広げようトマソンの輪

-路上観察学2005-


最近、このページには堅苦しくて画像の少ない話題が多くなってきました。
これは、本業が多忙のため、のんびり取材する暇が持てないことが理由の一つです。
たまには趣味的にハジケた話も必要だとしみじみ思います。
今日は、1年間撮りためた路上観察の大放出をいたしましょう。

うねり電柱

電柱がうねっていますが、これはがけ崩れによって曲がったのではなく、初めからこの形に鉄筋コンクリートで成型されたものです。
私の知るうねり電柱は2つあって、この物件は勝山(真庭市)の国道181号線沿いにあるものです。
もう一つは鳥取県の浦富海岸に程近い道路に立っています。

電柱を立てた土地には電力会社が借地料を払ってくれるわけですが、快く貸して貰った土地の上空にがけがせり出していたわけです。
普通ならがけを削るか、道路の方に電柱をハミ出して立てるわけですが、川沿いの国道で、これ以上道幅を狭めることはまかりならんとかいう事情があったのでしょうね。
道幅を確保し、がけをきわどく回避し、目的を果たしたかに見えるうねり電柱ですが、
大型トラックなどが通ると、やっぱり邪魔になるのではないでしょうか。

大海を知らず

とおりがかった田んぼの中のため池に、・・・
おい!池のサイズの割にボートがデカすぎないか?
このボートの持ち主は、たまにはボート君に本物の大海原を見せてやっているのでしょうか?
たまには、ボート君はこの池で全力疾走の練習をするのでしょうか。
「井の中の蛙大海を知らず」という言葉が頭をよぎる物件でした。

私設親水階段

以前、「純粋階段」という種類のトマソン(無用だが、管理されていて、不思議な存在感を放っている不動産)を探し求めていたことがありますが、これは「親水階段」です。
普通は河川の管理者が堤防を作るときなどに、市民が水に親しめるよう、浅瀬に下りる石段などを整備するわけですが、コイツはめちゃめちゃ私物くさい存在感を放っています。
しかも、材料がそこらへんから拾ってきた石です。
利用目的も、水に親しむよりむしろ、野菜を洗うとか何か、生活のにおいがめちゃめちゃ感じられます。
まさか船着場ではないと思うのですが。

その労力、存在感は賞賛に値しますが、川の流れを妨げてはいけないという何かの法律に抵触していそうな予感がします。

高所ドア+純粋階段

行く先のない高所ドアを探していたら、こういう物件もありました。
いやぁ、コレは屋上に上がるための階段でしょ。
いいえ、階段の上端には、出口はないのです。

この物件の存在する理由をあれこれ考えてみると、 夜も眠れなくなりそうな謎です。

屋上屋を架すPart2

昨年も、「屋上屋を架す」物件を見つけて、面白おかしくレポートしたのですが、
今年の物件は、昨年のものにも増して異様な存在感を放っています。
2階建ての倉庫の1階に、平屋の倉庫がまるまる収納されているんですが、何かこんなことをする意味があるのでしょうか。
私も恐ろしくて中身を確かめることは出来なかったのですが、中の倉庫を開けたらまさか、もう一つ倉庫が建っているとか言うオチはないのでしょうね。

ツタのからまる窓

「ツタのからまるチャペルで・・・」という歌い出しはペギー葉山の「学生時代」、ツタのからまる建物は私にとっても、ほろ苦く美しい青春の思い出(あまり美しくない)につながるのですが。
このツタは窓の内側を埋め尽くしているぢゃないですか!
きっとこれは「電導ヅタ」に違いない。
そしてその内側に閉じ込められた人々が、互いを疑いながら、姿の見えない暗殺者にひとりまたひとりと殺されていったのです。(出典「11人いる!」萩尾望都)

この建物の中はどうなっているのでしょう?私の感じた恐怖感をどうぞ一緒に味わってください。

ちょっと怖い客寄せ

「必勝」はちまきを閉めて絶叫するゴリラの弟!
岡山駅の西口近くに「それ」は立っていました。
兄弟にも見えますが、実はマネキンです。
マネキンといえばお客を呼び寄せる「客寄せ」の効果を期待するはずですが、これは案山子と同じく「客除け」の効果を発揮してしまいそうです。

私も実際、信号待ちの車内でふと気づいたときはギョッとしました。
こんなシュールなマネキンを置くのはどうかやめてください。

喜びの女神その1

今度は道ばたに満面の笑みを浮かべた女神像が建っていました。
銘板には「油木上中組 道路改修通行記念碑 昭和五十三年二月吉日完成」とあります。
右手には地球儀。これは「私たちの道が、世界につながった」という晴れやかな喜びを表しています。
左手は折れていますが、鳩がコウモリのようにくじけずぶらさがっています。
頭上には後光のような冠が輝いています。
思えば昭和50年前後は、日本中がモータリゼーションの波に洗われ、車の大衆化と高性能化が急速に進んだ時代でした。
「車が通れる道がうちの村にも開通した」という喜びは、本当に光を伴って女神が舞い降りたような僥倖だったろうと思うのです。

喜びの女神その2

女神の笑顔があんまり真実の喜びにあふれているので、もう1枚。
腕は折れても、鳥のフンがこびりついても、女神のこの笑顔は真実の喜びを今に伝えているのです。
それから四半世紀余り、たったの27年なのですが、この女神の笑顔をしみじみと見つめると、その間に私たちは大切な何かをなくしたような気がするのです。

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