まるとまっすぐの理科

-答えられなかった方の解答-

私は教員採用試験を6回も受けた人です。
たいていは一次試験(学科)で敗退していましたが、一度だけ二次試験(面接・実技・小論文)でご意見を聞いてもらえたことがありました。
今回はその面接試験の時のお話です。

面接の時問われた「問題」はこうです。

教師になってどんなことを研究したいですか。

この問いについては、予想はしていませんでしたが私なりの持論がありました。

理科という教科は第一分野(物理・化学)と第二分野(生物・地学)に教科書が分かれていますが、これは科学の各領域の特性を表すものだと思います。
それぞれの分野の特徴を見ると、第一分野では運動方程式のグラフにしろ、化学反応の過程にしろ、オームの法則にしろ、グラフにまっすぐな線が入ることが特徴的です。光の経路、等速直線運動、温度と体積の関係、混合物の濃度、と、どれをとっても何らかの直線を引くことでまとめが出来るものがほとんどを占めています。
一方、第二分野では惑星の運動、被食者と捕食者の数的関係、大気中の水の循環、高気圧と低気圧の周囲の風、堆積岩・火成岩・変成岩の相互関係など、いずれをとってもまとめてみれば丸く円を描いていることが特徴的です。
この分野の違いは第一分野がミクロな目で物事をつきつめる分野であることに対して、第二分野がマクロで総合的に物事をとらえる分野であることのあらわれでしょう。
ちょうど水平線をミクロに捉えれば直線で、それを地球規模につなげていけば円になるように、第一分野と第二分野は科学という体系の中でつながっていくわけです。
私は、授業の中でそれぞれの分野の特性に着目して、バラバラの知識の集積でなく、個々の法則をつなぐ法則、いわば科学の根本原理があるということを生徒に知らせていくことができるのではないかと考えています。
私としては個別の単元について私流に「まるとまっすぐの理科」とでも言える教科の構造を構築してわかりやすい授業のまとめ方はできないかということを研究していきたいと考えています。
これは、今でも大切なことだと思っています。
人は科学というとどんなものを思い浮かべるでしょう。
スペースシャトル、火星探査船、クローン技術、マイクロエレクトロニクス、コンピューター・・・
このようなすでにわかっていることを実用化することは技術の分野に属します。
科学から生み出されたものを応用する部門は科学の本体ではありません。

科学とは、ものを知ること、調べることであり、その実体は調べ方の作法にあると思います。
具体的に言えば、観察された事実に正直であること、実験に再現性があること、反証も検討して併記すること、全てを貫く法則を見つけること、そして見つけた法則を応用して新しい何かを作り出すことなどです。

生徒はすでに他人の見つけた物事、他人の作り上げた法則をむやみと覚えさせられることに辟易しています。それが自分の見つけた物事や自分の見つけた法則だったらどんなにうれしいことでしょう。
そこで私は法則を見つけるにはどこに着目すればいいか、法則をつなぐ法則は何であるか知らせていくことによって、短く限られた授業時間の中で生徒自身に法則性を抽出する能力を身に着けさせたいと考えたのです。

「まるとまっすぐの理科」とは、マクロな場面とミクロな場面での法則性のつかみ方を簡潔に示す方法論であるわけです。

これが正論、正解であったかはわかりません。
その時私は別の問題に取り組んでいて、咄嗟にそちらの答えを口にしていました。

別の問題とはこうです。

五祖法演はいった。
「『路上で道に達した人に逢ったら、語をもっても黙をもっても対しない』という。
まあ言うてみよ、なにをもって対したらよいか。」
禅宗の公案、「無門関」第三十六則、路逢達道の公案です。
無門和尚は重ねてヒントを出しています。
もしここでぴたりと答えることが出来たらまことに愉快ではないか。
もしかしてそうでないなら、やはりすべての所に目をつけてよく見とどけねばならないぞ。

さらに無門和尚は頌(うた)って言います。
路上で道に達した人に逢ったら
語でも黙でも応対しない
相手のあごをつかんでまっこうからゲンコツをくわせる
すぐに分かる者は分かるはずだ

(原文:路逢達道人 不将語黙対 欄腮劈面拳 直下会便会)

私も禅問答には初心者でしたから、「まっこうからゲンコツをくわせる」とはどう答えることだろう? と、ことばについて回って考えてしまいました。(今でも初心者です)

「教師になってどんなことを研究したいですか。」という設問に私の答えはこうでした。

「今は採用試験の勉強ばっかりで教材研究がおろそかになってしまい、よい授業ができていませんが、試験に通ったら教材研究をしっかりして楽しい授業をしたいですね。」
(言外の意味:こうして講師という形で差別的な身分の教員を配置し、教職員の連帯を引き裂くとともに、あたら熱意ある若い人材を苦しめていなさるが、ひいてはそれは子供たちをも苦しめていることになるのですよ。)
〔見よ、しえたげられる者の涙を。彼らを慰める者はない。しえたげる者の手には権力がある。しかし彼らを慰める者はない。〕

試験官か、私か、あるいは双方が達道の人でなかったために私は試験に通りませんでしたが、自分で考えて自分の言葉で答えたのは正しかったと思っています。

私が教師生活最後にした授業でこんなことを言いました。

「先生が中学生だった頃、地球の人口は40億人でした。それが今は80億人になっています。このグラフはその先どうなっていくのでしょう?100億も200億にもなって、人類は宇宙に進出していくのでしょうか、砂漠も森林も人で埋め尽くされるほどに増えていくのでしょうか。どうもそんな気がしません。爆発的に増えた人類が資源を使い尽くして破滅的な危機が待っているような気がしてなりません。その危機を救うために私たちは何を学ぶべきでしょうか。国語でしょうか。社会でしょうか。それとも数学でしょうか。先生はそれが理科だと思いました。皆さんも、理科を勉強して地球を救う方法を見つけられるよう望んでいます。」

人間だけが唯一、「まるとまっすぐ」の法則にあてはまらない研究材料なのです。


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