台風11号の衝撃

-台風の多かった今年に思うこと-


今年は台風直撃のとりわけ多い年でした。
まだ終わりではないようです。
今夜は台風23号(TOKAGE)が奄美大島のあたりの直撃コースを北上中で、さらに南には台風24号(NOCK-TEN)がそのあとを追ってきています。

今年の被害が大きかった台風としては、16号(CHABA)、18号(SONGDA)、21号(MEARI)があります。
16号と18号はよく似たコースをとっており、はじめ北西に進んだ後、沖縄近海で急に北西に向きを変え、急加速しながら本州の日本海側をかすめました。
大潮近くの満潮時の夜中に日本を縦断し、高潮による大きな被害を出したところや、雨が少なくて強風を伴う風台風であったところも共通しています。
今夜接近中の23号も同じような道筋を通って来ていますが、今度は雨台風のようです。

21号は中国地方をそれたので、岡山県での印象はうすいのですが、広戸風コースをまっしぐらにやってきたので私としては大いに注目していました。
結果は秋雨前線が関係していたため、終日空は曇っており、第二の風枕ははっきりせず広戸風と言えるほどの風は吹きませんでした。
典型的な広戸風は日本原高原の上空が晴れていなければ吹かないはずなので、それを裏付けたわけです。
勝北中学校の体育館の屋根をはがした台風は今年の16号ですが、これは南風だったのでやはり広戸風とは呼べません。

さて、今年は台風の当たり年だったと後世まで記憶されることでしょうし、16号、18号で忘れ得ぬ被害を受けた方々も多いと思います。津山で平成10年の台風10号(ZEB)被害の処理に携わった時と、被災や片付けの状況がよく似ており、関係者の苦労が偲ばれます。心からお見舞い申し上げます。

さてここからが本題です。今年私を最も驚かせたのは、上記のような「有名な」台風ではなく、当たり年の今年の台風の中で最もショボい台風、11号(MALOU)でした。

下のコース図は気象庁のホームページから無断で拝借してきたものです。
一見、直撃しているように見える台風です。たしかに直撃でした。
8月2日に南海上にあったフツーの低気圧が、のらりくらりと接近して、2日後、北緯30度を越える頃(屋久島とほぼ同じ緯度であることに注目してください)になって、突然台風となりました。
そして半日後に上陸、さらに半日後に消滅したのです。


被害というほどの被害はほとんどありませんでした。
そういえば5日後の8月10日に奈良県大塔村で国道168号線を含む山腹が立ち木を載せたまま崩落したのはこの台風の影響だったようです。この衝撃映像は何度も放映されましたから記憶されている人もあるかと思います。 その画像は確かに印象的でしたがそれ以上に私はその台風の意味することに驚きと怖れを感じました。

台風というのは熱帯の熱が塊となって北へ吹き抜ける現象です。
それが屋久島ぐらいの緯度まで忍び寄ってから台風になるということは、日本近海にも台風を成長させるエネルギーがあるということ、すなわち日本が亜熱帯になりかけているということではないでしょうか。
地球温暖化と言われて、夏ごとに暑さは厳しく、冬ごとに雪は少なくなっているのも肌で感じますが、日本はぼちぼち亜熱帯の仲間入りですよと宣告されてしまっては、寝苦しい熱帯夜や長雨、台風と気の重いことばかりです。
何より自分の人生のうちで、これほど気候が変動してしまったのを目撃してしまったのでは、地球の環境がこの先どれほど変わっていくのかという怖れみたいなものも感じます。
なお、私は単なるアマチュアであり、この文章は単に思ったことを綴ったまでです。日本が亜熱帯になった、あるいはなるという確かな証拠はありません。
しかし、それを逆戻りする気配や手段がないのも確かなように思います。

話変わって、最近の台風報道には名前が付いているなと思っていたのですが、今回の23号にはまた「とかげ」というベタな名前が付いていました。
何でも12か国の政府が出しあった140の名前を2000年1号から順番に付けているようです。

日本のお役所が提案した名前は「てんびん」「やぎ」「うさぎ」「かじき」「かんむり」「くじら」「コップ」「コンパス」「とかげ」「わし」です。気がつく人は気がつくでしょうが、全て星座の名前です。
あまり強そうな名前をつけるのもいけませんが「うさぎ台風」や「コップ台風」が実在したというのもなんかひょうきんです。

