5分でわかる日本史概論

-日本の歴史の法則と謎と-


このところ、20年前の思い出「分校の四季」シリーズを連載していますが、今日は19年前の思い出話をしてみましょう。
児童2人、先生1人の教室で子どもたちを教えていたいた私は、その翌年、数学教師として教壇に立っていました。

学生の頃数学なんてどちらかというと嫌いだった私ですが、先生だけが持っているやたらと大きい三角定規が気に入って、図形の授業でない日でも携えて授業に赴いていました。

教室に着くと、まず三角定規の先を引き戸の隙間に突っ込み、三角定規でえいやっとアルミサッシの戸を開けてから教室に入ってくるのが日課でした。気分はバルタン星人です。

数学の教師としては大して優秀だったわけではありませんが、他の先生方のように口やかましくなく、いつものほほんとしたエアポケットのような先生でした。他の先生にはさぞかし迷惑な存在だったことでしょう。
そういえば、80キロ超の肥満体の私に「くま」の呼称を与えたのもこの学校の生徒でした。

さてある日のこと、数学の授業を終えて、10分間の休み時間の間、例のとおりのほほんと生徒に囲まれる時間を楽しんでいた私に、クラスの中では秀才に属するタカシ君(実名)が、こんなことを問いかけてきました。
「先生、僕は日本史を勉強しても、ちっともわからんのじゃけど、いったいどうやって日本史を勉強したらええじゃろうか。」
タカシ君、それを数学の先生に尋ねてどうしようというのだ。

しかし、数学のくま先生は、その質問に答えて奇妙なことを言い出したたのです。

「日本の歴史には不思議なところがある。」

そして黒板に、こんな図を描きながら語り始めました。

7107941185
飛鳥時代奈良時代平安時代
源義経
11921333
鎌倉時代
源頼朝後醍醐天皇
1336(1573)
室町時代
足利尊氏織田信長
16031868
江戸時代
徳川家康黒船?
18681945
大日本帝国
明治天皇???
1945
日本国
国民



世界の歴史では、普通、前の政権を倒したものが次の政権を立てるようになっている。
チンギス=ハンが国を滅ぼしたらそこはチンギス=ハンの国になるし、ナポレオンが王朝を倒せばナポレオンが皇帝になる(今見るとフランス革命のいきさつは違うようですね)

ところが日本だけはそうではないんじゃ。
こうしてそれぞれの時代を年表にして、始まった年、終わった年、政権を立てた人、政権を滅ぼした人を整理してみよう。

飛鳥時代より前はいろいろあったけど、平安時代まではまあ天皇制の時代じゃ。
これが終わったのは源平の合戦で源氏が平家を破った1185年、滅ぼしたのは源義経じゃ。
ところが1192年に鎌倉幕府を作ったのは義経のお兄ちゃんの源頼朝だった。

鎌倉幕府を終わらせたのは後醍醐天皇、1333年じゃ。
ところが後醍醐天皇が政治をしたのはたった3年で、室町幕府を作ったのは足利尊氏だった。なんかおかしいじゃろ。
歴史は繰り返すんじゃ。日本では政権を滅ぼしたものがどうしてか次の政権を作れんのじゃ。

室町幕府が滅びたのは、年号は忘れたけど織田信長、ところが江戸幕府を起こしたのは徳川家康。1603年じゃ。
何でか織田信長の国にならんかったんじゃ。

江戸時代は400年続いたけど、これを滅ぼしたのは黒船、ペリーが来たからじゃ。
(今ならここで坂本龍馬の名前を出したいところですが、黒船来航により老中がうろたえて広く国中に意見を求めたのが幕府自壊の誘因だったとすれば、ここは黒船でまんざら間違っていないと思います。)

大政奉還のあと政権を立てたのは明治天皇、年号は1868年、国の名前は大日本帝国じゃ。
大日本帝国が終わったのは1945年、滅ぼしたのは米軍だ。(???…まあ勢いで言った事なのでご容赦ください)
そして今の日本は日本国、政権を握っているのは国民ということになっとる。
これを滅ぼすのは誰で、その次はどんな国になるんじゃろうな。

こうしてみたら歴史は繰り返しとるじゃろ。
まずこうして骨組みをつかんでから、始まった年号、始めた人、滅びた年号、滅ぼした人を覚えるんじゃ、それからその間に何が起こったかを調べたら、いろんな面白い出来事とか、人の名前が出てくるけん、次はそれを覚えるんじゃ。
最後にその時代の特徴、文化とか庶民の暮らしの変化とかを見ていく。そういう風にして肉付けをしていくんじゃ。
日本の歴史は世界のほかの国とは違う、日本史は面白いんで。

こうして思い出すに、まあなんと偏った日本史観でしょう。
確かに社会の先生がこんなことを語ったら、厳しいツッコミを各方面から受けることでしょうね。

しかし、日本史を手っ取り早く面白く学ぶには
  1. テーマを持って取り組む
  2. 歴史上の人物・事象に親近感を持つ
  3. 全体の骨格を把握する
  4. キーとなる年号を覚える
  5. その後に時代を動かした背景や要因を学ぶ
というプロセスが確かに有効ではないかと思います。
社会の専門の先生は、「歴史は繰り返す」なんていうことを教える間がないのでしょうね。あるいはそれは幻想なのでしょうか、たわ言なのでしょうか。

