第二の風枕

-広戸風の成因をさぐるカギ-


勝田郡から津山市東部にかけての一帯に、「広戸風(ひろとかぜ)」と呼ばれる局地風が吹くことがあります。
近年大きな被害があったという話を聞きませんが、民家の屋根を吹き飛ばしたり、ガラスが割れたり、大木をへし折ったりする暴れん坊の風です。

どういうときに吹くかというと、かなりはっきりした法則があって、紀伊半島の南海上を台風や勢力の強い低気圧が通過するときに吹くのです。
4〜500kmも離れた台風が大きな被害をもたらすのも不思議ですが、それより近いところを台風が通っても、広戸風は吹かないというのはもっと不思議です。
実は広戸風が吹くときは、津山盆地上空は晴れ間ものぞくような安定した気象条件であることが必要なのです。

1月末のある夜、家もきしむような風が一晩中吹き荒れたことがありました。
翌朝になって、私の父親が「きのう晩はえらい広戸風が吹いたなあ。」とあいさつ代わりに教えてくれたので、気がついて大急ぎで空の写真を撮ったのがこの写真です。

コントラストをいじって、雲が映りやすくしているので色調は変ですが、山にかかる風枕(A)と、空を横切るもう一列の雲の列(C)が映っています。その間の(B)や(D)は空がのぞいています。
広戸風が吹いている、まさにその時の写真でなくて残念ですが、この第二の風枕が、広戸風の成因を物語るカギとなるのです。

台風や低気圧が紀伊半島沖を通るとき、岡山県北部ではちょうど真北からの風となり、那岐山系(那岐山、滝山、爪ヶ城、山形仙)の山並みに直角に風が当たるようになります。
鳥取県側から吹きつける気流は山体によって絞られ、再び山腹を下ろうとします。そこで第一の風枕が作られます。

そこから、津山盆地に特徴的なことが起こります。台風や低気圧は、数百キロメートルも離れているわけですから、盆地内の大気は安定した状態(逆転)になっている場合があります。安定とは、大気の移動を妨げる温度の配置になっているわけですから、台風に向かって山を越えてきた高速の気流は(さらに山体で引き絞られています)山腹を下れずに盆地上空で跳ね返されて波打つわけです。このときに第二の風枕が作られるようです。

この、高層で波打つ気流は、通常の地表にへばりついている気流とは別格な威力を持つために、波打ちついでにチョンと地面を打ったのが「広戸風」と呼ばれて怖れられるわけです。
盆地上空が不安定な気象条件だったら、山を下った風は散らばってしまって、普通の台風の威力は持つものの、おそれるほどのものになりません。(この部分は誤り)

結局、広戸風の作られる要因は

  1. 津山盆地の存在
  2. 那岐連山の存在
  3. 台風または強い低気圧が紀伊半島沖を通過すること
  4. 盆地上空の天気がよく、大気が安定(逆転)の状態にあること
  5. と、いうことはその台風や低気圧から適度な距離で離れていること
ということになります。

私がこの説明を初めて聞いたときは、「天気が悪いから風が吹くのであって、広戸風の日に天気がよいなんてことがあるものか。」と、信じられなかったのですが、実際に気をつけてみていたら、確かに第一の風枕と第二の風枕の間は青空になっているのです。
また、第二の風枕が発生しても、風の角度や、低気圧の威力によっては「広戸風未遂」に終わる例もしょっちゅう見られるようです。

今回は「広戸風」=「台風」と図式的に考えていたために遅れを取りましたが、いずれ広戸風が吹いている真っ最中の写真(できれば動画)が撮れるのではないかと願っています。(実は十数年も待っているのですが、なかなかチャンスはめぐってきません。)


と、ここまで記事を書いて写真を貼り付けるばかりにしていたら、朝刊(3月19日付け山陽新聞)の表紙に「広戸風のメカニズム(22面)」と書いてあるではありませんか。 おおっと。なんだかしまったぞ。慌てて紙面を開きました。 以下は山陽新聞の記事の引用です。
岡山大大学院生中村みゆきさん
広戸風 メカニズムに迫る

