Jeepはもはや三菱のクルマではない

-隠蔽される三菱ジープの歴史-


私のホームページに時折現れる茶色のジープは、ここ2年半ほど資金不足のため車検が切れて不動産となっていましたが、今年はがんばって車検を通してみました。

晩秋のフルオープン
素っ頓狂なクルマだと自分でも思いますが、フルオープンの爽快さ、類のない悪路走破性、メカトラブルの少なさ、スポーツフィールさえ感じさせる軽快なエンジン、今のクルマでは楽しめないキャブレターとの対話、雪が降っても楽しい、かんかん照りでも楽しい、土砂降りでもぬかるみでもOKなどなど、走っていると楽しくてたまらないクルマです。
このクルマのささやかな欠点(荷物は積めない、人も積めない、燃費悪い、排ガスはクサイ、すぐ錆びる、クーラーない、リクライニングシートない、窓は開かない、雨漏りする)もすぐに忘れてしまいます。

外を走って帰ってきたら、ジープの歴史やメカニズムに思いを馳せて、ネットでいろいろ調べてみたりするのも楽しみです。

ところが、おや、三菱自動車のホームページに載っていた「MITSUBISHI JEEP WebSite」(www.mitsubishi-motors.co.jp/docs4/graphiti/jeep/ 今は三菱自動車のトップページにジャンプしてしまいます。)のコンテンツがなくなっています。

それは、三菱ジープが製造終了となった平成10(1998)年に、限定300台の最終生産モデルについていた、「三菱ジープ最終生産記念誌」の内容をWeb化したもので、三菱ジープの歴史、メカニズム、ラインナップ、パーツリスト等を網羅した、三菱純正の公式記録でした。

それが、アクセスしても三菱自動車のトップページにジャンプするばかりで、探してもどこにも見当たりません。
どうやらこの10月から11月にかけてのいつかの時点で、三菱自動車のホームページから削除されてしまったようです。

あれほど耐久性のないクルマを売っているホンダでさえ、旧車のオーナーは大切にされています。(私が感動したのはこんなページ
三菱は、こんなに簡単に旧車のユーザーを切り捨ててしまうのでしょうか?三菱自身にとってもジープは特別なクルマではなかったのでしょうか?あのコンテンツを公開しておくことぐらい、コストがかかるわけでもなし、新車が売れる邪魔にもならないでしょうに。

そこで私は、三菱自動車にコンテンツの再公開を依頼するメールを送ってみることにしました。
三菱ジープを所有・愛用している者です。
御社のホームページ改訂にあたって、
三菱ジープ最終生産記念誌の内容を公開していた
MITSUBISHI JEEP WebSite(www.mitsubishi-motors.co.jp/docs4/graphiti/jeep/)が削除されていると思いますが、
あのコンテンツは、三菱ジープユーザーの心のよりどころであったり、
他にジープを紹介するための最も有力で確実な情報源であったり、
私どもにとって非常に大切な情報でしたので、
アドレスが変わっても構いませんから、何とかして公開を継続していただくことは出来ないでしょうか。
何卒検討よろしくお願いします。


早速返事を頂きました。三菱自動車とのお約束により、原文を掲載することはできませんが、要点はこうです。
  • 先日ホームページのリニューアルの際にジープのページを削除した
  • 既存のページには「Jeep」のロゴを使用しており、商標権の問題等から公開継続ができなかった
  • ジープ関連ホームページの継続要望は関連部門へ伝える
  • ユーザーに対するこの冷たい仕打ちに、いかなる返事が来ようとも断固抗議しようと思っていた私ですが、聞いてみれば納得です。
    Jeepはもはや三菱のクルマではないのです。
    Jeepを46年間製造し続けて、三菱自身もこのクルマから多くを学び、現在の三菱車にも時折Jeepの香りを感じることがあるにもかかわらず、Jeepのライセンス生産が終了した途端に、ホームページにJeepの文字を載せることさえままならないことになってしまっていたのでした。

    Jeepといえば今はクライスラーが作っていますが、三菱のジープとは似ても似つかぬほど肥大化しています。ワイルドでパワフルなのをお好みの方はそれでいいでしょうが、三菱のジープの楽しさや価値というのは、また別のところにあります。

