。しかし、「餌を取るために行く」という意見も出て、対立した。 そこで、私は、答えを告げずに次の発問をした。
これは、第三連の「歌わなくとも巣づくりはできる」という所から、歌いながら巣を作ることが判明する。それと同時に、子ども達は、第二連の内容が第三連の三行目と四行目に呼応した形式になっていることに気づくのである。 そこで、もう一度発問3に戻る。「これで、ヒバリの飛翔する目的がわかりましたね。」となるわけである。 つまり、第一連の内容は、第三連の一行目と二行目に呼応した形式になっているのである。正解は、「餌を取るために天に飛翔する」である。私は、子ども達に「天まで行かなくても餌は近くの麦畑にあると知っていても、天の餌にあこがれて、飛翔するのですね。」と解説した。 最後に、この詩の主題を扱うことにした。 私は、
と聞いた。 「『花咲かじじい』の主題は、『人は、正直にすれば得をする。』です。主題は、題材を取り払います。そして、『人は、』または『世の中は』で始めるのです。」と告げ、主題文を書かせた。 |