岡山県北東部、那岐山南麓に吹き下ろし、農作物などへ被害を及ぼす強風「広戸風」について、岡山大大学院生の中村みゆきさんが、那岐山上空に空気の上昇を遮る大気の層ができ、日本海側から吹く風がこの層にぶつかって一気に吹き下ろすことを確認。風速や温度などの条件も突き止め、修士論文にまとめた。台風通過時などに発生することは知られていたがこれまで詳しいメカニズムは分かっておらず、今後の予報につながる成果と注目されている。
広戸風は山形県の「清川だし」、愛媛県の「やまじ」とともに”三大局地風”といわれる。台風が四国沖を北東に進む時などに那岐山南麓で吹くとされ・・・(中略) ・・・米子市付近の高層観測で得られた風向や気圧、温度のデータ、山頂上空と南麓の大気の温度などを解析したところ、山頂の上空に空気の上昇を遮る層ができたことを確認。日本海側から那岐山北側に吹く風がこの層にぶつかり、山頂から一気に南麓に吹き下ろすことを突き止めた。 さらに89年以降、奈義町で観測した風速10メートル以上の風11例も検討。那岐山に向けて吹き込む風の風速が毎秒10.8メートル以上、海面から空気の上昇を遮る大気の層までの高さが2000〜3000メートルの範囲の時、強風が発生することも判明。風が吹く間、奈義町の気圧だけ2〜4ヘクトパスカル程度周囲より低くなっていることも新たに分かった。

私の写真の「第二の風枕」についても言及してあります。
共同研究者の一人、塚本修岡山大理学部教授=気象学=は「広戸風のメカニズム解明に近づき、今後の予報にもつながる。吹きおろした後の空気が上空へジャンプするなどの説もあり、気圧低下との関連も含め今後も広戸風の全体像解明へ継続的な調査、分析を進めたい」と話している。
あまりにもタイムリーな新聞記事で私もびっくりです。
こうして専門家の方々が活躍されているのですから私としては「門外漢の不確かな知識で申し訳ありませんが」という前置きで解説する他はありません。

この「空気の上昇を遮る層」というのは、特別な気流とか固いものではなくて、ある空気の状態をいいます。
具体的には地表近くの温度が低く、上空の温度が高い。その温度勾配が一定以上のものである状態です。
これを「逆転」といい、ある空気塊が上昇を始めたとき、その空気塊がもっと高温の(すなわちもっと軽い)空気の中に突入してしまうために上昇を妨げられることになります。空気塊が下降を始めたときは、低温でもっと重い空気の中に降りていくわけですから、やはり空気塊の移動は妨げられます。
普通は天気の良い早朝などに静的な状態で発生し、空気が上下方向に移動しなくなって「かすみたなびく」ような状態を作り出すのですが、広戸風の場合はこれが動的に起こって、山に跳ね上げられた空気が勢いよく吹きおろしてくるという現象になるわけです。

先に、新聞記事を読む前に「盆地上空が不安定な気象条件だったら、山を下った風は散らばってしまって、普通の台風の威力は持つものの、おそれるほどのものになりません。」と書いたわけですが、これは誤りで、逆転が発生していなければ山に跳ね上げられた空気は上昇を続けてしまい、吹きおろしてくる力を持たないというのが正解のようです。

盆地上空に吹きおろした風は、同じくこの「逆転」に妨げられて今度は上方向に流れを転じて第二の風枕を作るものでしょう。
第二の風枕は、上空の気象条件を物語る証拠ではありますが、広戸風の本体ではないようです。

この写真は「広戸風未遂」に終わったときの空ですが、第二の風枕が形成されかけています。
広戸風が地表を打つよりもはるかに頻繁に第二の風枕は形成されます。

那岐山の山頂は1240m(実際はもう少し高いです)滝山は1196m、爪ヶ城は1110mぐらい、この1100m級の屏風に対して鳥取県側にある背後の山々は400〜600m程度、とりわけ那岐山にむかって延びている谷は因美線那岐駅近辺で300m足らずしかありません。ここから山頂まで水平距離で約5kmあります。
風は秒速10mとして8〜9分で1000メートルをかけ登るようです。
そして続く数分で山腹を駆け下りるのです。
もちろん、風速がもっと大きいとその上下方向の運動量はすごいものになります。

寒冷前線の標準的な勾配は50:1だそうですが、ここでは5:1ぐらいの勾配で空気が急上昇、急降下するのです。ただし、あっという間に山を飛び越してしまうので雨はほとんど降りません。
地図をみながら、風になったつもりで山を越えていくと目が回る思いです。

さて、地図で気がついたのですが、この那岐駅がある谷が那岐山頂から5kmほど離れています。それを反対に南へとたどっていくと南西に5kmほどのところが、広戸風の名前の由来となった勝北町広戸地区です。第二の風枕はこのやや南にできるようです。
この写真を撮った我が家も広戸風の危険エリアに入っているように、広戸風の分布が那岐連山より西に偏っているのは、実は山の背後に谷があるために、気流がいっそう引き絞られているのではないかという気もします。
いえ、アマチュア気象学者のヤマカンに過ぎませんが。


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