か弱き者、なんじの名は

-ホウネンエビ-


近所の田んぼは先週から今週にかけて田植えが行われ、小さな苗が風にそよいでいます。
子供が「おたまじゃくしを捕まえて」とせがむので、先週水を張ったばかりの田んぼにおたまじゃくしがいるわけないじゃん。と、思いながら田んぼを見ていくと、極小のおたまじゃくしが結構います。
這いつくばって水中をのぞきこむとそこは、おたまじゃくしと、ミジンコと、ホウネンエビの世界でした。
(今調べるとミジンコではなく「カイエビ」というものだったようです。道理でえらい大きなミジンコだと思いました。)

ホウネンエビは昔、学研の付録についていたシーモンキーと同類の、体長1cmほどの生き物です。
エビフライには似ていますが、決して猿には似ていません。
シーモンキーを飼ってみたのはいいけれど、いくら眺めても猿に似ていないじゃないかと子供心に不思議に思ったことが思い出されます。

脚は11対あり、もじゃもじゃと高速で動いているので写真には写っていません。
実際、子供に「お化けエビ採って」とせがまれても、おたまじゃくしに比べて臆病なうえにすばやく、砂場のスコップなどではなかなか採れません。
田んぼのふちに座り込んで苦戦していたら、小学生がやってきて、大きなバケツで大量の水を汲み上げて、難なく採取に成功してしまいました。こういうことはさすがに子供の方がプロです。

採集したり、観察した中には、茶色の体をしたものと、青い体をしたものがいました。また、早くも卵を持っているものや、交尾をしている姿も見られます。
(オスはゾウアザラシの鼻のような突起が頭についています。下側の写真はどうやらオスのようです。)
ホウネンエビは「豊年蝦」の意味で、これが見られるとその年は豊年になるという言い伝えによるようです。
また、「生きた化石」と言われることもあるので、非常に珍しいのかと思えば、発生する場所や時期が知られていないだけで、全国的に見られるもののようです。

近年農薬を使う量が減ったから、ホウネンエビやカブトエビが多く見られるようになったという話も聞きますが、これの真偽のほどはわかりません。
時期的には田植えをしてから2週間ほどがピークで、6月の末になると全く見られなくなります。
これについても、「その時期になると除草剤の散布などがあり、環境に敏感なホウネンエビはすぐ死滅してしまうのだ」といった分析をされている方がありますが、私が田んぼをのぞきこんだ感じでは「ホウネンエビはもともとそういう生活サイクルを持っているのだ」という気がしました。

田植えがすんだばかりの田んぼは、冒頭に書いたように限られた種類の生き物だけの世界です。
これが7月ともなると稲は生い茂り、雑草や浮き草がはびこり、ミジンコ、イトミミズ、ミズスマシ、ゲンゴロウ、その他昆虫、大きなおたまじゃくし、小さな魚まで加わって非常ににぎやかな世界になります。
それはそれで美しい世界ではありますが、ホウネンエビのようなか弱い生き物にとっては天敵だらけの地獄絵図のような世界でしょう。 世界がそうなってしまわないうちに、まっさらな土と水だけの世界のうちに、ちゃっかりと田んぼを支配し、卵を産んで、舞台を去って行くのが彼らの生き方のようです。
ほこりのようなサイズの卵は産まれた後、どんなに世の中が過ごしやすい環境でもその年は孵化せず、冬を迎えて一度田んぼが乾燥を経験してからでないと孵化しないようプログラムされているようです。
逆に田んぼに水が張られなかったら卵は何年でも土の中で耐えています。

これは私自身が綿密な調査をして出した結果ではありません。が、ハエやミジンコみたいなチャンスがある限り限りなく殖える極端な多産多死の生き方と違って、ホウネンエビはつましく省エネな生き方を守ることが生き残りの戦略であろうと思われます。

ホウネンエビの同類として、カブトエビも近所で発生すると聞いていますが、これはやや遠い田んぼであるため未確認です。
ホウネンエビ、カブトエビ、そしてカイエビは極めて近い同属で、生活サイクルも似ています。
「古生代からの使者」とか「農薬を使わない環境にやさしい農業」とか評判もあるわけですが、実際にホウネンエビに接して私が心を奪われたのは「つつしみ深いものが彼らなりに世界を支配する」その姿でした。


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