ライバルが、いない。

-ちょいデブおやじの自転車通勤-


春です。今年も自転車通勤に向いた季節がやってきました。
自転車通学の高校生も新しい顔ぶれとなり、初々しいいでたちの自転車通学生も見受けられます。
そのなかを、ランチジャーと1.2リットル入りの水筒を詰めたリュックを背負って走り抜けるのが私です。

「アラン・プロスト、ライバルは、いない。」というCMが大昔に流れていましたが、このちょいデブおやじの暴走にいどむ高校生はまずいないので、「ライバルが、いない。」状態になっています。
今日はその自転車通勤を実況中継してみましょう。(この物語はおおむねフィクションです、そう思ってください。)
針の穴のような突破口を突け!
直線の長いところでは40km/h超のトップスピードを記録するわがマシンも、川崎の兼田橋あたりからは通勤の車を巻き込んだ混戦状態に入り、せいぜい30km/hぐらいしか出せなくなります。
車同士がすれ違う時は、車の運転者はいらだちをあらわにしながら徐行し、行儀のよい自転車は車の後ろに並んで、車がうまくすれ違うのを待ちます。

そういう状況にあった場合、車はチョンとブレーキを踏めば停まり、アクセルを踏めばすぐ30km/hに達します。
これに対して自転車は、汗水たらして達した30キロからフルブレーキング、そして加速はどうしてもクルマに劣ります。
「なんならこれは。行ったり停まったりすんなよ!生活道路にクルマが入り込むな!!抜いたろか。」と、私もクルマを抜くチャンスを窺っています。ただし、反対車線に飛び出して抜くことは自殺行為ですし、クルマのハンドルを握ることもある私はそのヤバさを十分心得ています。

イナバ化粧品店前ストレート

高校生の自転車の群れに混じりながら、チラチラと見え隠れする突破口、のるかそるかのワンチャンスを狙います。
圧倒的なパワーと、車幅を持った自動車の持つ、唯一の弱点とは、「電柱の左」です。
このストレートには、点々と電柱があり、電柱の左側はたいてい商店や民家の玄関になっています。
車がすれちがいで滞るのもたいてい電柱のせいですから、とっさの判断でハンドルを切り、ここに自転車を放り込めばクルマを抜き去るチャンスが生じます。

ただし・・・そこにたまたま玄関が開いて、ゴミ袋を提げたおばさんなんかが出てきたら、悲惨なクラッシュが待っています。
あくまでも、最後の手段と心得るべきでしょう。

荒神曲がりのシケイン
林田小学校を過ぎたあたりから、道はそれとは気づかないほどの登り勾配になります。
ここまでの激走の疲れもたまってきて、ちょっとした減速でも、続く加速に手間取り、大きな差がついてしまいます。
ちょうどそういう位置にある「荒神曲り」は、城下町の防衛のために400年前に作られた、出雲街道のクランクカーブです。

荒神曲りシケイン上から見た図

上から見た図で、黄色のラインの奥は死角になっていますから、例えば赤い四角の場所に車が接近していても見えません。理想的なラインは水色の線のように最初のコーナーをインベタで進入して、死角に車がないことを確認してから二つ目のコーナーを軽くショートカットすることになります。
といっても、あまり先を急いでいない高校生の群れも同じように理想のラインを走っていますから、そこには作戦が必要です。

まず、荒神曲りシケインのかなり手前から、抜き去りたい高校生の集団をロックオンします。荒神曲りの手前までに少し距離を残しておき、一つ目のコーナーの途中で追いつくように突っ込み重視の進入を敢行します。
話に夢中の高校生の集団は、自らのテールに接触スレスレに迫るちょいデブおやじの動きには全く気がついていません。
この突っ込みの数キロの速度差が、二つ目のコーナーの立ち上がりで大きな差を生むのです。
切り返しのポイントで死角に車がいないことを確認したら、すばやくイン側の空間を突き、全開加速に入ります。
見えないラインからのカウンターアタックで、高校生をゴボウ抜きにしたら、つけいる隙を与えないよう、全くペースを緩めずに走り去ることがポイントです。

伝家の宝刀ブレーキングドリフト
全開で高校生を振り切ったら、次のコーナーは先ほどとは逆にクランクしている「大曲り」のシケインです。
先ほどの荒神曲がりシケインに比べると、切り返しの幅が小さく、大きく右によって進入できることから、ライン取りは簡単に見えます。
しかし、荒神曲がりシケインからの全開走行で30キロを超える進入速度の上、ここは変則四差路なので、どちらから車が出てくるか全く予想がつきません。

大曲りシケインブレーキングドリフト!

切り返しのイン側にあるパイロンの脇をすり抜けようとしたら、ちょうど向こうから車が来て進路をふさがれることもよくあります。
速すぎる車速を収束させるとどめの奥の手は、得意中の得意技、ブレーキングドリフトです。
前輪ブレーキをやや早めに、それから後輪ブレーキを強めにかけると同時にマシンを少しバンクさせると、荷重を失ったリアはブレークしてマシンはドリフトに入ります。リアがブレークしたら、すばやくブレーキは放します。じゃないとハイサイドかスリップダウンが起こってまっしぐらに正面の家に突っ込むことになります。
ブレーキングドリフトの効果は絶大で、正面から来た車はたいてい進路を譲ってくれます。しかし、私のドリフトに感銘を受けたからではありません。
「馬鹿な自転車のおっさんが、無茶苦茶なスピードで突っ込んできて、目の前でスリップするけん、急ブレーキを踏まされたがな。わしゃ轢くかと思うた。」

なお、通勤の帰りに大曲り、荒神曲がりを抜ける頃は、ちょうどごんごバスがこのあたりに差し掛かる時刻になっていますから、乱暴な突込みをしたら命取りになります。帰りは常に安全運転で帰りましょう。(朝はいいんか!)

その段差を狙え
混戦の自転車バトルも佳境を迎え、最後の見せ場にさしかかります。
「舩津鮮魚店」の前の十字路にそのポイントはあります。
マンホールが路面からわずかにせり出した段差がその狙い目です。


舩津鮮魚店の看板が見えたら猛然とダッシュをかけて、十分な速度を稼ぎます。そしてマンホールの直前で前輪をリフトさせ、後輪だけでギャップに乗ります。
すると、人車あわせて0.1トン(注:人が9割)の鉄の塊はひらりと宙に舞い上がるのです。


昨年の今頃、イキのよい高校生とこのあたりでバトルになったとき、高校生を抜いた直後にこの大技を披露するチャンスに恵まれました。
やっきになって追ってくる高校生の前で、私は得意げに宙を舞って見せたのです。

高校生はますます本気になって追ってきました。それに対してシーズンが始まったばかりの私は多少トレーニング不足でした。
続く宮川沿いの軽い登りで私は力尽き、緑のリュックを背負った「東の王者」は、道行く高校生にその王座を譲りました。
ただし、その高校生がその後王者の自覚を持ったかどうかについては不明です。
10年以上バトルに負けたことがなかった私ですが、このジャンピングスポットの大技をひけらかしたために、つかなくてもいい負けがついてしまうこととなりました。
ライバルがいない、ちょいデブおやじは今日もまた、「頭文字D」のサウンドトラックを聞きながら、高校生の自転車と、おばちゃんの原付と、おっちゃんのスーパーカブと、通学路に迷い込んだ軽トラと、懲りずに無謀なバトルを繰り返しています。

この物語はおおむねフィクションです。公道を走行するときは安全運転に心がけ、交通法規を守った走行を心がけましょう。
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