このページがめざすもの

-新年の抱負にかえて-


このページ(くまプー雑記帳)を立ち上げて2ヶ月半経ちました。
カウンタは270をいくつか過ぎたところのようです。
カウンタがインデックスページに設置されているため、次の読み物に移るたびに同一人物を繰り返しカウントするという卑怯な構造になっている割にはこれは少ない数字でしょう。
各種検索ページにかかるように登録や掲載依頼すればいいという意見もありますが、果たしてこの雑記帳は何というジャンルに属するのでしょう?
私は、このページを科学系雑学読み物だと思っているのですが、実際のところはまだはっきりした形を取るに至っていません。

さて、お断りしておかなければならないと思っていましたが、この雑記帳の形式は現在花形の科学系読み物ページの様式をお手本とさせていただいています。

その一つが「今日の必ずトクする一言(tomoya.com/)」です。

私自身、こちらを読んで少なからずトクした気分になったことがありますし、アマチュア無線、カメラ、古いパソコンの再生・回復、車の修理など、私が惹かれてやまない記事がてんこ盛りとなっています。一方で、腕時計、オーディオその他諸々、私が踏み入れたことのない分野も楽しませてもらえます。
私が模倣させていただいた部分は、目次がテキストでできていて、トラフィックに優しい部分、及び記事の体裁が奇妙に似ている(内容は遥かに及ばない)ところです。
ページのソースを見ていただければすぐにわかりますが、このページもtomoya.comに似せてテキストエディタでHTML文を直接作成しています。
ソースを見ると、よく読まれるページが意外に簡素な作りとなっている例は多いようです。
トップページがフレームやバナーの塊となっているページが世間には多いようですが、本当に大切なのは中身ではないか、中身の充実がかなうまで、人目を引く必要はないではないか。という気がしてあえて簡素な作りとしております。

次に影響を受けているのが「できるかな?(hirax.net/)」です。

こちらも科学系読み物ですが、しょっちゅう数式が飛び出してくるところなど、かなりディープな部分があります。その反面、叙情性が高く、読んだあと何か考え込んでしまうようなところがあるのも好きです。
私のページは見かけはこちらに似ているところもあるのですが、hirax.netさんはhtmlエディタを使われているようです。

今さら、超有名ページを紹介させてもらうのも、自分が超無名ページであるだけに恥ずかしいことですが、私のよく訪問するこの2つのページには、どんな小さなことにでも科学の種はひそんでいるし、科学を楽しむには大がかりな実験設備など必要ない。という主張が共通しているように思うのです。特にhirax.netさんが、文学を数値的に解析することによって深読みをしたりするくだりは、文学も科学の一分野であるということが端的に窺えて痛快です。

世の中のあらゆる分野が興味の尽きない科学の種であることに私は疑いをいれませんが、一方で学校の教える科学が何だか難解で疲れるものである(と思われている)ことは残念なことです。そればかりか教育の場そのものが疲れてしまって世の中の乱れを反映してしまっている感もあります。
私はその原因にこうした身近なアカデミズムの不足があるのではないかとにらんでいます。
以前、私はこのホームページで科学の実体はものの調べ方の作法にあると述べました(00.12.04)が、その中でも科学の価値は観察された事実に正直であることだと思っています。
世の中の乱れをいささかでもただすには、この事実に正直な方法を多くの人が知ることが大切なのではないかと思います。
教育を改革するのは日本政府の永遠の課題のようですが、そのために受験制度をいじってみたり、ゆとりの時間という圧迫を創設してみたり、ボランティアを導入してみたり、あらゆる努力が行われてきました。しかし世間は教育学が科学であるという肝心な点を見落としています。

世の中のすべての先生はそういう意味で教育者であると同時に教育学者であるわけですが、なぜかしら現場を知る先生は日本教育学会(というのは存在するのですか?)に呼んでもらえません。
日本教育学会は手法こそ様々なものを試して来ていますが、その根本の構造は50年前と同じ仕組みを守るよう運命づけられてきたのです。
教育学がもし科学の一分野なら(そうにちがいありませんが)、日本の教育がこれほど現場と乖離して遅れてしまっていることを何とかしなければならないのではないでしょうか。

同じことは政治学にも、行政学にも、法学にも起こっています。実際にそのことに深く携わっている人たちが仕組みを作ることから切り離されて、「なぜそのようなことになっているのだろう?」と人が作った仕組みそのものを研究対象にするという滑稽なことが起こっています。

はてさて、とんでもない大風呂敷になってしまいましたが、こんな日本の混乱を収拾するには、それぞれの人が自分の見つけた問題に対して自分の意見を持ち、科学的な正直さをもって意見を交換することを知らなければならないのではないかと思うのです。そうして、世の中の仕組みを多くの人が妥当と思う正直な部分で構築していく必要があるのではないでしょうか。

21世紀を迎えた今、ネットワーク上で意見を交換するのはとても簡単なこととなりました。
そして交換される意見の中には誤ったもの、悪意のあるもの、たわごとなども多々含まれていることでしょう。
しかし、中には上で紹介したページのように誰が読んでもよくわかる科学的な正確さを持って語られているものがあります。
そしてそういうものは何だか読む者に快感を与えるために多くの人に好んで読み継がれています。
私はそれが世の中を変えていくのではないか、そういうものの一つになれるのではないかと、そんな願いを持っているのですが。これは単なる初夢で終わるのでしょうか?

それから、このページには津山地方に関する雑学という別の任務がありました。
今のところ、ヘンテコで役に立たない情報ばかりですが、これは改善の見込みはありません
観光案内、ショッピングガイド、行政の窓口、人捜しなどはもっと優秀なページが多々おありですのでそちらの方へお願いします。トップページがリンク集になっているのはそのためです。
私が探しているのはかつて人が語ったことがない独創的な題材ですから、多くは人が語る必要がなかった題材で終わっているのは致し方ありません。

それから、津山の地学シリーズなど、独自の調査に基づくものは、あえて事前調査を怠った状態からスタートしていますので科学的な正直さは心がけていますが、科学的な正確さはありません。訂正記事にご注意ください。
現役大学生ほどの調査能力があれば文献調査をきちんと終えた上でフィールドワークに取りかかるわけですが、それでは独創でなくなる上に調べる楽しさがありませんので、未知の土地を暇のないサラリーマンが(妻の目を盗み、時に革靴を赤土にまみれさせながら)少しずつ調べていくというシチュエーションになっています。

実際のところ多忙です。夜9時に仕事を終えて帰って風呂に入ってパソコンの電源を入れると10時です。妻も子供も寝静まっています。楽しい話題を熱中して書けば3〜4時間かかります。床につく頃にはHEXclockが「012F」なんて時刻を指しています。全くtsuyama.netの管理者になれたなんて不運としか言いようがありません。
いずれ仕事が暇になれたら、妻子が起きているところへ帰れるようになりますが、その場合は子守りに疲れ果て、子供を寝かしつけるときにダウンしてしまうので、自分の時間はもっと削られることになります。

21世紀を迎えて、「世直し」に始まって「愚痴」に終わった初夢ですが、いましばらくは頑張りますのでたまにはお立ち寄りください。

(筆者:kumapooh@tsuyama.net)


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