No |
国名 |
巻・頁 |
記 載 |
郡郷など |
地 名 辞 書 の 解 説 要 旨 |
判定 |
1 |
山城 |
2-74 |
中 山 |
洛東 |
中山(ナカヤマ) 黒谷(クロダニ)の邱陵の別名なり、神楽岡の東如意山の西、その中間に在れば也、然れども今指す所は、黒谷と神楽岡の間に在 前説誤れる如し。 |
● |
2 |
山城 |
2-74 |
中山殿址 |
洛東 |
中山殿(ナカヤマドノ)址は中山忠親の亭にして、後家廟と為す。中山堂とも曰う何の世にか廃す。 |
× |
3 |
山城 |
2-97 |
歌中山 |
洛東 |
歌中山(ウタノナカヤマ) 久久目路の北静閑寺より 清水寺に通う山径を云う。盛衰記云・・・・・・其歌よみたる所を、歌の中山と名づく。 |
● |
4 |
大和 |
2-393 |
中 山 |
山辺郡・大和郷 |
衾田(フスマダ)墓 継体天皇々后手白香皇女の陵なり、今朝和村大字中山にあり、殿墓と称す・・・・名所絵会云、中山の東に龍王山高く聳ゆ、即引手山なり、衾道は此辺に在り・・・ |
? |
5 |
大和 |
2-393 |
菅生中山 |
山辺郡・大和郷 |
菅生千塚(カヤフノセンズカ) 朝和村東部高地に古墳甚だ多し、故に此の名あり・・・・朝和村の大字に菅生中山、其地東は・・・・南は崇神景行の山陵を隔て纏向三輪長谷・・・・、北は布留山石上邑に連り、西は・・官幣大社大和神社を望めり・・・ |
? |
6 |
大和 |
2-409 |
中 山 |
吉野郡・那珂郷 |
象(キサ) 今国樔大字喜佐谷是なり、樫尾の西南に接す、一渓西青根峰より出でて、吉野川に入る・・・・象の中山即此ならん・・・・・ |
○ |
7 |
摂津 |
2-585 |
中山寺 |
河辺郡・山本郷 |
中山寺(ナカヤマデラ) 古は仲山寺に作る、長尾村の西に在り大字を中山と云う。 |
? |
8 |
伊賀 |
2-761 |
伊賀中山 |
名賀郡・阿保郷 |
伊賀中山(イガノナカヤマ) 阿保村字岡田に在り、天武紀云う「車駕急行、到伊賀郡、焚伊賀駅家、還于伊賀中山、而当国郡司等・・・・中山在岡田村下河原村(今上津村)之間、今中山寺之名存矣・・・・・ |
? |
9 |
伊勢 |
2-874 |
中 山 |
河芸郡・窪田郷 |
中山(ナカヤマ) 今栗真村と改む、白塚村と伴に海浜に居る、一身田村の東なり、栗真荘とは白子の古名なり・・・・・ |
? |
10 |
紀伊 |
2-903 |
中 山 |
海草郡・野応郷 |
山口(ヤマグチ) 駅家郷は蓋し・・・中山と称し紀泉の山隘にして白鳥関址あり、平治元年平清盛・・・熊野詣の帰途鬼(キ)の中山にて六波羅の使者に会うと・・・・男(オ)中山とも云う。中山の王子社は・・・・すべて熊野参詣の道九十余所の王子と称する・・・ |
● |
11 |
紀伊 |
2-932 |
中山村 |
那賀郡・福門郷 |
粉河(コガワ) ・・・・那賀郡名所図会 中山に西方院中山寺 あり・・・・、誓度寺址 粉河村大字中山にあり・・・・・ |
? |
12 |
紀伊 |
2-972 |
中山路 |
日高郡・財部郷 |
山路(ヤマジ)、旧山地(サンチ)荘と云い数十村に分れしが、今上山路(大字似志村東村)中山路(大字柳瀬)下山路(大字甲斐川)の三村となる。・・・・・ |
● |
13 |
紀伊 |
2-974 |
