阿部定onTheStreet

-路上観察学とは-


以前、路上観察学会というのがあるらしいと、ここに書いたことがあります。
私は、路上観察学が何だかは良く知らないまま、標識や信号、水路の立体交差など、社会派の路上観察をしてきたわけですが、正統な路上観察学会というのもどうやらあったんですね。

書店で立ち読みをしていたら「岡山の路上観察」という小さな本がありました。
それによると、路上観察学というのは赤瀬川源平の「超芸術トマソン」を起源とする運動(というか研究というか、手の込んだ冗談)なんですね。
さらに遡ると「考現学」の流れに位置づけられるものだそうです。「考現学」が「考古学」に対応するものだということにはずいぶんのちになってから気がつきました。

ここでポイントとなるものは「トマソン」という概念で、

  1. 不動産に固着したもので
  2. 使いようがなくて無用になっているけれども
  3. 何かたたずまいが変な物
というものの中で芸術的なものを「トマソン」と呼び、探し求めていくのが路上観察学の要諦のようです。

そう思って路上観察をしてみると「奇妙だけど無用でないもの」「無用だけど芸術的でないもの」など様々なものがあって、これを発見していくことは、確かに楽しいものでした。

トマソンにはいくらかのパターンが指摘されていて、今日はその中の「阿部定(あべさだ)タイプ」を紹介することにします。

タイトル:よくある阿部定
説明:山北通勤経路
「阿部定」とは、棒状のものが途中で切断された状態のものをいいます。
なぜそれが「阿部定」と呼ばれるかは詳しくは存じません(ことにしておきます)
阿部定物件はよく見ると路上にずいぶんたくさん見うけられますが、その多くは超芸術とは言えないレベルのものでしょう。
ただ、町並みが出来てから歳月を経た街路でしか見られないものでしょうから、考現学的には意味のある、街の年齢を表すものかも知れません。


タイトル:世代交代阿部定
説明:美作高校の角
阿部定は電柱の世代交代によって多く発生するようです。
コンクリートの電柱と仲良く並んだ阿部定は、芝生に休みながら新世代のコンクリート電柱を喜ぶのでしょうか、恨むのでしょうか?


タイトル:クラッシュ阿部定
説明:交通事故多発地点に付き注意
これも電柱の世代交代によるものですが、後のブロック塀の様子からして、世代交代の原因は交通事故のようです。
トマソン的にはこういう生々しいのが上モノとされるようです。


タイトル:多目的阿部定
説明:死んで花咲くこともある
定義上、無用でなくなっていないためにトマソンとは呼べないものかも知れませんが、電柱でなくなった物の上にカーブミラーの花が咲いているのは、切断された姿を晒しているよりは心をなごませます。


タイトル:なんでもつけちゃえ阿部定
説明:決して無用とはいえないが無用
道路標識、住所表示、金属の鎧みたいなバンパーまでつけて貰って、実際背後の家のバンパーの役割を果たしているのかもしれません。その多目的ぶりのため、根元からの切断を免れたもののように見受けられます。


タイトル:化石化阿部定
説明:阿部定はこうしてアタゴになる
阿部定となった木製電柱が、静かに、ゆっくりとコンクリートに包まれてゆきます。
あと10年も経てばここに電柱があったことはわからなくなるまで化石化が進むでしょう。
・・・と、思わせるような包まれ方をしています。阿部定を隠すのにノコギリでなくてコンクリートを用いているのは、すでにそれが無用であるけど何か大切な物に変わってしまった証拠と考えられはしないでしょうか?
なお、「アタゴ」というのもトマソンの典型のひとつです。これについてはまた別項で紹介しましょう。


今回のレポートが白黒なのはフィルムがトライXだったためですが、Webのデータ転送量を減らす効果があったようです。路上観察学のセオリーでは、きちんと現況を記録する意味からカラー撮影が推奨されていますので念のため。


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