散歩のついでにトマソン

-路上観察学2004-



このホームページで扱うテーマの中に、路上観察学というジャンルがあります。
町を(村を)歩いていて見つかる妙なもの「トマソン」を探し、その妙味を味わう学問です。
この2年ほどの間に、また趣あふれるトマソンが見つかっていますのでここに報告します。

不法投棄の罪

不法投棄は罪です!

でもこの看板は生きたウルシの木に直接ビス止めされているようです。
これは私の定例散歩コースのかたわらにある看板で、このあたりの土地所有者は確かに不法投棄に手を焼いているのでしょう。このほかにも「不法投棄は文化都市津山市の恥!」と手書きで記された看板もあります。
しかし、不法投棄防止の大義名分の前に、植物愛護の精神が踏みにじられているところが気にかかります。

ウルシの木だからいいって?

散歩でこのコースを通るたびに私には、枝を刈り払われ、生きたまま看板をネジ止めされてしまった木の悲鳴が聞こえるようなすさまじさを感じるのですが。

上記の写真から1年後。
久々に見たウルシの木は成長して、みごとに仕返しをとげていました。

大自然の逆襲

看板は、下の端だけビスで木にしがみついていますが、木はかまわずに成長して、その存在感を取り返していました。
今度は看板の悲鳴が聞こえてきそうな事態になっています。

次も定例散歩コースのかたわらにある物件です。

屋上屋を架す

「屋上屋を架す」とは、重ねて無駄なことをするという意味で、その実例があるならばまずトマソンと考えていいでしょう。
それが、世の中には実際に屋上屋を架してしまう人がいるんですね。私の散歩コース上に。

「屋上屋を架す」実例で有名なものは平泉の中尊寺金色堂です。
これは建物全体が金箔で覆われているため、その傷みを防ぐ目的で覆堂が作られたものです。
しかし、我らが「屋上屋を架す」物件は、どう見てもプレハブ小屋です。
きっとこのプレハブは黄金の柱に金箔の壁を張って金の延べ板で屋根を葺いた上に、灰緑色の塗料を塗って何の変哲もないプレハブ小屋に偽装しているのでしょう。

この物件は1年たってもこのままの状態で現存しています。

この物件の近くに、言われなければ気がつかない物件があります。

田んぼの中の島

田んぼの中に島があります。
この田は毎年この場所をよけて耕され、この場所をよけて田植えをしています。
何か耕すのに邪魔な岩でもあるのでしょうか。
私が小学生の頃までは、こうした田んぼの中の島はいくつかあって、ここ数十年のうちに急速に姿を消してしまい、私の知る限りではたった一つになってしまいました。

これはトマソンといえばトマソンですが、もっと深い由来を持つもののようです。
聞くところによると、戦国時代にこの辺に毛利とか尼子とか宇喜多の出城があった頃、合戦があるとそれぞれの城から兵が打って出てこのあたりの田んぼを戦場にして互いに戦っていたそうです。
合戦において位の高い武将が戦死すると、首級は討ち取った者の手によって持ち去られてしまいますが、体は戦死したその場所に埋葬されていました。
別に聞くところでは、56億7千万年後に現れる弥勒菩薩の世が来る頃には天地はひっくり返って今の上が下に、下が上になっているから、そのときに生まれ変わるために足を上にして縦に埋葬されたともいいます。
この土まんじゅうはその400年とちょっと前の戦国武将の墓だということです。

このあたりの田んぼは平安時代の条里制によって区割りされたものが現代に残っていますから、まんざらホラでもなく、田んぼの持ち主は全く自然に戦国武将の墓を保護しているようです。
それはそれですごいことですが、400年永らえた土まんじゅうを20年の間にドンドン壊してしまった現代はまた異常な時代というほかはありません。

