ふるさと異情

-ふるさとにあっておもふふるさと-


    小景異情 その二
                室生犀星

   ふるさとは遠きにありて思ふもの
   そして悲しくうたふもの
   よしや
   うらぶれて異土の乞食となるとても
   帰るところにあるまじや
   ひとり都のゆうふぐれに
   ふるさとおもひ涙ぐむ
   そのこころもて
   遠きみやこにかへらばや
   遠きみやこにかへらばや


最近、この詩のことが頭を離れなくなって、しょうがありません。
いえ、私はふるさと津山を離れたことはほとんどありませんし、今でもふるさとに住んでいます。
ふるさとに住む私がふるさとをどう意識しているか、今日はそれをお話してみたいと思います。

私も高校の同窓会の世話をする年齢になりました。クラス会どころではない全体同窓会で、全国から大先輩を含む同窓生が集合します。地元に住む私たちはそのおもてなしのため、かなり前から準備を重ねてきています。(私はその下っ端です)

昨年その同窓会に初めて出席して、祝辞の最後にだと記憶していますが、「津山の町を、お城山が見えないようなビル林立の下品な街にしないように守っていってください」という趣旨のスピーチを伺いました。お話そのものは傾聴すべき良いお話でしたが、最後のホンネに私は強く反発する気持ちを持ちました。
津山にだって、ふるさとにだって、豊かな生活をしたり、繁栄を謳歌する夢や希望があってもいいじゃないですか。
ふるさとであるから、ふるさとであるが故に、ふるさとは、古いまま、貧しいままでなければいけないという固定観念を都(都会)の人は持っているんじゃないですか?

私はふるさと津山に残された者として、ふるさとを守り、ふるさとを豊かにし、そして帰ってくる親類、同窓、そして友人をいつでも温かく迎えることが出来るよう整えていることが自分の務めのひとつだと考えています。
ふるさとを守るということは、いつまでたっても藁屋根土壁の家に住み、手で田植えをして鎌で刈り取る、スーパーもなければゲームセンターもない、そんな生活を守ることではなく、近代的で豊かな暮らしをし、たまに帰ってくる人々を笑顔で迎えられるということ。それができる処が本当のふるさとなのだろうと私は思います。

さてそこで頭をよぎるのが冒頭の「小景異情」の詩です。
ふるさとは今でも昔とあまり変わらず美しいです。川はさらさら、風はそよそよ、燕は毎年巣立って行き、山ではカブト虫も採れます、稲はすくすく育っています。しかし都の繁栄に比べたらちょっぴり豊かではありません、幸せもほどほどです。
夢と意欲のある若者は育っていきます。しかし若者の数ほどの仕事はありません。異土の乞食(かたえ)となるとても、帰って住むところではないのです。

ふるさとを豊かに(そして願わくば自分も)というささやかな望みは、努力の甲斐なくなかなか叶わないわけですが、最近になって私のささやかな望みを妨げているものは何かということについて、いくらか気がついたことがあります。

私がたどり着いたのは「前川リポート」という文書です。はや20年以上前になりますが、急激な円高による不況を回避するために、日本はいかにすべきかという総理大臣の諮問に対して、元日銀総裁の前川春雄が座長となって出した報告書、というか政策提言です。
内需拡大とか市場開放とかがその政策の主眼で、その成果については賛否両論あるものの、当時の中曽根総理大臣はこれを尊重してこれに沿った政策を次々と推進しました。
学生だった私には経済の大きなうねりなんてサッパリわかりませんでしたが、私が社会人になった年の4月から急にナナハン等の大型バイクの免許試験の合格基準が緩和されて、諸般の事情でまだ学生を続けていた同級生が一斉にナナハン免許を取り、社会人になった私は中型二輪で我慢したという椿事がありました。これもハーレーダビットソンなどの大型バイクをもっと輸入しようという前川リポートの政策効果でした。「国民の休日」なんてのも前川リポート政策です。

さて、前川リポートにはこんなくだりがあります。(私の言いたいことだけを抜き出した超抜粋です)
基幹的な農産物を除いて、内外価格差の著しい品目(農産加工品を含む)については、着実に輸入の拡大を図り、内外価格差の縮小と農業の合理化・効率化に努めるべきである。【二−1−(3)】
製品輸入の促進については、現地生産、中間財・製品の輸入拡大等、国際分業化に資する海外投資をはじめ、構造的諸対策の着実な実施と併せ、更に積極的に取り組むべきである。【二−3−(2)】
食品や海外製品が安くなるんだったらいいじゃないかと思ってしまいますが、これらの政策が、まじめだけれども難しいことを考えたくない、競争もどちらかといえば嫌いな日本の若者から、着実に仕事を奪ってしまったのです。
もちろん、前川リポートも、産業構造の転換については注意しなければならない弱者がいることを指摘しています。
国際分業を促進するため、積極的な産業調整を進めなければならない。 このため、中小企業等への影響に配慮しつつ、積極的に産業構造の転換を推進する必要がある。この関連で、現在法律によって推進中の構造改善については、その早期達成を期する。さらに、石炭鉱業については、地域経済に与える深刻な影響に配慮しつつ、現在の国内生産水準を大幅に縮減する方向で基本的見直しを行い、これに伴い海外炭の輸入拡大を図るべきである。【二−2−(1)】
中小企業は仕事がなくなって苦境に陥るから配慮が必要とされています。また、面白いのは産炭地の地域経済には深刻な影響があるから配慮しろとなっています。
「面白い」というのは、夕張市の財政破綻や福岡県の生活保護打ち切り問題が最近になって話題になっているところを見ると、20年前の約束がここに来て反故にされたことを物語っているからです。そしてそれは前川リポートそのものが反故になって、産炭地や中小企業や農村が産業構造改革の犠牲になっているが故に配慮が必要という視点さえも置き去りにされているということです。

