とあるバス停の謎

-「車」が停まるところ-


現在牛丼を注文できなくなっている牛丼の吉野家の「179号線津山店」のそばにそのバス停はあります。


バス停の名前は「西中入口」、津山市中心部と西部の商業地、そしてその先の院庄インターチェンジを結ぶ大通りの傍らにあります。
そこにバス停があることは知っていたのですが、ある日、中鉄バスの路線図を見ていた私は、ふと疑問を持ちました。
「このバス停には、バスは停まらないのではないだろうか?」


路線図にある「西中前」バス停は、西中の西側にあり、この「西中入口」バス停とは別の道筋にあります。

津山にお住まいの方なら、このバス路線図を読み解くことができるでしょうが、「小田中」から西の国道179号線は中鉄バスの空白地帯になっています。
さらに突っ込めば、最近新設された「院庄循環線」と「ごんご久米線」はこの空白地帯を走るバスですが、これも「新境橋北詰」より東と「美和山古墳群前」(というか向陽小学校のまん前)より西を走るようになっており、やはりこのバス停の前を通りません。
そこで私は、このバス停を取材に行ってみることにしました。何たる暇人か。

先に、この「西中入口」バス停から歩いて2分ほどの場所にある「グンゼ前」というバス停に行ってみます。

グンゼ前バス停1日20本近いバスが停まる

ちなみにこの写真の先の信号(手前のほう)が、「だめの子日記」の作者の光吉智加枝さんが交通事故で亡くなった交差点です。
冒頭の写真の国道179号線に比べたら、なんとものどかな田舎道です。交通量もさほど多くありません。
さて、いよいよ本題の「西中入口」バス停を紹介します。


ここは津山・富線共同バスが一日に一回、1台だけ停まるバス停でした。
さきほどの時刻表と違い、とても大きな字で1つだけ「17:57」と時刻が書いてあります。
このバス停で1日バスを待っていても、日暮れ時のこの1本しかバスは停まりません。

バス路線というのは、届出・認可制の関係で一旦設定されたらよほどのことがないと変更されないのでしょう。さらに言えば、道がいかに立派でも線路と川に挟まれたこの場所は、あえて路線を変更してまでバスが通る必要がなかったのでしょう。
光吉さんが事故に遭った当時は、グンゼ前の国道は津山から西に抜けるほぼ唯一の街道でした。バスもトラックも通学の自転車も全てがあの道を通っていました。
悲願のバイパスが開通して、通勤の車や大型トラックは全てバイパスを走るようになり、通りは静けさを取り戻しましたが、バスだけは当時の道筋を守っているようです。

このバス停を見て、しみじみと思い出されたことがあります。
小学校の1年生で「車」という漢字を習ったとき、私の脳裏には「一日一回1台通るのが車」というフレーズがグルグルと繰り返され、はてしない田んぼの中の一本道を走るおんぼろバスの姿が焼きついたのでした。だって、「一+日+一+1=車」ですからね。

そう、ここはその「車」が停まるバス停だったのです。

念のため申し添えますが、ここを通る「おおぞらバス」は決しておんぼろではありません。

「なべのさかやき」目次に戻る