    そもそも、Jeepの起こりは1941年から生産の始まった「ウィリスMB」と「フォードGPW」に始まります。このクルマがアメリカを勝利にみちびいたと言っても過言でないぐらい、第二次大戦では活躍しました。ボンネットの低い、ミリタリーファンにはたまらない非常に格好のよいジープです。
    MBとGPWの後継は1950年に登場したM38(MBに似てボンネットが低い)と、それに強力なFヘッドエンジン「JH4ハリケーン」を搭載して、ボンネットがモッコリ盛り上がったM38A1(1952〜)でした。時期が朝鮮戦争と重なっています。
    軍用車両はその後M151(1959〜、ベトナム戦争)、HUMMER(1982〜、湾岸戦争)と発展します。

    三菱のジープはM38と平行して開発された民生用ジープCJ3Aと、それにM38A1と同じハリケーンエンジンを積んだCJ3Bが始まりで、CJ3Bは背の高いハリケーンエンジンを積むにあたって、M38A1に見られたようなボンネットモッコリスタイルにせず、M38と同様のフラットなボンネットを単に高くしただけの形態をとりました。
    1953年に生産開始された三菱ジープは、この時の「M38の顔にM38A1のフード高」の姿のまま1998年まで大きな変更なく製造されていたわけです。その間道路状況の向上に従いパワーアップされ、排ガス規制に対応し、ターボまで搭載されましたが、大して肥大化もせずその歴史を全うしました。
    実は無用なクランク穴

    例えば、三菱ジープのフロントバンパーには、中央付近に丸い穴が開いていますが、これはウィリスMBの頃にはもう開いていた穴で、最初はここからクランク棒を突っ込んでエンジンを始動させるための穴でした。始動用クランクの必要がなくなっても、この穴は20世紀のほぼ終わりまで設計変更されずに、製造され続けたわけです。
    その間、華奢で燃費が良くてコロコロとモデルチェンジする日本車がアメリカをはじめ、世界を席巻してしまったのですが、その日本でCJ3Bが製造され続けていたというのはまさに奇跡だと思います。

    今回三菱自動車から頂いたメールにより、三菱自動車の置かれた立場の難しさを理解するとともに、三菱ジープが奇跡のクルマであった理由もわかりました。

    要は、三菱は当時のウィリスと「CJ3Bを製造するからね。」というライセンス契約を結んだわけです。
    当のウィリスは、ほぼ同時期にM38A1の民生用としてCJ5を製造し始めましたから、アメリカでのジープといえば、ボンネットモッコリの姿が定着してしまいました。
    三菱はというと、ジープを防衛庁に納入し始めましたから、モデルチェンジせず長期にジープを供給し続ける必要が生じてしまいました。 また、日本の道幅や用途にCJ3のままのサイズが有利だったこともあるでしょう。

    ライセンス生産であるために、勝手な設計変更は許されない、CJ3の枠を逸脱して本国の兄貴分を脅かしてもいけないし、Jeepの名を汚すモデルを作ってもいけない。
    三菱ジープが、まんま第二次大戦のジープの設計を残していた奇跡は、三菱自動車に頑固な設計者がいたわけではなく、運輸省や防衛庁の意向によるものでもなく、ましてミリタリーファンの意向を汲んでいたわけでもなく、本国アメリカで忘れ去られたクルマをライセンス生産していたという事情によっていたわけです。

    三菱自動車がジープを製造しなくなった今、Jeepの商標は三菱から取り上げられてしまって、三菱はホームページにJeepと書くことさえ許されなくなってしまいました。

    新しいホームページ上の三菱の歴史からは、奇跡のクルマCJ3Bジープの痕跡は注意深く取り除かれています。
    ミニキャブやデリカトラックは載っていますが、三菱の歴史にジープはなく、パジェロの項には「三菱4WDの原点となったモデル。」と言い切っています。おいおい、三菱さん。
    やっと見つけたのは投資家情報の一部で、できるだけ目立たないようにひっそりと注意書きに残っています。

    世間では、ライターやTシャツや自転車がJeepを名乗っているのに、三菱自動車はホンマにそれが出来なくなっているのです。

    ええ、わかりましたわかりました。ホームページにJeepのコンテンツを載せることは、少なくとも経費的にペイすることではないのでしょう。もはや販売していないクルマにロイヤリティを払うことは出来ないことなのでしょうか。

    改めてハッキリ言わせていただきます。
    いくらかの商標使用料がかかるからといって、ユーザーもろとも自社の歴史を削除してしまうことがあっていいとは思われません。
    ましてや、三菱自動車自体が、ジープに学び、ジープに育てられたクルマ屋だったのではないのでしょうか。
    三菱さん、ほんとによろしくお願いしますから。
    オリジナルで、古めかしくて、しかし新しくて、頑丈で、スポーティで、不便で、しかるがゆえに面白いこのクルマを、21世紀も末永く乗り継ぐことが出来ますように。

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