この5分間の特別講義により、タカシ君(実名)がいくらかでも日本史が解るようになったかどうかは不明です。
ただ、この話は出まかせですべり出した話ではなく、ずっと(自分自身日本史に苦労した)私が考え続けていた謎でした。
世界の歴史の悲哀は、前政権を倒す者がたいてい武力に秀でた者で、その反面として次の政権が国民にとって優しくない、武断政治になりがちなことです。(イメージで語っています。論拠はありません。)
日本の歴史はなぜか政権交代の時にそれが起こらず、前の長期政権を滅ぼす者と、それに取って代わって次の長期政権を樹立する者が異なっているのです。

私はこの現象について、日本では科挙に範をとった人材登用制度があったため、官僚制による統治システムが行きわたっており、実際に支配者が誰であろうがあんまりお構いなしに政権が樹立できたのではないか、とそういう風に考えていました。
日本ではたぶん平安時代以降、為政者や貴族が都で優雅に暮らしていても、黙々と租税を集め、警察を組織し、目立たないところで質の高い統治をし、それでいて自分の力を誇示したり政権を奪おうなどとはしない、官僚システムが完成していたのです。
そしてそれは日本にとってたぶん幸運なことだったのだろうと思います。
最近政権をとったと思っている方々(主権者は国民でございます)が、「脱官僚」を旗印にしてえらい目に遭っていますが、これこそ歴史に学ばない態度というもので、日本を地道に支えてきた官僚制の歴史を軽々しく否定してしまっては先行きが危うかろうと思います。官僚とは使って何ぼの機関に過ぎません。しかし日本の歴史を脈々と支えている骨格なのです。

さて、5分でわかる日本史の思い出話はここまでですが、話が政治に及びましたので、政治と経済について私が最近思っていることを書いてみましょう。

それは、「政治」と「経済」って言葉の意味が間違ってない?ということです。

まず、「政治」とはPoliticsの訳語です。「政」の文字も「正」しいものを常に手で修正して正しく保つ姿を現しているように見えますから、文字的にも世の中を正しく治める活動を指し示しているように見えます。
しかし、「政」の訓読みは「まつりごと」です。「まつりごと」から感じる語感は「祭りごと」すなわち祭祀です。この辺から理解がおかしくなってきます。世の中を正しく、正義が貫かれるように保つ活動が、祭祀と混同されるように仕組まれています。
なんか平安時代の官僚が「エライ人は神様の祭りごとだけやってくれていればいいんだよ。租庸調を集めたり、配分したり、あとの面倒なことはコッチでやっておくから。」と言っている本音が垣間見えているようです。

そして同じく平安時代、「政所」という組織が置かれたのは、貴族の家政を担当する部門でした。
鎌倉幕府になって幕府内にも政所が置かれましたが、あくまでも幕府(≠国家)内部の家政機関の位置づけで、政所の長官は後に執権の北条氏が兼務するようになります。政所をとりしきった北条氏がほどなく幕府の実権を握ってしまったのはよく知られた史実ですが、あろうことか北条氏は桓武平氏です。何をやっているんだ頼朝。

さらに、エライ人の奥さんのことを「北政所」というのも平安時代から始まったことですが、これまた台所を取り仕切る人の意味です。こうして日本では「政」の字から統治の意味を次第に剥ぎ取っていって、祭祀のこと、家計のこと、財政のこと、といった矮小化された意味合いを付加するとともに、密室でゴニョゴニョすることが「政」であるという誤ったイメージを植えつけてきました。

政治とは、宮殿松の間で行われる出来事でも、総理官邸閣議室で行われることでもなく、ましてや大奥やら銀座の料亭やらで行われるものでもありません。何が正義かを考えて、世の中を常に正しい状態に保とうとする活動全般のことです。
そのことが、平安時代以降千年の呪縛により隠されてしまっているために、Policyを持たないPoliticsが跋扈しているのでしょう。

さて、今度は「経済」について考えてみましょう。

経済はEconomyの訳語ですが、元の意味は「経世済民」、すなわち「世の中をうまく経営して民を救済する」働きのことです。
この訳語を作ったのは福沢諭吉ですが、私としてはこちらの言葉の方がPoliticsの訳語にふさわしかったのではないかと思います。
(元々、Economyはギリシャ語由来で家計・家政を意味する単語でしたが、近代になって国家のレベルにまで拡大され、国家経済の意味を表すようになりました。この点、日本での「政」の字の取り扱いとみごとに逆の経過をたどっています。)
かくして「経済」は現在、財界の方々の領分として企業の統治をする人々の手に委ねられています。彼らは「経世」を上手にやってくれているように見受けられますが、「済民」の方は自分の仕事と心得ていません。

一方で「政治家」と呼ばれる人たちも、先に述べたような平安時代に遡る言葉の呪縛によって、何か密室的なものが自分の仕事であると思い込んでいて、やはり「済民」が自分の仕事であるとは心得ていないようです。
政治家が本来なすべき仕事は「済民」であると、自覚して欲しいものです。

「経世済民」の方法論は、現在経済界の方々が志向しているように安価な労働力を求めて海外に生産拠点を移すことではありません。
「経世」の「世」の字はこの日本国のことで、「済民」の「民」は日本国民のことです。一人ひとりが具体的な仕事を持つことによって、正しく富を分配し、共にこの国を前に進めていこうというのが福沢諭吉の真意であったと思うのですが、この訳語をあてる英単語がちょっと間違ったばかりに、その結果はみごとに裏切られた感があります。

歴史と政治と経済と、こうしてみれば日本は大変奇妙な国であると言えるでしょう。 数学の先生のたわ言ですが。
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