誰も見たことがない信号

-路上観察のすすめ-

路上観察学というカテゴリがあるそうです、テレビ等で見るところではどうやらホビーの一分野ととらえられているようですが、「街で見つけた変な物」を楽しむことのようです。
路上観察学会にはどうやったら加盟できるのか知らないのですが、きっとこういうものを探しているんだろうなと思い、実例を挙げてみます。

この信号機、津山市近辺に住んでいる方なら必ず見覚えがあると思います。
私はそのことに気が付いてから20年ばかり気になってしょうがないのですが、この信号、実は誰も見たことがないのです。

近在の人にしかわからない奇妙な謎かけで済みませんが、この信号を反対側から見たらこうなります。
何と、川の方を向いていて、そちらの方向には道路は接続していません。もちろん、横断歩道や自転車横断帯はありません。この信号が赤になるのを見て停まったり、この信号が青になるのを見て発進したりした人はいないはずです。

この信号は昭和47年ぐらいに出来たと記憶していますから、実に30年近く見る人もおらず、働き続けてきたことになります。
今までも、私はこの信号について人に注意を喚起してきたのですが、「交差する国道の信号待ちをしている人が青になるタイミングを測るためにあるんだろう」とか、「ふうん、よく気が付いたね。」とかで片づけられてしまっていたものです。

私はここで、道路行政の欠点について指摘をするものではありません。きっと、この信号にも存在意義があるのでしょう。日常的なものの中に何かおかしいと感じるものがあったら、そのわけについて突き詰めて考える。それが頭の体操になり、知識や知恵の泉になると思うのです。
何より大事なことは、「ふうん。」で終わらせずに自分なりの意見を持つことだと思います。

私なりの謎解きとしては、川の方の路側帯から何かの理由で横断したくなった徒歩、又は自転車の人の安全確保のためではないかな。と言う程度の存在意義を感じました。そこは単に横断禁止ではないという程度の横断場所ですが。
実際、この写真を撮りに行って、自分としては初めてこの信号機のユーザーになりました。利用者もなく、黙々と働く信号が自分だけのために青になった時は、なんだかいとおしさを感じました。
私としては、この信号機、電気代のムダだからと撤去するのではなく、申し訳の横断歩道や自転車横断帯を設置する方がいいのかなという気がしました。いやいや、渡った先の道に歩道がなく、かえって歩行者を危険に呼び込むようなものだから、言い訳の横断歩道を作るのではなく、現状でもいいという気もします。

なあんだ、現状維持で問題がないんだったら、それが本来の設置意図じゃないか、と思われるでしょうが、考える前と考えた後で、何かしら自分に違ったものが残る。そこのところが貴いのではないかと思うのです。


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