天狗寺陶白人・陶片  

 

 

 

GongoToudan                              Touhakuzin TENGUUJI

天狗寺陶白人の 言語

陶片僕

 
 

 

 

 

 

 

 

 


               

言語陶談・陶片僕

1頁 弥生の僕 ・2頁 須恵の僕 ・3頁 鎌倉の僕

 
 

 

 

 

 

 


 陶片僕

1頁 弥生の僕

 

陽窯を作るとき(1977年頃)に出土した 陶片が写真の

弥生 陶片です。窖窯築窯施工の為、地面を掘っていたら

煙突部分にあたる場所から、弥生式土器片がダンボール箱

一杯くらい出土する。岡山県の職員で古墳調査に百百古墳

に来ていた人、K本さんにみてもらう。弥生の後期で

「出雲地方の、技法的痕跡がみられる」とのこと。

 

弥生時代は、女性が土器作りを担当していたので出雲地方

と交流があり、嫁にきていたのでは、ないだろうか・・・。

近くには古墳時代の古墳もあり、昔、この地は大都会であっ

たようだ。弥生式土器片(ダンボール箱一杯)、資料として

持ち帰ってもらうがそのときに残していた僕の資料である 大切な陶片の一つです。

 

陽窯の上は畑がありちょうど小学校の時に連れて行ってもらった、津山市沼の弥生の住居跡にぴったりの感じである。

弥生の物原であったであろうところに窯を築いた時の副産物です。

 

今机上に1700年以上前の産物とは思えない生々しい姿で存在する弥生時代後期 陶片は、やきものの魅力の一つである存在や生命力を感じてしまう。姿を保ちながら現代に姿を表したのだけれど、生命の誕生からカウントすると今はなんと40000世紀だというから、1700年前は比較的

近いのかもしれないけれど完器であれば今でもつかえそうな感じが時間というものを感じさせない。1700年の眠りを起こしてしまい申し訳ない気持ちもある。それから30年が経ち、またまた時間とは何かを考えさせる 陶片でもある。

 

みてみよう、みた感じの色目よりは硬い感じのする焼きで

ある。高台が付いているのでぐいのみ、湯呑、小壺のような形であったのだろう。内外に丹が塗ってあるので儀式用に作られたものであるかもしれない。儀式用ではなく漏れ止めに

丹が使われて、日常に使われた器なら・表面をこすって磨く・技法を用いた方が現実的に、用を足すと思われるので

儀式用に恕術的に作られた器か、装飾として丹が塗られている器と思われる。

 

断面から・かなり分厚く作られているのは砂混じりの土を使っているからであろう、魅力になっている。この地の土をそのままで使用して作られたものであろうこの弥生の 陶片は私の大、大、大先輩の作品という事になる。

 

・日本の美術10・弥生土器・によると、九州では弥生時代の把手がついた臼形のジョッキが出土している。珈琲カップ紅茶カップ、麦酒ジョッキなどの把手のついたカップなど、かたちとしては一概に洋風だといえないのだろう、1700年以上の歴史が有ればカップもかたちとしては、純日本風といってもいいのだろう・・・・・。

 

弥生の焼きのやわらかさは、物を蓄えるのに適している。

通気性があり自然に近い焼きは、水が腐りにくいので花を

生けてみたいなと思います。やわらかい焼きは水が漏れたりして、他の物を傷めたりするので嫌われるけれど、花にとっては一番良い訳で、立派な黒塗りの花台などの上に弥生の

小壺にたっぷりと水を入れ野の花を入れる。弥生の小壺からしみでた水が、黒塗りの花台の上で輝きながら溜まっている。その水溜りも美しいと思うのは、物を作る側の偏見による美しさなのだろうか・・・・・。

 

勿論この事は弥生土器等を現代に生かして使う時の美です。物を作るものとして、水がしみたり、漏ったりして他のものを傷つけたりする作品を作る気はない。

製造者責任法に基づき、健全な器を制作しています。

 

                        陶片僕

 
              

 

 

 

 

陽窯

 

 

弥生式土器片

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天狗寺陶白人

言語

 

 

 

 

 

陶片僕

2頁 須恵の僕

 

いただいてばかりの犬だけれど、縁あって我が家にやって

来た犬、となり町、奈義町のお寺、浄土宗開祖で美作国生まれの法然上人ゆかりの樹齢900年を超える大イチョウが    あるお寺、菩提寺で誕生し、我が天狗寺にやってきた。

『大師』と名付けたゴールデンのオス犬は、残念ながら

2000年に他界した。窯横の柿木と梅ノ木の間に埋葬させていただいた時に、出土した 陶片です。2000・窯横・

大師とマジックで書き、形見代わりにしている。

 

須恵器と思われる 陶片。きめ細かい土をよく焼き締められた土の陶片から器形全体を想像すると広口壺の口の部分か、高い脚のついた鉢・蓋の無い高杯と呼ばれる縁部分のように思う。写真1番上、窯横の字の下にある2本の線が気になるところですが・・・・・・?小さな白い石を含んでいるが

水簸したように細かくネッチリとした土質のようだ。

 

口部の最先端は、一番上写真の右上部になる。

内はやさしく、丸い作りで縁がとても厳しい作り。1mm

ほどではあるが、真っ直ぐ天に向かい縁を仕上げてある。

左右の横は丸みをもたせて、人当たりを柔らかくしている。轆轤を挽く人物の人柄が見えてくる。

達人のロクロというべきか・・・・。

 