3ちゃん農業では持たなくなった農村に、どういう配慮をすればいいのかということについては、
今後育成すべき担い手に焦点を当てて施策の集中・重点化を図るとともに、【二−2−(3)】
ということで、優秀な担い手を少数育成して大規模化を推進するとともに
地方自治体による資本形成の大幅な増加を図ることは、内需拡大の効果を全国的に広げるために不可欠の政策である。そのため、地方債の活用等により地方単独事業を拡大し、社会資本の整備を促進する。【二−1−(3)】
それでも余った労働力は、作業員として公共事業で雇いましょう。…地方のツケで。と言っています。
「社会資本」とは道路や橋やトンネル、すなわち土木工事の産物で、地方単独事業とは国の指示や補助を受けない事業です。地方債には説明の必要はありませんが、近年ではあまり多く借りていると財政破綻とみなされるようです。
前川リポートは、町村の役場に借金して土木工事をせよと明確に指示しているのですが、20年後の「骨太の方針2006」では
地方単独事業については、「選択と集中」の視点に立って、国の取組と歩調を合わせ、過去5年間の改革努力(5年間で▲5兆円超)を基本的に継続することとするが…
などと全く逆のことを言い出す始末です。

私が今さらながらに「前川リポート」を読み返して思うのは、ふるさとがいま陥っている苦境は「前川リポート」政策がすごい勢いで推進され、その後急にストップされたことによっているということです。ストップをかけたのが誰なのか、国民はそろそろ気がついているのではないでしょうか。

さて、「ふるさと」の苦境は20数年前に始まった円高によって起こるべくして起こったことで、「前川リポート」のせいばかりではないわけですが、それを打開するために地方財政の強化策(と国費抑制)も行われてきました。
その一環が国から地方への権限委譲と税源の移譲だったわけですが、ここにちょっと考えないとわからないトリックが仕掛けてありました。
困っているのは「ふるさと」と「みやこ」の間の格差、なわけです。それを解消するために税源が譲り渡された(補助金は減った)のは「国」から「地方」へ、です。税源とは、人口と、立地企業の数と、経済活動の活発さで決まるものです。結果として人口が多く経済活動が活発な「地方」すなわち「みやこ」が豊かになり、人口少なく経済低調な「地方」すなわち「ふるさと」が一層貧しくなるという現象が起こりました。
「ふるさと」の話と「地方」の用語をすり替える巧妙なトリックでしたが、全国民がみごとに騙されてしまいました。

それじゃあんまりマズいだろうということで、対策は、国民が自分のふるさとだと思うところに、任意で寄付をしたらいいんじゃないかと…そういう趣旨でふるさと納税制度が始まりました…数千億円単位でお金が動いたトリックに対して、ここはひとつ国民の善意に頼ろうと。…

ふるさとの苦境の裏で何が起こったのか、私にも全て解き明かすことはできません。しかし、今では阿波村も上斎原村も富村も東粟倉村もいや、奥津町、勝山町、久世町、落合町、そして加茂町、勝北町、久米町も、立派な歴史のあった町や村が地図からすっかり消えてしまったのです。

さて、飛びまくった話を元に戻して、改めて犀星の詩を味わってみましょう。
「小景異情」は(その一)から(その六)までの6編の詩で構成されており、私なりの理解では「何気ない身近な情景の中に、思いもしない強い感情が宿っている」さまを描いています。
特に(その二)は音楽にたとえればソナタ形式の、非常によく吟味された旋律となっており、「思う」「都」「帰る」の言葉が漢字のときは強く観念に訴え、「おもひ」「みやこ」「かへらばや」とひらがなになって優しく叙情的にしみこむ、本当によく出来たメロディーとなって、読み返すほどに奥の深い詩です。

犀星は自分の産みの親を知らず、それがコンプレックスになっていますが、たまにはこうしてふるさと金沢の犀川のほとりに帰ってくるのです。そこで養母と過ごすのですが、何か行き違いがあるのでしょう、居心地の悪い、切ない気持ちを募らせます。
都にいてふるさとを思っていたその心、遠きにありて抱いていたその心を、ふるさとにいる時には、なぜ持てないのだろう。

ええと、犀星くん、ふるさとの母に代わって私が答えてあげましょう。
遠き都に出たあなたは、鍬の代わりにペンを持って歌詠みなどしているが、この老いた母に仕送りをするどころか、たまに帰ってくるといきなり金の無心ですか。もっと地に足のついた仕事をしなさい。それでなければこの私を都に連れて行って養ってはどうですか。
それもできないのなら…ふるさとは遠きにあって思うだけにしなさい。
(親おもふ心にまさる親心けふのおとづれ何ときくらむ )

ふるさとと、都の間の格差は、何も平成になって始まったものではなく、明治の御世にも厳然と存在していたもののようです。

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