紙老虎の歴史漫歩  
  ナカヤマの神(4)  
 



大日本地名辞書に載る<中山>一覧


注1) このリストは、「大日本地名辞書」中の<中山>を、全てを網羅しているわけではない。
No 国名 巻・頁 記  載 郡郷など 地 名 辞 書 の 解 説 要 旨 判定
1 山城 2-74 中 山 洛東  中山(ナカヤマ) 黒谷(クロダニ)の邱陵の別名なり、神楽岡の東如意山の西、その中間に在れば也、然れども今指す所は、黒谷と神楽岡の間に在 前説誤れる如し。
2 山城 2-74 中山殿址 洛東  中山殿(ナカヤマドノ)址は中山忠親の亭にして、後家廟と為す。中山堂とも曰う何の世にか廃す。 ×
3 山城 2-97 歌中山 洛東  歌中山(ウタノナカヤマ) 久久目路の北静閑寺より 清水寺に通う山径を云う。盛衰記云・・・・・・其歌よみたる所を、歌の中山と名づく。
4 大和 2-393 中 山 山辺郡・大和郷  衾田(フスマダ)墓 継体天皇々后手白香皇女の陵なり、今朝和村大字中山にあり、殿墓と称す・・・・名所絵会云、中山の東に龍王山高く聳ゆ、即引手山なり、衾道は此辺に在り・・・
5 大和 2-393 菅生中山 山辺郡・大和郷  菅生千塚(カヤフノセンズカ) 朝和村東部高地に古墳甚だ多し、故に此の名あり・・・・朝和村の大字に菅生中山、其地東は・・・・南は崇神景行の山陵を隔て纏向三輪長谷・・・・、北は布留山石上邑に連り、西は・・官幣大社大和神社を望めり・・・
6 大和 2-409 中 山 吉野郡・那珂郷  象(キサ) 今国樔大字喜佐谷是なり、樫尾の西南に接す、一渓西青根峰より出でて、吉野川に入る・・・・象の中山即此ならん・・・・・
7 摂津 2-585 中山寺 河辺郡・山本郷  中山寺(ナカヤマデラ) 古は仲山寺に作る、長尾村の西に在り大字を中山と云う。
8 伊賀 2-761 伊賀中山 名賀郡・阿保郷  伊賀中山(イガノナカヤマ) 阿保村字岡田に在り、天武紀云う「車駕急行、到伊賀郡、焚伊賀駅家、還于伊賀中山、而当国郡司等・・・・中山在岡田村下河原村(今上津村)之間、今中山寺之名存矣・・・・・
9 伊勢 2-874 中 山 河芸郡・窪田郷  中山(ナカヤマ) 今栗真村と改む、白塚村と伴に海浜に居る、一身田村の東なり、栗真荘とは白子の古名なり・・・・・
10 紀伊 2-903 中 山 海草郡・野応郷  山口(ヤマグチ) 駅家郷は蓋し・・・中山と称し紀泉の山隘にして白鳥関址あり、平治元年平清盛・・・熊野詣の帰途鬼(キ)の中山にて六波羅の使者に会うと・・・・男(オ)中山とも云う。中山の王子社は・・・・すべて熊野参詣の道九十余所の王子と称する・・・
11 紀伊 2-932 中山村 那賀郡・福門郷  粉河(コガワ) ・・・・那賀郡名所図会 中山に西方院中山寺 あり・・・・、誓度寺址 粉河村大字中山にあり・・・・・
12 紀伊 2-972 中山路 日高郡・財部郷  山路(ヤマジ)、旧山地(サンチ)荘と云い数十村に分れしが、今上山路(大字似志村東村)中山路(大字柳瀬)下山路(大字甲斐川)の三村となる。・・・・・
13 紀伊 2-974 中 山 日高郡・岩淵郷  殺目山(キリメヤマ) 島田より東に・・・山道を中山と呼びて岩代村に通ず、熊野街道の一名所成。
14 丹後 3-42 中 山 加佐郡・凡海郷  中山(ナカヤマ) 今東雲村と改む、由良の南一里半、河畔に在り・・・・
15 但馬 3-72 中 山 出石郡・資母郷  中山(ナカヤマ) 資母村の駅所とす、出石を去る五里、金蔵寺あり・・・・・。藤森 今資母村の大字なり、中山の北東にして丹後への通路にあたる・・・・
16 播磨 3-169 中山峠 佐用郡・佐用郷  杉坂・・・今江川村大字大畠より作州吉野郡讃甘村に通じる山径を云う、或は中山峠と云ふ・・・