中 山 |
日高郡・岩淵郷 |
殺目山(キリメヤマ) 島田より東に・・・山道を中山と呼びて岩代村に通ず、熊野街道の一名所成。 |
● |
14 |
丹後 |
3-42 |
中 山 |
加佐郡・凡海郷 |
中山(ナカヤマ) 今東雲村と改む、由良の南一里半、河畔に在り・・・・ |
? |
15 |
但馬 |
3-72 |
中 山 |
出石郡・資母郷 |
中山(ナカヤマ) 資母村の駅所とす、出石を去る五里、金蔵寺あり・・・・・。藤森 今資母村の大字なり、中山の北東にして丹後への通路にあたる・・・・ |
● |
16 |
播磨 |
3-169 |
中山峠 |
佐用郡・佐用郷 |
杉坂・・・今江川村大字大畠より作州吉野郡讃甘村に通じる山径を云う、或は中山峠と云ふ・・・ |
● |
17 |
美作 |
3-248 |
中 山 |
真島郡・美甘郷 |
新庄(シンジョウ) 今新庄村と云ふ、美作略史云・・・・・。○美作名所栞云、三日月の中山は新庄村なり、後鳥羽院御道記に 「美作の国と伯耆の堺なる中山と云所を越させ給うに・・・・。
増鏡に 「三日月の中山にて昔後鳥羽院の仰せられけむ事・・・」、中山は今の四十曲峠ならん。 |
● |
18 |
美作 |
3-237 |
中山神社 |
苫東郡・苫田郷 |
中山(ナカヤマ・チュウサン)神社 今一宮村に在り、国幣中社に列す、延喜式苫東郡名神大と注するもの是也、津山の北一里半、俗に仲山大名神と云う、又南宮と称す。此神は三代実録「貞観二年、美作国正五位下仲山神、授従四位下・・・・」の事見え、宇治拾遺物語の此神の祭りには、女子の牲を備奉る由を載す、祭神詳ならず、神祇志料には吉備国中山大神を移し祭るものとす。
美作旧跡録云、仲山大神は御神体鏡作の尊なり、慶雲二年、中山の麓なる長良嵩に降臨あり・・・・。 |
○ |
19 |
美作 |
3-238 |
中山神宮寺 |
苫東郡・苫田郷 |
美作略史、朱雀天皇天慶三年正月、平将門を誅し中山神宮寺に祈る・・・・ |
? |
20 |
備中 |
3-264 |
吉備中山 |
賀陽郡・庭妹郷 |
吉備津彦(キビツヒコ)神社 後世略約して吉備津宮と云ふ・・・今真金村に属し・・・・・神祇志料云、吉備津彦神社、板倉川の東、宮内村吉備中山にあり、中山の絶頂に茶臼山あり、山は即吉備津彦命の御墓也・・・・・・・・ |
● |
21 |
伯耆 |
3-330 |
中 山 |
東伯郡・束積郷 |
束積(ツカツミ)郷 和名抄、汗入郡束積郷。後世八橋郡へ入り今上中山下中山の二村と為る、箆津郷の西とす・・・・・退休寺、名和氏紀事云、三月三日、船上の官軍は直ちに本国の守護代糟谷某が中山の城に楯籠り・・・・<民談記民諺記参取>中山谷は船上山の北二里。 |
○ |
22 |
安芸 |
3-516 |
生中山 |
佐伯郡・濃唹郷 |
濃(ノ)唹郷・・・・和名抄、佐伯郡濃唹郷。・・・・・濃唹駅は万葉集に「安芸国佐伯郡、高庭駅」とあると同所なるべし、・今地御前村と大野村の間に中山と云う峠あり・・・・・或は生中山(オフノナカヤマ)と号す。 |
● |
23 |
伊予 |
3-750 |
中 山 |
伊予郡・出部郷 |
出部(イヅベ)郷 和名抄、浮穴郡出部郷、高山寺本注伊豆倍。今伊予郡淵村是なり、佐礼谷村、中山村、広田村も此所属なり・・・・・中山は郡中より大洲に至る駅路に係る・・・・ |