また、調べまわっているうちにデジタル台風というページにたどり着きました。
ちょっと探せば津山の人なら忘れ得ぬ1998年10号台風のデータを見ることが出来ます。
10号台風の沖縄あたりにあったときは900ヘクトパスカルというものすごい威力を持ち、くっきりした目を持っている衛星画像と、上陸して急速に衰えながら激しい雨をもたらした雨のデータを何度も見て、年末までかかった苦しい後片付けの日々を思い出しました。


甘く見ていた「とかげ台風」は、私がいまだかつて見たことがないような強風をもたらしました。

消防団員としての私が見たものは、ティッシュのようにくしゃくしゃになって飛ぶ無数のトタン板(畳1帖サイズ)、倒壊したガレージや小屋、約1割と見積もられる家が屋根瓦を飛ばされ、道にはスレートの破片がちらばり、倒木が県道をふさぎ、挙句には電柱が倒れ、6600Vの高圧線が県道をふさいで横たわっていました。
風速50m超を記録した暴風雨の中で、赤く光る棒状ライトで交通整理をしても、3分の2の人は理由を聞くまで迂回してくれません。ヘルメットは飛ぶ、目は開けていられない。突風には時たま砂利が混じって飛んでくることさえありました。長靴には一番上まで水が溜まったままです。
見回れば町の半数は停電のまま夜を明かしています。高圧線に飛来物が巻きついて、風の強い間は手が出せないのです。

我が家の被害はサッシ1枚と屋根瓦3枚でしたが、とかげ台風もまた多くの人々にとって忘れ得ぬ台風となってしまいました。(04.10.20追記)


われわれを悩ませた電柱(翌朝)
その後次第に判明した台風23号による被害状況は、10月22日夕方現在で死者77名、行方不明14名となっており、この20年では最悪の犠牲者数となったことが判明しました。
兵庫県の豊岡市では町のほとんどが水没し、全世帯の7割が浸水の被害を受けたということです。
また、優美な姿の練習帆船「海王丸」が航行不能になって富山県の漁港に座礁し、大きな被害を受けたことも繰り返し報道されました。

一方、津山市では北部の山沿いで住宅の被害が大きく、屋根瓦を全て飛ばされた住宅や、納屋や車庫が全壊したところも少なくありません。
東一宮地区では電柱が多数倒れ、高圧鉄塔が倒れたところもあるようです。
私が目撃したように、多くのトタン板がまるでティッシュペーパーのように飛び回ったために、送電線の被害が大きく、多くの世帯が停電となり、翌日になっても回復しないところが多く残りました。

屋根がもぎ取られた住宅や、電柱が倒れた姿はすさまじい印象を受けますが、平成10年の水害とは様子が違います。
被害地域に面的な広がりがなく、被害家屋は個別に散在していること、交通のマヒがないこと、浸水でなく雨漏りの害だけなので乾くのが早く泥が残らないこと、などの違いから、人々は助け合って急速に立ち直っている感じがします。
こんどこそ今年の台風はこれでおしまいとなってほしいものです。

今年はほんとに変な夏でした。
普段は中国・四国・近畿・東海あたりを悩ませる梅雨前線が、備えの手薄な北陸地方を襲い、普段沖縄や九州を襲う強さや頻度で台風が本州を縦断しました。
8月いっぱいは日中の酷暑のあとに必ずスコールが来る毎日でした。
本来グアムやフイリピンで発生するべき台風がいきなり四国沖で発生するのもこれと一連の現象なのではないでしょうか。
これらの事象に共通していることは、気象現象が従来よりすこしずつ高緯度で起こっているということです。

実は北緯30度付近で台風が発生することは、以前からあったことで、次第に増えてきたとは言えないようです。その点では私の主張は当を失しているのかも知れません。
しかし、今年は台風の上陸数が観測史上最多の10個という新記録となり、トカゲ台風は観測史上3番目に遅く上陸した台風です。
そして遅く上陸した台風のもたらす熱気は、すでに冷え込みの始まった日本列島の冷気と大きな温度差を生じるため未知の激しい気象現象をもたらしたのではないかという指摘もあります。
そういえば平成10年台風10号は10月17日に上陸して激しい降雨の被害をもたらしたことを思い出します。

大きな災害を目の当たりにした今、「これは数十年に一度の特殊な事例」と考えずに、その大きさの災害に耐えられるよう備えを強化していくことは少なくとも必要なことだと思います。(04.10.24追記)


この台風23号による降雨は、新潟県中越地震の地すべり被害がひどかった原因であったことも付け加えておきます。

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