君は2000円札を見たか

-1000年のアンチテーゼ-

新しいミレニアムを記念して2000円札が発行され、大蔵省の必死のセールスにも関わらず普及がおぼつかないのは皆さんの記憶にも新しいことでしょう。
だって、ATMから払い出されることもなく、お釣りに支払われることもなく、一旦手にしたら自動販売機のタバコさえも買えない「にせん札」が、今ひとつ不人気なのもうなずけます。
私はこのデザインの由来が公表された頃からこれは不穏なものを表すものだと感づいていましたが、にせん札の裏に何が書いてあるか正確なところは知らずにいました。
今回、たまたましまい込まれていたにせん札を引っぱり出してその裏に何が潜んでいるのか解き明かしてみることにしました。

読みとれるのは
すすむし
十五夜○○○て
○○○○してい
○○ひつゝ念○
あ○○○○ちこ
○つるとて○○○
のけらひなとき
いと○○にい○○
○こ○いのわ
いとしけく

ああ〜。なんじゃこりゃ。伏せ字文学もええとこでした。

大蔵省印刷局の発表によると「源氏物語絵巻」の「鈴虫の巻」の詞書きだそうなので、源氏物語(私の手元にあるのは江戸時代の注釈書「湖月抄」)からこれにあてはまるものを探せばいいわけです。
鈴虫の中に「十五夜」という言葉が出てくるのはただ一ヶ所なのでおおよその察しはつきました。
鈴虫の巻は大きく分けて3つの場面に分かれ、これはその中段の光源氏の家で、八月十五夜の夜に宴会が始まろうとしている場面です。宴会といっても、虫の音や月をめでて、琴をかき鳴らして歌を詠み、現代の私たちが想像するものとはずっと違った宴でした。

湖月抄によると

十五夜の月のまだ影かくしたる夕暮れに、
佛のおまへに宮おはして、はしぢかうながめたまひつつねんずし給ふ。
わかき尼君たち二三人花奉るとて、ならすあかづきのおと、
水のけはいなど聞ゆる、さまかはりたるいとなみに、そそきあへるいと哀なるに、
例のわたり給ひて、『虫の音いとしげうみだるるゆふべかな』とて、我もしのびて
うちずじ給ふ。あみだの大ず、いとたふとくほのぼのきこゆ。

拙訳(十五夜の月がまだ影を隠している夕暮れに、佛のお前に宮(女三宮)がいらっしゃって、(御殿の部屋の)端近くでお眺めになりながら念誦していらっしゃいます。若い尼たちが二三人花をお供えしようと器のふれあう音や水の音などをさせていて、いつもと違った様子も心を引くものですが、源氏の君がそこへいらっしゃって、「虫の音がにぎやかに鳴きさわぐ夕方ですね。」といいながら、ご自分もそっとお経をお読みになりました。源氏の君の阿弥陀真言は大変貴く心に響くものでした。)

これと二千円札の文章を比べたら、二千円札の方が圧倒的に短いので、これはきっと「源氏物語絵巻」の方がダイジェスト版であるため、源氏物語の本文を短縮して書いてあるだろう。と思い、私は湖月抄を放り出して慣れないWeb探索の旅に出たのでした。

見つけだした正解はこうです。(括弧内は読みやすくしたもの)

十五夜農遊ふ(十五夜のゆふ)
ニ宮お盤してハ(に宮おはしては)
堂万ひつゝ念殊(たまひつゝ念殊)
あ万支ミ多ちニ(あまきみたち二)
徒るとて奈ら須(つるとてならす)
のけ者ひなとき(のけはひなとき)
いと那ミにい所支(いとなみにいそき)
流ニ連いのわ(るにれいのわ)
いとしけく(いとしげく)

万葉がなやカタカナ混在でなかなか簡単なものではなかったようです。伏せ字は取れましたが、文章になっていないようです。ここまで来るとどうやら私の読解力不足ではないようです。