● |
24 |
肥後 |
4-441 |
中 山 |
益城郡・富神郷 |
堅志田(カタシダ) 今中山村と呼ぶ、藩政の時中山手水の会所を堅志田に置きしによる・・・ |
? |
25 |
越前 |
5-25 |
中 山 |
敦賀郡・従者郷 |
中山(ナカヤマ) 和名抄郡郷考、節用集越の中山、名所方角抄、越の中山、有乳(アラチ)山よりうしとらに木の目峠とて大山を越えて越前の府へ出るなり、是を中山といふか・・・・・。 |
○ |
26 |
越前 |
5-47 |
中山郷 |
今立郡・中山郷 |
中山(ナカツヤマ)郷 和名抄、今立郡中山郷、今栗田郡の北方の諸村をば中山と総称すれど、古の中山郷の南中山村に当るか・・・・・ |
? |
27 |
越後 |
5-209 |
中 山
(名香山) |
中頚城郡・栗原郷 |
妙高(メウコウ)山 又明高、妙香、妙光に作る・・・・或云、此山の古名越の中山と曰へるならん、中山を名香山と書し、之を音読してミャウカウと唱え・・・・ならんと。今も信越界の関の山八宿、新井より牟礼までを俗に中山八宿とは曰へり・・・・。
中山 中頸城郡○中山霧海と云ふは、擬陸遊誌の記あり・・・山容を蔽ひ遂に中山八宿を籠む・・・・・古老曰く、中・名香と邦音同じ、妙香山、神名赤倉両山の中間にあり、最も高大なり、故に古は山の上下を総称して中山、或は名香山と言ふ、名香・妙香漢音近し、今遂に山上を称して妙香と曰ひ、山下を称して中と曰ふ、その実一なり、想ふに当に然るべし。 |
● |
28 |
越後 |
5-283 |
中 山 |
南蒲原郡・勇礼郷 |
狭口(セバグチ) 今上条と共に加茂町の管内とす・・・・或る人云う・・・・・然らば式内中山神社などにや、ここは尾登峠の下にて、彼峠を中山と云うも不当にあらず、猶考ふべし、北蒲原郡に中山(松浦村へ入る)小中山(笹岡村へ入る)あれど・・・・、近年大崎(南蒲原郡)にも中山神を説く。 |
● |
29 |
越後 |
5-327 |
中 山 |
東蒲原郡・郷名? |
東山(ヒガシヤマ) 今東川村の大字とす、太田の東南二里許、字中山と云う地に、高倉宮の遺蹟を説き、車形の墓石・・・・・
*私注 : 高倉宮とは以仁王かと思われる。 |
? |
30 |
美濃 |
5-407 |
仲山金山彦神社 |
不破郡・新居郷 |
仲山金山彦(ナカヤマノカナヤマヒコ)神社 宮代村に在り、延喜式、名神大と注し、当国神名帳に、正一位勲一等、仲山金山彦大神と曰ひ、即一宮也。又南宮(ナングウ)と号するは、府の南に在れば也、今国幣中社に列せらる・・・・・
神祇志料、旧府中に在り、後郡南新井郷宮代村中山の麓に移す・・・・・ |
● |
31 |
飛騨 |
5-512 |
中山七里 |
益田郡・郷名? |
下原(シモハラ) 金山佐見の北にして、飛騨川の両岸に渉る、下原より下呂駅の間の峡路を、方俗中山七里と唱ふ・・・・。今の美濃金山は、往昔飛騨国に属したりしにや、中山七里は天正年中、金森家にて其崖路を広め、棧道を造り・・・・・ |
● |
32 |
三河 |
5-673 |
中 山 |
渥美郡・養父郷 |
西郷(サイガウ) 今西郷村と云うは、賀茂の東にして、吉祥山の南とする、西川、中山、萩平等の大字あり・・・・ |
? |
33 |
三河 |
5-680 |
中 山 |
渥美郡・和地郷 |