灰かむりが見える口辺の写真で白っぽく見えるのが灰の跡、

灰が少し融けているところを見ると、窯の中ほど前よりに

位置した作品とおもわれる。

 

 陶片の断面と表面、裏面の色がほとんど変わらない。

強い良い還元で焼き上がっている。

表裏の無い、断面も同じ色、そんな焼き物が好きな内科医

のM先生はやきもの屋に、やきものを教えてくれる人物。

   

須恵器のロクロは比較的に薄く仕上げてあるが、よく見ると

暖急のあるロクロ成形で、要所要所に肉厚の筋をいれてある。この筋により焼成時の熱による変形を防いでいる様である。筋による使用時の効果も考えられるがこの小さな 陶片からも質の良い焼き物であることが伝わり来る造形。

 

近くに百百古墳が有り須恵器の出土も珍しくないと思うが、

弥生式土器からはかけ離れた造形は、ロクロの使用と穴窯の

焼成による朝鮮半島からの単なる技術の変化であるのか?

5世紀から12世紀まで主要な什器として用いられ優れた

器能性(機能性)をもつ須恵器は残念ながら現在では、高い

評価を得て無いように思えます。

 

この須恵器の小さな 陶片の語る表裏無い人間性うつわであり人物そのもの?の器。高い造形技術力は現代でも学ぶべき所が多いのではないだろうか。

使う人を突き刺し傷つけるほどの鋭い造形の器をもてはやす?現代の風潮は現代美術とわいえども、とても理解の及ぶ所ではない。

 

・日本の美術7・須恵器・第161図にある須恵器で、装飾土器と呼ばれる私の一番好きな装飾付須恵器で、壺の肩部に人や動物のついた、当時の生活をあらわす器にも有る、犬と人間の関係は昔からもっとも身近であったようだ。

 

焼き物というもので人の境地を高めていくことが焼物屋の

ひとつの仕事でもあるのかもしれない。

『大師』という名前の犬が、法然上人ゆかりの菩提寺から

やきもの屋の天狗寺へ来て、残してくれた 陶片です。

 

                       陶片僕

 

 

 

 

 

 

 

 
                

 

 陶片内側   5p×3,cm

 

 陶片外側

 

 

 

 

 陶片灰かむり部分

 

 

 

 陶片断面

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天狗寺陶白人

言語

 

 

 

 

陶片僕

3頁 鎌倉の僕

 

もう何時どこで採取したのかも忘れてしまった 陶片達だが

この他にもまだたくさんある 陶片。窯場近くの田んぼや、畑で見かける 陶片たちです。

 

右上の 陶片二個には叩きのあとが無い。下の 陶片は焼きが甘く、表面のみ灰色の還元焼成で、中はクリーム色だが土はきめ細かい。割れた断面が鋭く角が立っている。

上の半分土のついている 陶片は、黒色に近くよく焼けているが小石を伴でいる。断面に色の変化もない。

 

きめの細かい土は、比較的に低い温度で焼成しても水が漏り難い。小石を食む土は高温で焼いてガラス化を推進しなければ水が漏れ易いので、土の状態で、焼成温度や、焼成方法を考慮した結果なのか・・・?

 

真中の小さい 陶片は、内外も同じような櫛目のような模様がある。叩きではなく櫛のような木片で形を整えた痕のようだ。大きさのせいか石のような手触りです。

 

叩き紋のはっきり出ている二陶片の内外をUP写真にした

内側は丸い模様で外側は格子目紋、みごとで美しい。甕のようなサイズだったのだろうか?その割には薄いつくりで

技術も高さを感じる。

 

この美作の地の平安末期から鎌倉時代に、庶民の日常雑器として盛んに生産された勝田焼と思われる 陶片です。外側の格子目紋が特徴である。

 

断面も内側外側もみな同じ色である。叩けばチンチンとかなり高い音、内側の同心円状の内側に当てられたおそらく木製であろう道具の目跡が印象的、目跡の凸凹の深さから粘土のかなり柔らかい状態で叩き作業が行われていると思える。

 

下の 陶片は外側の模様が格子目紋でなく色もクロポイので

上の 陶片より焼成温度が高いようだ。厚さは上の 陶片よりやや薄いがほぼ同じだが器形としては薄い下の 陶片の方が大きいのではないのだろうか?

外側の1cm弱の白い帯びが印象的特長。異なる土を象嵌してある装飾的な 陶片、そんなに色の差が無いのに斬新な感じで、何に使われた器なのかとても興味深い。

 

内側は外側と対照的に粗い模様でエネルギシュな模様です。

荒々しい内側と、おとなしく装飾的な外側、陰と陽を感じる 陶片です。

 

平安時代末期から鎌倉時代にかけて美作の地で盛行した焼き物が勝田焼・かつまだやき・古墳時代以来の須恵器の系統を引く焼き物。岡山県勝田郡勝央町勝間田盆地を挟んだ南北の山塊に20数基の窯跡があり、甕、壺、鉢、小皿などの種類がある。鎌倉時代末頃から備前焼が盛んになり、倉敷の亀山焼、勝田郡の勝田焼などの国々にあった焼き物は衰退してしまった。(「美作の歴史と文化」津山郷土博物館発行より)

 

平成元年勝間田の郷土美術館で、勝田焼の再現作品を展示させていただいてから18年目を迎える今日、今一度この時代の焼き物の素晴らしさを考えてみたい。

 

 陶片僕

 
              

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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