純粋階段を探せ

-トマソンの原点を探して-


階段には必ずそれの通じる場所があり、何かと何かを結ぶ役割を果たしていますが、ごくまれに通じるところのない階段もあります。
このごくごくまれな事例が発見されたこと、そしてそこに美学を見い出した先人があったことが路上観察学(トマソン学)の発祥となりました。(赤瀬川源平「超芸術トマソン」)
私が路上観察学に志して以来、津山市内において純粋階段の事例を発見することは私の悲願でしたが、意識して探すとなかなか見つからないのがまたトマソンであります。
今日は足かけ2年にわたる私の純粋階段探索の成果をここに披露することとします。

純粋階段とは、ご覧のように通じるところのない階段をいいます。
通じるところがなくなった理由は様々でしょうが、用途を廃した階段は普通すみやかに取り壊されてしまうものです。

取り壊されない理由もまた様々です。
ひとつには横着や予算不足によるものがあります、この事例と思しき物は岡山県庁付近の旭川河川敷に降りられそうで降りられない階段に見られます。「老朽化して危険のため通行禁止」という札を掲げられた階段は哀れをさそいますが、美しさにはちょっと欠けます。

もうひとつは階段が実際どこかに通じているのに、物を置くなどの障害が発生して使えなくなっているものです。こういう場合は「不純階段」と呼ばれ、路上観察学の枠では研究対象たり得ますが、トマソンとしての価値は一段劣るものと考えられます。上記の老朽階段も不純階段の一種と考えられます。

そして、用途を廃しているのに掃除や維持補修までなされ、無用でありながらその存在感を誇れる不動産、その存在が美を感じさせるまでに超越しているものがトマソンとしての純粋階段と呼ばれるものです。

冒頭の写真の物件は、極めていい感じにトマソン化しかけたものですが、実は左端に階段が残っていてトマソンになりそびれたものです。
以前に阿部定タイプのトマソンを紹介しましたが、トマソンはこのように街が少しずつ変容していく中で大量に生産されるもののようです。
初めから区画整理された街ではなく、古い町並みが次第に新しい町並みに変わっていく現場に、まさに化石のように何が起こったか証言してくれる物体が発生する。それに着目するのが「考現学」です。

次のトマソン疑惑物件は市役所横の謎の階段です。
津山市役所の横には滝と流れとこの階段があり、夏になると水が流されて涼しげな景色となります。

いたずらっ子が飛び込んでバシャバシャするのもアリですが、夕刻には散歩中の犬まで飛び込んでバシャバシャやっていますから、いい大人がバシャバシャするのは避けた方がよかろうかと思います。
水は水道局から直接調達し、掃除もこまめにされているようですから衛生上の問題はなかろうとは思いますが。
おおっと、これは「ジュンスイカイダン」ではなく「シンスイカイダン」でしたか。
無用ではないという点でトマソンとしてはいささか失格との判定です。

これに類似した物件として、私は現物を見たことがありませんが、倉敷市役所には滝があるそうです。
「滝沢市長が市役所に滝を作った。」と、悪口を言われていた記憶がありますが、津山市役所に流れを作ったのは永礼市長ではなく、生末市長でした。

「親水階段」は宮川沿いや河川改修の終わった皿川沿いに多く見られます。
新しいものほど手が込んでいて、ひょっとして純粋階段ではないかと気にはしているのですが、これはいささか時代が下って「ほんとに何を考えてこんなの作ったんだろうね。無駄やなあ。」と言われるまで時を経ないとトマソンとしての価値は決まらないもののようです。

市役所製純粋階段疑惑物件をもう一つ。これはグリーンヒルズ津山のリージョンセンターに付属しているものです。

なかなか立派な物件ですが、階段のてっぺんにドアがあるためにトマソンになりそこねています。
この階段も子供たちにとって人気があるようですが、ピラミッド状のこの階段はいびつに作ってあるために写真に写っていない面はかなり急になっており、ちょっと危ない気がします。
この場所には石畳に噴水が噴き出している所があり、夏に子供を連れて行くと子供が夢中になって遊ぶポイントです。

