見てはいけない標識

-路上観察のすすめ2-

今日の路上観察は、見てはいけない標識編です。


この標識のところで右にそれると「国分寺」に行けるとなっていますが、実際にこの道を行ってみると、一度まっすぐな道からそれなければ国分寺に行けないことがわかります。
国分寺に行こうとするならば、この地点から約1KMばかり行った橋を渡ってからの方がずっといい道があります。また、この場所に標識が設置したいのであれば、行き先は「日上」又は「小桁」とした方がずっといいでしょう。
そういうことは、この標識を必要としないくらい津山の地理を理解した人でないとわからないので、ひょっとしてこの標識を信じたために道に迷った人もいくらかはいるのではないかと思われます。



同時期に建ったこの標識も妙です。


この標識に従って下高倉西をめざすと、道なりに行ったのでは下高倉東か、上高倉にしか行けません。
これもさっきの国分寺への標識と同じくちょっと気が付かないところで一度曲がらなければ目的地には行けません。
この場所に標識が設置したいのであれば、その先のわかりにくい分岐点にもう一つ小さな案内標識が必要です。(道がひどく狭いので小さくて良いです。)

このシリーズの標識がもう一つあることに先週気が付きましたが、これもちょっと「?」な標識でした。(一応目的地には行けます)

このページは道路行政の欠点を見つけて喜ぶものではありません。でも、これはいささかの改善を要すると多くの人が思うでしょうね。

思うに、行政の人たちは、「これをせよ。」と、命じられたらなぜそれをしなければならないのかを考える余裕はないのかも知れませんね。「これをせよ。」と言った人の手を離れたら、その理由について詮索するチャンスはすでに失われているのでしょう。
確かに体裁の良い標識をドンドン作る能力の高さはあるでしょう。しかし、意志決定の過程では優秀な個人がバラバラに仕事に取り組むために、あたら優秀さが浪費されている感があります。
それでは、標識一本作るために市民全員にアンケートを取らないといけないのでしょうか。町内会長に意見を聞くのでしょうか。新しい標識設置会議なんてものを開かないといけないのでしょうか。
そういったことが仮に出来て、仕事の優先順位が大勢の人の知恵で決められるなら、行政の人たちの漠然とした迷いはいささか軽くなることでしょう。しかし、それはそれでムダの多いことです。
ただ、来るべきネット社会では、それに似たことがいくらか手軽に出来るようになるのではないかという気がするのです。市民の心の中に浮かんでは消えていくものを双方に負担をかけずに吸い上げていくことが出来るのが本当の情報網の価値なのではないでしょうか。

森首相がIT革命を旗印にして(彼は夏頃までIP革命と発音していませんでしたか?)がんばっておられますが、どうも情報機器の需要を喚起して景気の浮揚を狙うのが主目的のような気がします。
でも、本当に革命的なことは情報を必要としている人と、自分なりの意見を持っている人がスムーズにつながる可能性があるというところではないかと思うのです。

なんだか話がまた脱線してしまいました。これらの標識を信じる人が少ないことを祈ります。


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