アーリントンC観戦記(二つ目のお話ニャン、ちょっと長いニャン)


1998年(平成10年)、春。
マイネルラヴが関西に遠征してくる!ラヴが阪神に遠征してくる!
クラブのテレフォンサービスで、「次走はアーリントンC」と知った時もう、応援に行こうと決心していました。
朝日杯3歳2着、そして、年明けの京成杯では1番人気に押されて、ここは勝ってくれる!勝って!との期待を裏切って5着、次のレースがなかなか告げられなかったので、内心少し心配し始めていたところでした。

阪神ってどこ?どうして行くの?すったもんだの大騒動の後、ご一緒してくださるのは、kokkopapaさんご夫妻と、宝塚にご実家のある りげるさんの三人と、なりました。
りげるさんのご実家に車を預けて、電車で仁川駅まで移動する間に、ウキウキした気持ちは後ろめたい気持ちに変わってきました。
1995年の1月17日の未明、遠く離れた私の住む町でも、怖いくらい揺れたあの阪神淡路大震災の爪あとが、車窓から、見える家々の屋根の青いビニールシートとしてまだ沢山残っていたのです。
うっかりしていました。ラヴのことしか考えておらず、大震災後の神戸に行くという現実が、実感として分かっていなかったのです。
大震災の時TVに写しだされた、辛い光景が目の前の光景と重なりました。
りげるさんのご実家のご両親もついこの間まで、りげるさんのところに疎開して来られていて自宅を再建して宝塚に戻られたところでした。
「神戸にまた、人が来てくれる様にならないとね」
背の高いりげるさんの声が、頭の上のほうで聞こえました。
「さやママさん、地震のあと、神戸初めて?」
「うん、初めて。・・・競馬に来るのも、人が来ることになるよね。」
「そうね。お金も使ってくれるしね」
私の後ろめたい気持ちにはなんにも、気づかないような りげるさんの返事に、ちょっとほっとしてまわりを見回すと、競馬場へ向かう沢山の乗客でした。

仁川に来たのは30年ぶり、受験のために降り立った時 田んぼの向こうに見えていた仁川の競馬場が、阪神競馬場でした。
生まれて初めて、競馬場に足を踏み入れました。
学生時代、東京競馬場に行ったことがあって、新婚時代を京都で過ごしていて京都競馬場に行ったことがあるという、分校の校長さん(kokkopapaさんの奥さん)が頼りです。
「馬券の買い方、教えて」
という、私と りげるさんに分校の校長さんは、困り顔でした。
「こんなもんで、買ったことがない」
窓口にお金を渡して、馬券を握らせてもらった、と、言うのです。
一体何年前の話だったんでしょう、なんの当てにもなりませんでした。
このマークシートみたいなのに書き込むらしいと、三人でワイワイ、なんとか次のレースの複勝馬券が買えました。
kokkkopapaさんはカメラをさげて、もうとっくに目の前から消えていました。
「ボックスってのはどこに書くの?」
目を上げずに訊ねた私は、思わず飛び上がりそうになりました。
「ネエサン、初めてか?」
目の前に、イメージ通りの競馬ファンという感じのおじちゃんが、立っていました。
これで、赤の色鉛筆耳に挟んではったら、完璧やわ、と内心でつぶやきました。
「ボックス買うんやったら、あっちの紙や」
見かけによらず結構親切な方でいろいろ教えていただいて、やっと馬券を手にした私は
「ありがとうございました。もう、次のレース走りますよ」
と、新聞を睨んでおられたおじちゃんに声を掛けました。
「走るん見るんかい?」
「はい、見に来たんですから。ご主人は?」
「ここで、見てるわあ」
競馬場に来て、馬券売り場でレースを見るなんてと歩き出して、もう一度振り返って見ましたが、人影に紛れてもう姿は見つけられませんでした。

ラヴのレースが近づいてくると、目の前のレースもよく見えなくなって来ました。
「ラヴを1番前で見たいから、もうパドックへ行ってくる」
と言う私に、分校の校長さんと りげるさんが付いて来てくれました。
10Rのパドックが終わってレースを見るために人が動いて やっとパドックの1番前に陣取った私は、胸の鼓動が突然大きくなってきたように感じました。
10Rが特別長かったような気がしましたが、なんの前触れもなくパドックにお馬さん達が入ってきました。
ラヴに会うのは初めてでしたがすぐに見つけました、と言うより向こうから、目に飛び込んできたようでした。
とりわけ黒い馬体がピカピカして、しなやかな歩き方でした。集中力があるのでしょう、余所見もせず、目線を少し下に付けて、力強い踏み込みで歩いていました。
「ピカピカ」「きれいなお馬さんね」
ふたりの声に、思いがけず胸が詰まってラヴの黒い馬体が一瞬曇ったようでした。
周回が突然止められ、ジョッキーさん達が騎乗して最後の周回が始まった時、ラヴの姿を食い入るように追っていた私の目に、ちょうど目の前にやってきたラヴの一つ前のお馬さんのジョッキーさんの顔が、飛び込んできました。
「あ、ペリエ」、その声が聞こえたのでしょうか、ペリエ騎手がこちらを向いてニコッとして通り過ぎました。
「わ、今のなんだったろう?」
分校の校長さんのビックリした声で、ペリエ騎手がウインクして通っていったのが、見間違いでなかったことが分かりました。いそいで新聞を見ました。3番、ダブリンライオン、O・ペリエ。
人気は5,6番というところでしょうか、でも、ちょっと、気になってしましました。

photo by kokkopapa
さ、レースが始まりました。ラヴはきれいなスタートです。
少し控えてから、楽な手ごたえのままグングンと先頭のマウントアラタに迫ってきます。
マウントアラタは逃げていくつもりのようです。
ラヴの少し後ろにいた、ダブリンライオンの鞍上の手はもう、動いています。
懸命の追走という感じ、これでは、心配はいらなさそう。
ラヴは4コーナーを回ったところで楽々と、マウントアラタを捉え、軽く追われながら、先頭に立ちました。
その、後ろで少しよれたのは、ダブリンライオンです。ラヴのすぐ後ろまで迫ってきていましたが、追える余力はなさそうです。
ゴールまであと、200M、競馬場に坂があるのに初めて気が付きました。
ワーッという歓声や、怒鳴り声のなかで私はずっと、心の中で、「ラヴ頑張って、ラヴ頑張って」と言っていましたが、隣にいた りげるさんがビックリしたようにこちらを覗き込んだ様子では、ずいぶん大きな声で応援していたようです。
目の前では信じれないことが起きていました。
大きなアクションで鞭を振るペリエ騎手のダブリンライオンが、一歩づづ差を詰めて、ラヴに並びかけてきました。勢いは、ダブリンライオンにありました。
半馬身ぐらいの差で、ラヴはまたもや、重賞を逃しました。
勝てなかった残念さは、よく頑張ってくれたという、感謝の気持ちにすぐ変わっていきました。
馬道へと帰って行くラヴの姿が見えなくなるまで、私はずっと目で追っていました。
1998年(平成10年)、3月1日、この日も忘れられない日になりました。