立馬(タチマ)埼 畠(福江町)の西北一里半、伊良胡の北東北二里余なる陸角にして・・・・・水路志云、畠の西を中山村と云ふ、中山の西は三河湾門にして、中山水道と言ふ。 |
? |
34 |
甲斐 |
5-836 |
中 山 |
東八代郡・井上郷 |
広厳院 塩田の中山にあり、寺記に「寛政中・・・・ |
? |
35 |
遠江 |
5-933 |
佐益中山
(小夜中山) |
小笠郡・山口郷 |
日坂(ニッサカ)の東なる坂嶺にして・・・・古代の駅路は此中山より牧野原を経て初倉駅へ出で・・・・。掛川志稿云、日坂より菊川へ至る坂路を、佐夜の中山と云、その道両山に夾まれて、左右の谷甚狭し、佐夜は峡谷なるべし、その中間の山なれば狭谷の中山と名づけたるなるべし・・・ |
● |
36 |
武蔵 |
6-444 |
中 山 |
入間郡・上総郷 |
中山(ナカヤマ) 飯能町の東北にして、青木に接する辺りを中山と称す。中山氏は丹治比姓、高麗五郎経家の後とす。(正保図には此村を中山町と称し繩町も昔は此に在りき)・・・・・ |
? |
37 |
武蔵 |
6-460 |
中 山 |
比企郡・渭後郷 |
中山(ナカヤマ) 今戸守、吹塚、薗部、長楽、正直等を併せて、中山村と云ふ、井草の西北に隣り、越辺川に沿へり、松山へ二里半、松山川辺の通路にあたる・・・・・・ |
● |
38 |
下総 |
6-707 |
中 山 |
東葛飾郡・栗原郷 |
中山(ナカヤマ) 今若宮、高石神、鬼越、北方等をも合して中山村と云ふ、葛飾村の西北に接し、其田畑相夾雑したり。総武の大路より分かれて、鎌谷、白井を経て、木下(下利根)に至る者は、中山村の高石神にて左折し・・・・・ |
○ |
39 |
上野 |
6-799 |
中 山 |
吾妻郡・長田郷 |
中山(ナカヤマ) 今尻高と相合せ、高山村と改む、大塚の東北二里にして、三国通越後路の一駅次とす、近世何の故にや群馬県に属せられ・・・・北は中山峠、一名塚原山を越え布施へ三里・・・・、回国雑記標註に、薙刀坂は中山峠の事なりと云ふ、俳諧歌集に越の薙刀坂とあるは誤りなり。 |
● |
40 |
下野 |
6-1044 |
中 山 |
那須郡・大笥郷 |
中山(ナカヤマ) 今大桶、滝田等相合せ、七合村の称を立つ、那須系図に、余一の舎弟滝田六郎実隆あり、之に住せしならん・・・・ |
? |
41 |
磐城 |
7-22 |
中 山 |
石城郡・荒川郷 |
中山(ナカヤマ) 今飯野村の大字にて、高久の西、矢田の東なり。延喜式、磐城郡佐麻久嶺神社は、中山の佐麻久嶺に在り、俗称木舟明神、社の東南には中山氏の居館址あり・・・・・・・・ |
× |
42 |
岩代 |
7-155 |
中 山 |
安達郡・郷名? |
中山(ナカヤマ) 安達、安積より、会津に通じる、狭隘の極処にして、即、高倉川の水源とす。分水界は、称して中山峠と云ひ、猪苗代湖を囲める輪郭状の・・・・・。中山は、仙道、会津の門戸なれば、一方の要害とす。今鉄道は、此を経由して・・・・・・ |
● |
43 |
陸前 |
7-467 |
中山越 |
玉造郡・余戸郷 |
尿前(シトマエ) 鳴子の西半里、旧駅名なり、其西一里を中山と云ひ、さらに一里半を国郡界とす、之を中山越といふ。標高二百九十米突、奥羽の通路中に、最低卑と称せらる。西に降る一里堺田・・・・・・ |
● |
44 |
陸前 |
