ツキノワとは何か

-神々の痕跡-

ある農家のおじさんと(私にとっては先生と呼ばなければならない間柄の人でしたが)車に乗って市内を走っているとき、おじさんが不意に「杉山君、あれはツキノワじゃけぇ,あんなことになっとるんで。」と指さしました。
見ると4〜5000平方メートルばかりの田んぼが、草ボウボウになっています。
今日はこのツキノワについて私が知り得たことをレポートしてみます。

ツキノワといえば、柵原町に有名な月の輪古墳があるし、月の輪田池という名前のため池も市内にあります。ツキノワグマは、首のまわりの模様からその名が来たのでしょうから、ちょっと意味は違うようです。
聞くところによると、ツキノワというのは特定の田んぼのことで、その田んぼのを所有している人には、病気や、事故や、家族の死などの災いが次々とおそいかかってくるのだそうです。そのため、ツキノワの田を所有している人はわりとしばしば替わるわけですが、そうして新しく持ち主となった人にも同じように災いがおそいかかり、それと知れるわけです。農家の人はツキノワを呪われた田として畏れ、こうしてツキノワが草ボウボウになったり、資材置き場になったりしていくわけです。

それだけを聞くと、ツキノワは魔物が棲む呪われた田だから、さっさと木でも植えて(そうしたときに呪われるかどうかはわかりませんが)田んぼでなくしてしまえば済むと思われるでしょう。しかし、多くのツキノワがそうならずに最近まで使われていたのには訳があります。
実はツキノワには、強力な神がいて、田のほとりに祠を建てて祭祀を怠らず、田そのものも大切に使って草を生やしたり、あぜが崩れたままにしたりしなければ、かえって持ち主に福を呼び込み、財宝をもたらすというのです。
ところが、長い年月のうちにそのことを忘れた持ち主が、その田んぼの正しい使い方を知らなかったら、田の神に失礼なことが起こって災いが起こりはじめるというわけです。

そこまで聞くと、何だか最近ツキノワで災いを受ける話が増えるのはうなずけるような気がします。だって、そこに神様がいるっていわれても、その神様をどうもてなしてよいものか知っている人が近頃いるでしょうか。お祓いぐらいは誰でも思いつくことですが、継続して祭祀を続けられる人は皆無なのではないでしょうか。
そして今、ツキノワはその姿を消そうとしています。本当に神様が住んでいるならなんだかもったいない、かわいそうな気がします。

さて、ここまでなら誰かがすでに記録している伝承かも知れません。私は、目の前にある、今なくなろうとしているツキノワのことをもっと知りたいと思ったので、さらに突っ込んで聞いてみました。
ツキノワを小作に出したらどうなるのか?--答えは小作人に災いが降りかかるようです。
別のツキノワで私はもっと奇妙なことに気付きました。その田は20年ほど前に圃場整備が行われ、位置や形状が変わっていたのです。どうやら、ツキノワの神様は、物理的な物としての田んぼにくっついているのではなく、それを所有して、使用しているということにくっついて来るようです。なお、念のために言えば、圃場整備の前のツキノワと、今、目の前にあるツキノワがどういう位置関係にあったか、あるいは同じ場所であったのかは私にはわからずじまいでした。
さらに、ツキノワが宅地になったあと、神様はどうなるのか、持ち主に何が起こるのかは今のところわかっていません。

冒頭に名前が出てきた「月の輪古墳」は「古墳」→「祭祀」→「神様」→「ツキノワ」という連想からここで言うツキノワであっただろうと容易に想像できます。「月の輪田池」については、災いをなすから池にしたのか、他の田まで守ってくれることを願って池にしたのかわかりませんが、当時の人の心中が偲ばれます。
私は、自分のことを一応科学の徒のはしくれだと考えていますが、この話、非科学的なことと片づけてしまうには惜しい気がします。田んぼを大切にし、草ボウボウにならないよう取り扱うのは、富を築き、福を呼び込むためにはもっとも基本的な方法だったのではないでしょうか。その中でうちの神様は他よりも強いんだぞなんて誇れるのは、なんだか素敵な時代だったのではないかと思うのです。(イラストは時々見かける印象的な石碑です。本文のツキノワとは関係ない可能性は大です。)


上記ツキノワの話は、私が5年ばかり前に知ったことですが、「ぼっけえきょうてえ」で有名になった岩井志麻子もネタにしているという指摘を受けました。
下記はこの方面については私より物知りの妹からの指摘です。

曰くツキノワとは、
「魔物の通る道筋、恐ろしいものの棲む場所」であり
「牛と女が入ってはならない処」とされており
「12束の藁束で囲んで結界をつくり、男だけが農作業にあたる」のだとか。
「忌まれ恐れられ嫌われる場所だ。それでもそこに田圃が重なっている以上、田植えも稲刈りもしなければならない。狭い村には遊ばせる土地などないのだ。」
・・・ということは、ツキノワ=田とは限らないのかもね。
どういう伝承なのかもう少し追求してみたい気にさせますね。

そういうことなら、私が抱えていたツキノワの謎に、いくつか答えが与えられたことになります。
まず、ツキノワを小作に出したら小作人に災いが降りかかるというのは正解のようです。
ツキノワが圃場整備によって物理的な位置を変えたら、換地後の位置にツキノワが移動してくるというのは、どうやら誤りのようです。
そして、ツキノワが田圃以外のものになっても、そこに棲むおそろしいものは依然としてそこに棲み続けているのです。
私の知るツキノワの一つは、すでに宅地となって人が住んでいます。私の知らないものも同じような事情によって田圃でなくなってしまったものが多いでしょう。しかし、それは伝説と呼んでよいほど昔のことではありません。おそろしいもの、魔物は今どこに潜み、何を思っているのでしょうか。

話の端緒とはうらはらに、すっかり非科学の話になってしまいました。
筆者のネタの底の浅さを恥じながら、この件についてはさらに調査を続けたいと思います。


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