次はお散歩コースを離れて津山市南部の福田地区です。

由緒ある純粋階段

国道からもよく見えるこの石段には、以前から私は何か疑念を持っていました。
トマソンに関する嗅覚というものがあればそれに違いありません。
とうとう、用もないのに車を止めて、デジカメを片手にその石段を登ってみました。
石段の上には広場があって、石碑がひとつ建っています。
石碑には「八幡神社旧址」と書いてあり、別の面に「大正十二年十月二一日合祀于佐良神社」と記してあります。 ここまで解き明かしてしまったらトマソンとしてのありがたみが薄れてしまいますが、この石段は神社の合併によって大正時代に純粋階段となってしまったもののようです。
私が以前捜し求めていて見つけた純粋階段はいずれもちゃちで歴史の浅いものでしたが、この石段は規模・風格・由来ともに格調高い純粋階段でした。

さらに国道53号線をたどって岡山方向に進むと、久米南町の道の駅付近に次の物件があります。

最小車庫

世の中で最も小さい車庫がここにあります。
実用に供されていますが、軽トラックが入りきれていません。
たまには乗用車が入っていることもあります。
実はこの車庫、第T期工事と第U期工事と2回の工事によって現在の姿になっており、第T期工事による供用開始時には奥の柱4本だけのサイズの、軽トラックの車室すら入りきらない車庫でした。

次は岡山市内です。

ひまわりの庭ひまわりの庭2005

毎年この庭には10本ほどのひまわりが植えられていますが、幅がレンガ1枚の幅と同じ、12cmほどしかありません。
今年は花の盛りの時期を逃したのでちょっと枯れたひまわりしか撮れませんでしたが、毎年庭の広さを限界まで使い切って元気のよいひまわりが並んでいます。
実際にひまわりが咲きそろったときは何か賞でもあげたくなるようなみごとな庭ですから、一度ごらんになってください。(伊福町と奉還町の境目あたりです)

これで、今年度のトマソンは出尽くしですが、昨日国土地理院の新しい地図閲覧サービスを見ていたら、妙なものを見つけました。

?草

直接リンクすればhttp://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/bl.cgi?b=350100&l=1333428です。
国土地理院の地形図もその作り方がだんだん進歩してきて、昔は航空写真を人力で読み取って地図化していたものですが、最近はレーダーやレーザー光線で自動的に地図を生成する技術によっているようです。
地名の写植も進歩し、デジタル的に地名を載せるようになったのでしょう。ところが、地名の中にシステムが判読できない外字が含まれていて、半角の「?」マークに化けたのではないでしょうか。
地図の公開方法もまた進歩して、こうして製作途中の地図を試験公開したために世間の目に触れたのだと思います。
昨日発見して早速盆休み中の国土地理院に報告しておきましたが、果たしていつ修正されるのでしょう。
それとも、ここの地名は本当に「?草」なのでしょうか?
トマソンは本当は「不動産に固着している」ことが条件ですが、国土地理院がやっちゃったことでちょっとトマソンの仲間入りしてしまいました。

こうして「何日たったら直るかな?」とたかをくくっていたら、翌日の月曜日午前中に国土地理院の担当の方から「不備を修正し、更新しました。」というメールを頂きました。
見ると確かに文字は直っています。

やな草

ちなみに、既に刊行されている地図ではこうでした。

!草

この文字はJIS第2水準にもありません。
どうやら、上記の予測

  1. デジタル的に地名を載せている
  2. システムが判読できない外字が含まれている
  3. 製作途中の地図を試験公開している
が当たっており、
「ここの地名は本当に?草である」
が外れだったようです。

ここは、すばらしいResponsibilityを示した国土地理院を賞賛して締めくくりましょう。


6年も経ってから追記というのは「何を今さら」ですが、この記事中の田んぼの中の島物件に続報です。
田んぼの中の杭

たまたまこの田んぼ(上で紹介した田んぼとは別の田です)の近くで道路工事が予定されているので、測量が行われたようです。
私が小学生のころにはたしかここにも島があったのになあと思っていた、その場所に、楕円形に意味ありげな杭が打たれています。 要はここは周囲の田んぼと別の地番がついていて、田とは違う由来を持っているということです。

上で紹介した伝承が真実ならば、400年あまり経った今でもなお、そこに斃れた武者の霊はこうして目に見えざる形をとってこの場所にとどまっており、きっかけを得ると姿を現すということです。
散歩のついで、たった5本の杭に戦国武将の霊を見る、そんな不思議なことも本当にあるものですね。
(10.03.07追記)


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