7-510 |
中山柵址 |
登米郡・賀美郷 |
中山(ナカヤマ)柵跡 桓武天皇紀、延暦二十三年に小田郡中山柵見ゆ、其地は東北境なる中津山村なりしなるべし、弘仁六年に、小田の団に兵士千人を加ふということあるも・・・・・ |
? |
45 |
陸中 |
7-563 |
中 山 |
磐井郡・仲村郷 |
赤児(アカチゴ) 末野の西二里半余、即渓流の源地とす・・・・按、陸奥話記に「康平五年・・・官軍赴松山道、以南磐井郡中山大風沢、翌日到同郡荻馬場」とある中山、大風沢は赤児普賢堂の辺の地名なれど・・・・ |
○ |
46 |
陸中 |
7-662 |
中 山 |
巌手郡・郷名? |
御堂(ミダウ) 今御堂村と云ひ、沼宮内駅の四周の諸部をも持たせれど・・・・・駅の北一里半なる分水界嶺下の部落を云ふ・・・・御堂山を、北上山とも云ふ、北上河源にあたればなり。又、中山峠といふ。御堂とは中山に仏堂を置かれしよりの名なるべし・・・・ |
● |
47 |
陸中 |
7-663 |
中 山 |
巌手郡・郷名? |
中(ナカ)山 終北録云、文化戊辰二月初二日、過中山嶺、山下観音閣、蔵源将軍義家鼎、厚三寸、径二尺五寸・・・・ |
○ |
48 |
羽前 |
7-701 |
中 山 |
東置賜郡・置賜郷 |
中山(ナカヤマ) 今元中山、花窪、小岩沢、川樋を合せ、中川村と改む、赤湯駅、取揚坂の北なる峡中を云ふ、峡中に水は北東流し、村山郡上山駅に向ふ・・・・・中山三里の峡中は、西南より東北に開通し、其左方の山を岩部、右方の山を黒森といふ。今中山駅は赤湯を去る二里半余・・・・・・ |
● |
49 |
羽前 |
7-826 |
中 山 |
飽海郡・郷名? |
松山(マツヤマ)城址 新風土記云、松山は昔中山(ナカヤマ)と云ひ、総光寺という浄土宗の一宇あり、至徳元年、中山城主佐藤某の建立とつたえ・・・・・・ |
× |
50 |
羽後 |
7-870 |
中山郷 |
由利郡・中山郷 |
中山(ナカヤマ)郷 和名抄、河辺郡中山郷、今詳ならず、恐らくは由利郡石沢川の渓中にあたり、雄勝郡への通路に由れる村里か。即河辺郡の旧域の南極にして、法内(ホウナイ)に中山八幡宮あり・・・・・
大津は、大沢の誤にて、館前と大沢の境(サカイ)峠をいふごとし、古郷名の中山も之を指すか、近世は之をばアンササ峠ともいふ・・・・ |
● |
51 |
陸奥 |
7-983 |
中 山 |
二戸郡・郷名? |
中山(ナカヤマ) 今小鳥谷(コヅヤ)村の管内なれど、其南なる一駅にして、陸中岩手郡界の御堂峠の北麓に在り、中山とは、此界嶺の名なり。鉄道、沼宮内駅(岩手郡)八哩、子鳥谷十哩、小繋は、中山、小鳥谷の間・・・・中山駅は」海抜千五百呎と称す・・・・
永慶軍記云、天正十九年氏郷は九戸の城普請成就して・・・・・といひしは、遠江小夜の中山、爰(ココ)は「始て陸奥」の中山越て見渡せば・・・・・・ |
● |
52 |
陸奥 |
7-1091 |
中 山 |
北津軽郡・郷名? |
梵珠岱(ボンシュダイ) 山崎氏地誌云、一条の山脈津軽n半島を縦貫して、南南東より北北西に走れるを見る・・・・
中(ナカ)山通(前田野目より小泊まで十八个山)西浜通(中村より大間越まで・・・・・・ |
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