水車の記憶

-水車の痕跡を尋ねる-


津山には市民が見守る水車「桐の木水車」があります。
桐の木水車
かつては数多く稼動していた水車も、現役で活躍している水車は津山市内ではここだけとなりました。
茅葺き屋根のたたずまいと、周辺の農村の雰囲気がとてもいい感じです。
この桐の木水車も、昭和の終わり頃には時代に取り残されつつあったのですが、20年ほど前からこの景観を残そうという市民有志の支持を得て補修・維持され続けてきました。

私の少年時代にはまだまだたくさんあった水車たちはどうなってしまったのでしょう。
今日はその水車の記憶を辿る旅に出てみましょう。
何の変哲もない道端の小屋が水車小屋でした
きっかけは、一宮の中山神社のすぐそばで、道ばたに朽ちかけた小屋があるのを見かけたことでした。
何の変哲もないものにこそ、路上観察の妙があるものです。路上観察者の嗅覚が働いたとしか言いようがありません。
小屋をよく見るため道をそれて反対側に回って見ると、放射状の構築物が小屋にくっついているではありませんか。ここは水車小屋だったのです。
水車小屋の内部
戸は外れていて、小屋の中を覗き込むと、水輪の壊れ具合からは想像できないほど中はきれいで、いつでも米をつくためにスタンバイしているような様子でした。

水車を世の中から駆逐してしまったのは電動の精米機ですが、これは乾燥に熱風を用いるため、米が発熱して米のでんぷんが変質してしまうそうです。いわば搗く段階で一度米が煮えた状態になるために、旨みが失われてしまうのだと、ものの本で読んだことがあります。(たしか非常に有名な美食マンガでした)
水車はコットン、コットンと非常にゆっくりと米を搗くので時間がかかりますが不自然な発熱がなく、本来のお米の旨みを損ねません。あたりまえの、昔ながらの、でも失われてしまった、非常に贅沢なお米の頂き方です。
この水車のシンプルなメカニズムを見るとそういうところに思いを馳せてしまいます。

この水車に出会ってから、私の子供の頃はまだまだあちこちで活躍していた水車がどうなったのか、レポートしてみようと思い立ったのです。

まずは先週見つけた物件。
小屋からニョッキリと八角の棒かつて水車を回していた清流がまぶしい
ここは加茂町物見地区、村落の家々の間を縦横にきれいな水が流れているのが印象的です。
家の前や横を流れる清流には、このように水車があったり、野菜を洗うための段々があったり、庭先にちょっと引き込んで鯉が飼ってあったり、人々の暮らしが清流と密接に関連している様子が随所にうかがえます。
こんなきれいな水で水車を回して搗いた米は、さぞかしおいしかったことでしょう。
この水車は状況から見て比較的最近まで稼動していたように思われます。

次は通勤の道すがら、水車があったんだろうなあと思っていた物件。
左側の小屋が水車小屋だったらしい水車を効率よく回すための水路
しだいに水車らしくなくなってきます。水車小屋だった小屋は改装されてシャッターなど付き、農機具庫か何かに用途を変えてしまったようです。
しかしその水車を回していた水路は水量豊富で調節も自由自在、かなりパワフルな水車であったことをうかがわせます。

桐の木水車のように、水車の上から水を掛ける形式を上掛水車といい、水量は少なくとも落差がある場合に用いられます。
川の流れに水車の下端が浸っていて回るのが下掛水車といいます。水量が豊富な場合に用いられます。
そしてこの物件のように水車の中途に水を受けて落差を利用して回すのが胸掛水車といいます。一宮と加茂町物見の水車も確認できていませんが胸掛水車に分類されるでしょう。
私は平野部に住んでいましたから、この胸掛水車をよく見慣れていました。近所の小川には300mおきぐらいに1つは水車があったのです。水輪の幅があってゴツくて、グイグイ回る水車は非常なパワーを感じさせました。それだけに細くて華奢な桐の木水車を見たときには私には新鮮な驚きがありました。

また、この物件で顕著なのは、水車があるところでは川が2つに分かれているというところです。
水車のあるところでは必ず何かの形で川の流れが2つに分けられています。不要な時に水車を止めること、水量を調節することなどが目的でしょう。
水車の痕跡ハンターとしては、ぜひ見逃せないポイントです。

さて、次はもはや水車だったことが信じられませんがもうしばらくおつきあい下さい。
水路だけが残る
ここは私が小学校に通った道の脇で、立派な小屋と強力な胸掛水車があった場所です。水車小屋のあった場所は消防機庫になってしまい、わずかに水路が残されているのみです。
学校帰りに水車と戯れて、グルグル回る水車をじっと見つめて、無限に上り続けるエレベータに乗っているような錯覚を楽しんだり、時には水車を手で止めて、また回り始める様子を観察したりしていた思い出があります。
今となってはよい思い出ですが、この手の水車はかなりなパワーを持った産業機械ですから、水車の下の水路に落ちたら命はありません。今の大人なら絶対止めたであろう危険な遊びです。

次は私の家に程近い物件です。
1つの川に橋が2つ
さっきの写真といい、これもまたどこが水車だと言われそうですが、これもまた水車の痕跡のひとつだろうと思います。
この場所に水車があったかどうか確かなことは覚えていませんが、かつては川が二又になっていて、この橋のすぐ下流で合流していました。
川が二又になってすぐ合流するというのはそこに水車があったからに違いありません。
路上観察学者としては、こういうかすかな痕跡を見つけてその意味するところを解き明かすのが醍醐味です。痕跡がかすかであればあるほど上物なのでこだわってみました。

さて、水車を懐かしむ旅を終えて改めて思うことは、冒頭の桐の木水車がいかに幸せな水車であるか、また貴重な財産であるかということ。それから農村の点景として非常に美しい姿を持った水車であるということでした。
また、水路が埋まり、水車小屋は車庫となり、またあるところは田んぼに還ってしまうように、農村というのは案外速くその姿を変えてしまうのだなあという事実も印象に残りました。
ただ懐古の情だけでなく、地球に優しく、人間にも優しい、本当においしいお米を提供することのできた、今となっては夢の機械。 そこに現代を考え、農村を考える視点があるのではないかとちょっと思いました。

せっかくですから補足すると、お日さまの光で乾燥し、水車でコトコト搗いたお米なら、本当に価値を知る人にとって、スーパーのお米の何倍もの価値があるということです。そんなお米を出荷できるなら、持っている田んぼの面積が何倍かになったのと同じということです。
それには手間がかかります。しかし考えてみると、手間をかけていいものを作れば高い価値で取引される…というのはモノつくりの原点です。そしてそれは電気や石油をいくら使っても追いつけない貴いものなのです。

なお、津山で水車というと、こういうところもありますのでちょっと紹介しておきます。
正躰建築のミニ水車小屋

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