忘れ去られた石仏

-丹後山のおこり石-


「津山学ことはじめ」という本があります。
津山の歴史に関する話が100話載っていて、「面白そうな津山ネタ」を探す私にとっては大変読み応えのある本です。
この本に丹後山の石仏の話が載っていて、私はどうしてもその石仏に会いに行ってみたくなりました。

石仏といっても、単なる平べったい大岩で、祠も屋根もなく、ゴロンとひっくり返って木にもたれかかっています。
場所は大隅神社の東。本には写真入りで紹介されているのに、私はかれこれ3年も実物を見つけられずに、折に触れては捜し求めていたのです。

この石は本来、霊験あらたかな石で、ある病気を治す力があるという伝承がありました。
その病気とは「おこり(瘧)」といって、周期的な高熱に襲われる病気で、現代でいうとマラリアに近い熱病だったと考えられています。
源氏物語の「若紫」の巻で光源氏が患った病気がこの瘧で、「わらわやみ」と呼ばれています。この病気を有名な祈祷師に直してもらいに出かけたことが紫の上と出会うきっかけになりました。
普通、病気平癒の祈願をするには賽銭やお供え物を捧げたり、治ったときにお礼の品を持って行ったりするものですが、この「おこり石」に祈願をするときは石を荒縄で縛って、「病気を治したらほどいてやろう」と石を脅すことになっていました。
霊験あらたかな石に意地悪をして病気を治してもらおうだなんて、何だか非常識です。
1815年(文化12年)の『東作誌』の記述はこうなっています。
「大隅宮東の山の嶺に石仏あり。瘧を病むもの此石仏を荒縄にて縛り、瘧を落とし玉つらば縄解きて免すべし、とて戻るに必其病癒ゆ。其時縄を解て帰る。此山野狐の住所といふ」

この本の記述を頼りに、大隅神社の鳥居の下に自転車を停め、東の谷を何度も上り下りしたり、点在する墓地や畑を探索したり、「まむし注意」の看板におびえながら山林に分け入ったり、草に埋まっているのかもしれないと冬に探したり、この3年の間に5−6回もそんな探索をしてみましたが、なんとなく石仏は見つかりませんでした。

今回は本の記述をよくよく読み返して、「嶺」の字を見落としていたのかもしれないと思い当たりました。
今までは大隅神社を起点に谷ばかりを探していました。谷を登りきったら右も左も津山東高校のグラウンドで、平日も休日も部活動の高校生がウヨウヨしていますので、胡散臭いおっさんである私としては近寄りがたかったのです。

夏じゅう草ボウボウで通れなかった畑のあぜを通ると、今度は今年の台風23号(TOKAGE)で木がメチャクチャに倒れてジャングルジム状態になっています。それでも細い道が木の間をくぐり、丸木の上を渡って続いているのは、私の探す石仏への道でしょうか?
いえ、これはグラウンドから飛び出したテニスボールを下級生が拾いに行かされるシゴキの道でしょう。
それにしてもひどいことになっています。石仏は倒れた木の下敷きになりはしなかったのでしょうか。

チェンソーで切り開いてある道に出て、その先の墓地を通り抜けると、ちょっと開けたところに数本の木がまとまって立っています。 本にある写真によく似た景色だと思って近づいたら、そこに捜し求めていた石仏がありました。

わりと薄っぺらな岩で、みごとに倒れてしまっています。しかし、誰かが野の花を供えているし、周囲のクマザサも刈り払ってありますからすっかり世間から忘れられているわけでもないようです。
近づくとザラザラの表面に何か文字が彫ってあるのが判りますが、中ほどの「修」の字がわかるくらいで読み取れません。

「瘧」が日本から駆逐されてしまって、役目を終えた石仏ですが、ひっくり返って笹藪に囲まれても、こうして大切にしてくれる人がいるのですね。
むしろ現役で病気を治していた頃の方が、縛られたり脅されたり何かと大変だったかもしれません。

こうして出会ってみるまでは、霊験あらたかな石なのだから祠を建ててまつるか、せめて起こしてあげる必要があるのではないかと思っていたのですが、そっと大切にしている人々がいるようなので、役目を終えた今はこのままでもいいのかなと思いました。


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