分校の四季(秋の章)

-ふるさとの秋祭り-


秋になると、分校へと通う滝沿いのワインディングロードも紅葉に染まります。
私が分校に通ったこの年は、あまり夏が暑くなく、秋がじんわりとやってきたせいで、紅葉もいまひとつ最高の出来ではありませんでしたが、日々表情を変える景色の中をスイスイと走り抜けて、ご機嫌で分校に通ったものです。

2学期というと学校行事が立て続けにあって気ぜわしい頃です。
我らが分校では、「分校秋祭」という特別の行事が恒例となっていました。
ある朝、それは黒板の行事予定表に「分校秋祭」と書いてある日だということはわかっていたのですが、いつものように出勤してみると、1年担任のM木先生(仮名)がいつになくハイテンションで祭りの準備を始めていました。

「こういう日はもっと早く来て段取りをしないといけません。」と、いきなりお小言からスタートです。
「だって〜、早く来て欲しいんだったら早く来いと打ち合わせしてくださいよ〜。」と反論こそしませんでしたが、先の読めない若造の私は憮然として祭りの準備にかかりました。

まず校舎の横にある、年に3回ぐらいしか開けない倉庫から、段ボール製の獅子舞を運び出します。さすがに段ボール箱を2個くっつけた造形で獅子の頭を表現するのは無理があり、獅子というよりカバにしか見えないので、子どもたちには「カバ舞」と呼ばれていました。
お次は私のよれよれのブレザーが脱がされて、どっかから出して来た酒造会社の名前が入った法被を着せられます。
仕上げに渡されたのが、縦笛。つまりはソプラノリコーダーです。これで祭りらしい笛の音を奏でよと。
しかもアマチュアカメラマンの方がいらしていて、いい映像が撮れたらNHKの夕方のニュース枠で放送されますよと。(私はテレビを持っていません。見れません。)
そんなことなら少しはソプラノリコーダーの練習でもしておけばよかったぁぁぁ。

カバ舞と音楽教材の小太鼓、そして私の縦笛のお囃子で、子どもたちと先生は分校の近所を練り歩きます。たった5人(+教頭先生)で村じゅうをお祭り気分にさせるなんて、それは朝からハイテンションでないと出来ない技です。
村じゅう練り歩いた祭囃子が終わると、校庭では準備しておいた縁日が開催されました。
お店は手作りのプレゼントのようなものをお互いに出展していましたが、この年は私が持ち込んだ綿菓子マシーンが目玉でした。
学校の授業(のはず)でありながら、なんと本物の綿菓子が食べられるのです。

手作りで、心づくしの分校秋祭は、早朝いささかの齟齬を生じたものの、こうして無事に終えることが出来ました。
ところでこの映像はNHKで放映されたのでしょうか?どんな醜態だったのでしょうか?それとも、知らない人にとっては素朴で伝統的な行事に見えるのでしょうか?それは私にとって今でも謎のままです。


勝山の町の祭りは、喧嘩だんじりで有名です。太い角材を組み合わせて縄で縛っただんじりが夜の街を練り歩き、だんじり同士が出会ったところで、勢いよくぶつかり合ってどちらかが引き下がるまで勝負します。
勝山の場合は、だんじりの形が筏のように四角くて、先は大きな角材の小口がそろえてあり、面と面でぶつかるので、そんなに凶悪な感じはしません。木製の車輪、丸太で井桁に組んだ台車、前方はバンパーならぬ対ショック用角材、上には10人ほどが乗る輦台、人が乗っている場所の後方はお神輿のようになっていて、笹や提灯でかざりつけられています。
縄で縛って作ったようなところもあり、手作りの感じ、昔ながらな感じがして温かみを覚えます。

熱く喧嘩して、引き下がることなく戦ったあげくだんじりが壊れ、ええ大人が泣きじゃくりながら大八車の車輪のようなものをひじに引っ掛けて夜の街を街外れの暗い方へと去っていく、そんな姿を見たら胸が熱くなりますよね。大きく強いばかりがだんじりじゃなくて、古風で頑丈だけどちょっと繊細なところがある、それも男の生き様じゃないかと思ってしまいます。

さて、ある日の放課後、サオリさん(仮名)のおじいさんが全校児童をあけび取りに連れて行ってくれました。 トップカーの荷台で山道をゆっくりゆっくり登ります。どんなところだったのかどうやって取ったのか、今となってはちっとも覚えていませんが、大量のあけびと、そのほかの山の幸が取れて、学校へ帰りました。

まるで「ごんぎつね」の一幕に出てきそうな山の幸っぷりですが、分校の周囲はいつも季節に応じて実り豊かな山の幸に囲まれていました。
今にして思えば、自然に対する感性の違いなのかも知れません。通りがかりの人が見れば、単に山としか見えない山が、地元の人々にとっては豊穣の山なんですね。
都会に住む人が、小さい秋を見つけたからといって、土手や道端の木の実を取って食べるでしょうか。
ただ、分校の周りはでっかい秋に囲まれていました。そしてみんなそれを楽しむ術と時間を持っていました。

さて、理科の授業で、秋を探しに村の上の方にある神社まで行ってみました。
最初は紅葉した葉っぱなどを拾っていたのですが、神社の境内にぎんなんがたくさん落ちていたので、子どもたちと3人で一生懸命拾いました。
3人合わせるとバケツ一杯になった「秋」、土曜日の放課後になると私はそれに水を入れて、木の棒でかき回し始めました。

私も正しいぎんなんの処理法を知らないのですが、水洗いして中の種を取り出す、かぶれるので手で直接やってはダメ、そしてわりと臭い作業である。ということだけは知っていました。
やってみると事実そうであった上に、意外と油分が多く、手間のかかる作業でした。うさぎの「しろ」が不思議そうに見ています。
水洗いの後、新聞紙の上で干したぎんなんの種は、箱に入れて教室のロッカーの上に置いておきました。

その後冬が来てストーブが焚かれるようになってからは、2時間目の終わりが近くなると私がこの箱からぎんなんの種をひとつかみストーブの上に置くようになりました。
ぎんなんの種がはじけておいしそうな香りがし始めたら、チャイムが鳴ろうと鳴るいと授業は終わりになって、みんなでぎんなんをおやつに食べていました。
それが私たちのクラスのひそかな楽しみでした

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