無用の用こそ妙

-トマソン拾遺集-


ここまで路上観察のトマソン類型を追ってきましたが、私の手元ファイルにはまだいくらか分類不能なものが残っています。
元々、路上観察学というのは路上に意外なものを見いだす学ですから、これまで探して来たような典型というのは入門編としては必要でありながらそればかりを探すとなると楽しみを減ずるものかも知れません。
今夜は分類不可の「無用」を一挙放出してみましょう。

タイトル:無用橋(通行止め編)
通行止の札が泣かせます。橋は必要なものではありますが、駐車場の回りに四通八達してしまうと駐車スペースがむしろ減ってしまうので鎖で封印されてしまいました。
タイトル:無用橋(遺跡編)
通行止めというよりも、あまりに弱小な橋のため無視されてしまった感があります。
しかし、自然石の一枚板というそれなりに貴重な橋なので撤去を免れているようです。
こういう弱小な橋の方が得てして上のコンクリ橋より寿命が長かったりします。
タイトル:沈水橋
かつて日上地区に潜水橋というのがありました。洪水で吉井川が増水したときは潔く沈没して、水が引いたらまた姿を現すしたたかな橋でした。
これはごく小規模ながらそういう機能を持った橋のようですが、実際の洪水の時はごみが引っかかったりして用水氾濫の原因になっていそうな気もします。
タイトル:ポンペイ型物件(鶴橋)
このように古くからある物件が、道路改良によりアスファルトに埋められてしまったものを「ポンペイ型」と呼びます。埋められ方はアスファルト以外にもいろいろあると思われます。
この物件の面白いところは数百m離れたところに兄弟(夫婦?)物件があるところです。
タイトル:ポンペイ型物件(亀橋)
現代のランドマーク「イナバ化粧品店」のすぐ近所にある物件です。
鶴は千年、亀は万年といいながら生ける遺跡として埋没の過程にあります。
遺跡が古いものほど下にあるのは、ミミズが下の土を食べて遺跡の上にふんとして排出するからだ。と、力説する先生がいましたが、人間はそれよりはるかに迅速に遺跡を埋没させます。
アラブの砂漠の下から油を掘り上げて遺跡を埋めるというのは、そういう習慣を持たない未来人から見れば説明できないくらい奇異なものと映るでしょう。
タイトル:無用門と不純階段
無用の門には2種類あって、門そのものが通行不可なのに門があるのが「無用門」で、門があるけど門以外に通行自由な出入り口があって、門の価値がないものを「無要門」とするらしいです。
保育園の庭から川に通じる門はかつては子供の遊びに重要な門でしたが、卒園から約30年、気がついたら無用門と化していました。これも時代ですね。
なお、用がないのに階段があるものを特に「純粋階段」と呼び、階段があるのに邪魔があって通れなくなっているのを「不純階段」と言うそうです。
この場合、川に入っていく階段は不純階段となっています。
タイトル:無用門(自縄自縛的頭上注意)
屋根のない駐車場に鉄パイプの門があって、頭上注意と書いてありますが、この駐車場にはこの鉄パイプの門しか工作物はありません。注意すべきはこの門自身だけというのは何度見ても納得がいかない頭上注意ではあります。
それはそれとして、水道管とエルボで出来た門はなかなかグッドデザインと言えましょう。
タイトル:にゅり!
倉庫の角から何かのぞいています。
ちょっと古めの鉄骨造の倉庫で、ハミ出しているのは基礎か土間をなすセメントです。倉庫建設以来ハミ出たままですからおもいきり硬いものです。
おまけにサビています。このハミ出しにより外壁仕上げの亜鉛メッキ鋼板が腐食を受けやすくなったのでしょう。倉庫のこの一角だけが無法状態を作り上げています。
今回の一連の路上観察では、私のベスト・オブ・ザ・トマソンだと思っています。
タイトル:雨宿りバス停
市内巡回ごんごバスのバス停には、いくつか軒下にあるものが存在します。
バス停が雨宿りをしているのは風情がありますが、逆にバス停の私物化という読み方をできないでもありません。
争点はこの道路側溝が私有地なのか公有地なのかという点ですが、どちらにコケてもいささか無法な状態であると考えられます。
同様に境界線上の郵便ポストもこの付近に複数存在しますが、深く突き詰めずに公共物の自主的雨宿りと見過ごしてあげましょう。
タイトル:パブリック「手」洗い
道端の手洗いです。
水道管の先についているのは軍手です。
これが完全に機能していた頃は本当に公衆手洗いだったのでしょうか?
軍手のかわりに蛇口がついていた時には手を洗った人の足を濡らすといういたずらはしなかったでしょうか?
それとも排水設備だけ完備して蛇口がない時代があったのでしょうか。
見れば見るほど謎の多い手洗いです。


「なべのさかやき」目次に戻る