丘の反対側には巨大なガラスドームの温水プール「グラスハウス」がありますが、これにはトマソン疑惑の目を向けないようにしましょう。
お役所の作るものに遊びや無駄があるのはある種の必然です。どういうわけかそれが美学の範疇にまで及ばないのは残念なことではありますが、完全に無駄な不動産で、存在感を保って維持管理されているなんてことにはならないでほしいものです。

次は宮川沿いの純粋階段疑惑物件です。
左右の写真は同じ階段の両側ですが、階段の上端にガードレールがあって利用を妨げています。
この付近には同じような階段が3つあります。

ううむ。これはなかなかハイスコアです。ほとんど完全なトマソンです。

住宅地があり、川がある。とするとこれを結んで水に親しむための階段を作らなければならない。よし、作ってみたぞ。でも立派過ぎて車でダイブしてしまう人がありそうだ。それじゃガードレールで「通れませんよ」としておこう。さあ、これで完璧だ。
トマソン生成過程にいかにもありそうな、ちょっと落語のオチみたいな事態がここで起こったにちがいありません。

落語のオチみたいな、というのは「歯医者さん、歯が痛むんだが見てくれねえか。こりゃあ腐っているから抜くしかないな、二両で抜いてやるよ。え?二両たあちと高けえな、こっちの元気な歯と二本抜いて三両にまからねえか。いいよ、今日だけ負けてやらあ。よし、今日は儲かった。」なんてのを思い出します。
おかげでこの地区の住民は、ガードレールをまたぎさえすれば10人やそこらは並んで歩けるし、車が落ちる心配もない立派な階段を3つも手に入れたのでした。

しかし、私が「ほとんど完全なトマソン」としたのは、やっぱりちょっと利用可能性があるからです。
階段としては不純階段に属するのかもしれません。むしろトマソン化しているのはガードレールの方かもしれません。

しかしまあ、時には分析するのをやめてこの奇妙さを鑑賞するのもありではないでしょうか。
本当の、真実の純粋階段を探してまだまだ探索は続きます。

ホームセンターナンバ河辺店の店頭でこれを見つけました。
不動産でないし、無用でもないのですが、通じるところのない階段といえばこういう姿です。
初めは純粋階段を販売しているのかと仰天しましたが、よく見ると階段用すべり止めマットの陳列用階段であることがわかりました。

俺もこういうの作ったことあります

演劇部の大道具でな

そうか!純粋階段を捜し求めるばかりでなく、自分で作るという手もあるのか。
そればかりでなく、自分が純粋階段をかつて作ったことがあるなんて。
激しく懐かしく思い出してみたりもしました。

この場所は他にも奇妙な特徴があって、何より階段の向こうに壁がありません、店舗の中のはずですが、その向こうの黄色いシートをめくれば空が見えて日の光が降り注いできます。
あるはずのところに壁がないというのも超芸術的体験です。
また、以前にはここにガードレールがありました。カーテンの向こうに今でもあるのか、隣の通路だったかは今のところ未確認ですが、ここはトマソン多発地帯に違いありません。

そして、2年に及ぶ探索の後に初めて純粋階段の要件を満たす物件に出会ったのです。
細い路地の奥にそれはありました。特に美麗な物件でもありません。後ろに引けないのでいい写真も撮れません。
そこに階段があったのです。そしてどこにも通じていません。上りきったところには床の裏側が見えているのみです。

トマソンの定義で

  1. 不動産に固着したもので
  2. 使いようがなくて無用になっているけれども
  3. 何かたたずまいが変な物
さらにその成因が障害物や横着や予算不足によるものでなく、維持管理や掃除がなされ、存在感を誇示していることにより不純階段と区別されます。
しかし、これが超芸術か?これが美学か?
捜し求めて来たものが、拍子抜けするほど簡素で貧相な物件だったのは意外でした。

確かに全く使い道のないその階段は、ここまでレポートしてきたような、一見使い道がないようだけれどもよく見ると何かの役に立っているものとは全く違った存在感を持っていて、私はそれに打たれました。こんな感覚も2年あまり捜し求めていたからこそ感じるものでしょうか。
そしてまた「幸せとは幸せを探す旅そのもの」ということもどうやら事実のようです。
いやいや、まだまだ面白い純粋階段はあるでしょうから、またいずれレポートできることと思います。


「なべのさかやき」目次に戻る