実はこれ、下半分が印刷されていないのです。

十五夜のゆふ暮れに佛のおまへ
に宮おはして、はしぢかうながめ
たまひつゝ念殊し給ふ。若き
あまきみたち二三人花たてま
つるとてならすあかづきの音、水
のけはひなときこゆる、さまかはりたる
いとなみにいそきあへるいと哀な
るにれいのわたり給ひて、虫の音
いとしげくみだるるゆうべかな
とて、我もしのびてうち誦んじ給へる。

大蔵省さん、そりゃああんまりでぇ。謎を解いてみたら答えは「上半分」だなんて。
手抜きもいい所じゃないですか。


さて、にせん札に源氏物語が不穏だというのは、こういうことです。

光源氏は皇室の皇子として生まれました。その母親の桐壺の更衣という人は美人ではあったが薄幸の人で、光源氏が六歳の時には亡くなりました。光源氏は皇室のなかで、さほど権勢を張れる生まれではなかったので、七歳の時には皇室を離れ(ただ人となり)、源の姓を賜りました。
しかし、光源氏はとりわけ美しい母を持ったことで自身も美しく、世間の注目を浴び続けたというのはさほど詳しくない人でもご存知のことです。
さて、源氏は父帝が自分の母によく似た藤壺女御という妻をめとったことを知ります。(更衣と女御は女御の方が格上です)源氏は母の面影を追って藤壺に一目惚れし、恋に落ちますが、たった一夜だけ藤壺の寝所に忍び込み、過ちをおかします。源氏17歳の夏のことでした。
このとき生まれた子供が二千円札で源氏と対面している冷泉帝ですが、皮肉にも母親が高貴な生まれだったために実の父親(公称は兄)の光源氏を飛び越えて帝になってしまいます。鈴虫の巻では源氏が50歳ですから冷泉院は33ぐらいですか、自分の出生の秘密を知って、それとはなく源氏を厚遇しています。しかし、父と呼ぶこともならず、心の内を語り合うことも許されていません。
鈴虫の話の中段では、このあと、大変にぎやかに催された源氏の館での宴があまりに人をあつめてにぎやかなものとなったので、冷泉院の耳に入り、誘いを受けて源氏は冷泉院のもとへ訪ねて行くことになります。

私の思ったのは、「これじゃ、皇室不倫物語であるばかりか、天皇家が万世一系でないというお話じゃないか。不敬も甚だしい。」と、思ったわけです。
私は天皇制や皇室について、ただ普通に敬愛の情をもっているだけの一市民だと思っています。
万世一系とか不敬とかいう言葉も普段は意識はしていないのですが、今般、二千円札をデザインするにあたって、だあれもそのことに気を止めなかったのでしょうか。お役人も、自民党も、その他諸団体の人たちも、「ちょっと他にした方がいいかな?」なんて思わなかったのでしょうか?
にせん札が人の目に触れることがなく、この話題も誰もが気が付きそうでだれも真剣に議論しません。ひょっとしたら新しいミレニアムは倫理とか、天皇制とか、根本から考え直そうぜという強烈なアンチテーゼがあってのことなのかも知れません。やるなあ、日本政府。やるなあ、大蔵省。

なお、この件について関係各方面に問題提起を行った結果、jpmという人からメールの返信がありました。以下に引用させていただきます。

 このたびは、私あてに大変貴重なご意見をお寄せいただき、ありがとうございました。
 私は、常日頃、政治家として多くの国民の皆様の生の声に耳を傾けることが極めて大事であると考えております。
 そのため、このインターネット・メールによるお便りは、国民の皆様のご意見を私あてにお聴かせいただく大切な方法の一つとして活用させていただいております。
 この首相官邸ホームページは、その時々の官邸の動きをできるかぎり早くお伝えするとともに皆様の生の声をお聴かせいただくために設けております。
 折にふれアクセスしてくださるようお願い申しあげます。

                   内閣総理大臣 小渕 恵三


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