それを読んでいて私はおや?と、思ったのです。
だって、古語辞典に「けうとし」(気疎し)=人気がなくてさびしい様子。という単語が載っていますから。
つまり、平安時代なら京都に行っても「きょうとい」が通用する可能性が十分にあったということですね。
墓地などで、人気がなくて何かが出そうな感じを「けうとし」といったもののようです。源氏物語に、光源氏が逢い引きをしていたら明かりが消えて警護の武士も眠り込んでしまったところに高貴な人の生き霊が現れて、相手の女の人は恐怖のあまり死んでしまった。というくだりがあったのを思い出します。「けうとい」だけで死んでしまうような繊細さを平安時代の人は持っていたのでしょう。
同じように、「くちゃめ」は蛇や、とりわけまむしを表す言葉ですが、古語辞典には「くちなわ」(口縄が語源か?)とか言う形で載っています。どちらかというと「くちゃめ」は「くちはみ」(口食み)から来た感じがします。単に「はみ」で、蛇を表すこともありますね。
私は何だか、「くちゃめ」という言葉を考えるにつけ、「くちゃめ」→「くちなわ」→「口縄」と、連想が流れて、縄かと思ったら口がついていたことに驚いた平安時代の人のユーモアに共感してしまうのです。
今はこの2つしか思い浮かびませんが、美作地方の方言には、平安時代の古語が形を変えて潜んでいるものがまだまだあるような気がします。個々の単語は古語から引き継いでいるものが多いのに、アクセントは関西のものとは全く違うことについて、素人学者としては全く不思議なことだと思っています。