17 美作 3-248 中 山 真島郡・美甘郷  新庄(シンジョウ) 今新庄村と云ふ、美作略史云・・・・・。○美作名所栞云、三日月の中山は新庄村なり、後鳥羽院御道記に 「美作の国と伯耆の堺なる中山と云所を越させ給うに・・・・。
 増鏡に 「三日月の中山にて昔後鳥羽院の仰せられけむ事・・・」、中山は
今の四十曲峠ならん
18 美作 3-237 中山神社 苫東郡・苫田郷  中山(ナカヤマ・チュウサン)神社 今一宮村に在り、国幣中社に列す、延喜式苫東郡名神大と注するもの是也、津山の北一里半、俗に仲山大名神と云う、又南宮と称す。此神は三代実録「貞観二年、美作国正五位下仲山神、授従四位下・・・・」の事見え、宇治拾遺物語の此神の祭りには、女子の牲を備奉る由を載す、祭神詳ならず、神祇志料には吉備国中山大神を移し祭るものとす。
 美作旧跡録云、仲山大神は御神体鏡作の尊なり、慶雲二年、
中山の麓なる長良嵩に降臨あり・・・・。
19 美作 3-238 中山神宮寺 苫東郡・苫田郷  美作略史、朱雀天皇天慶三年正月、平将門を誅し中山神宮寺に祈る・・・・
20 備中 3-264 吉備中山 賀陽郡・庭妹郷  吉備津彦(キビツヒコ)神社 後世略約して吉備津宮と云ふ・・・今真金村に属し・・・・・神祇志料云、吉備津彦神社、板倉川の東、宮内村吉備中山にあり、中山の絶頂に茶臼山あり、山は即吉備津彦命の御墓也・・・・・・・・
21 伯耆 3-330 中 山 東伯郡・束積郷  束積(ツカツミ)郷 和名抄、汗入郡束積郷。後世八橋郡へ入り今上中山下中山の二村と為る、箆津郷の西とす・・・・・退休寺、名和氏紀事云、三月三日、船上の官軍は直ちに本国の守護代糟谷某が中山の城に楯籠り・・・・<民談記民諺記参取>中山谷は船上山の北二里。
22 安芸 3-516 生中山 佐伯郡・濃唹郷  濃(ノ)唹郷・・・・和名抄、佐伯郡濃唹郷。・・・・・濃唹駅は万葉集に「安芸国佐伯郡、高庭駅」とあると同所なるべし、・今地御前村と大野村の間に中山と云う峠あり・・・・・或は生中山(オフノナカヤマ)と号す。
23 伊予 3-750 中 山 伊予郡・出部郷  出部(イヅベ)郷 和名抄、浮穴郡出部郷、高山寺本注伊豆倍。今伊予郡淵村是なり、佐礼谷村、中山村、広田村も此所属なり・・・・・中山は郡中より大洲に至る駅路に係る・・・・
24 肥後 4-441 中 山 益城郡・富神郷  堅志田(カタシダ) 今中山村と呼ぶ、藩政の時中山手水の会所を堅志田に置きしによる・・・
25 越前 5-25 中 山 敦賀郡・従者郷  中山(ナカヤマ) 和名抄郡郷考、節用集越の中山、名所方角抄、越の中山、有乳(アラチ)山よりうしとらに木の目峠とて大山を越えて越前の府へ出るなり、是を中山といふか・・・・・。
26 越前 5-47 中山郷 今立郡・中山郷  中山(ナカツヤマ)郷 和名抄、今立郡中山郷、今栗田郡の北方の諸村をば中山と総称すれど、古の中山郷の南中山村に当るか・・・・・
27 越後 5-209 中 山
(名香山)
中頚城郡・栗原郷  妙高(メウコウ)山 又明高、妙香、妙光に作る・・・・或云、此山の古名越の中山と曰へるならん、中山を名香山と書し、之を音読してミャウカウと唱え・・・・ならんと。今も信越界の関の山八宿、新井より牟礼までを俗に中山八宿とは曰へり・・・・。
 中山 中頸城郡○中山霧海と云ふは、擬陸遊誌の記あり・・・山容を蔽ひ遂に中山八宿を籠む・・・・・古老曰く、中・名香と邦音同じ、妙香山、神名赤倉両山の中間にあり、最も高大なり、故に古は山の上下を総称して中山、或は名香山と言ふ、名香・妙香漢音近し、今遂に山上を称して妙香と曰ひ、山下を称して中と曰ふ、その実一なり、想ふに当に然るべし。
28 越後 5-283 中 山 南蒲原郡・勇礼郷  狭口(セバグチ) 今上条と共に加茂町の管内とす・・・・或る人云う・・・・・然らば式内中山神社などにや、ここは尾登峠の下にて、彼峠を中山と云うも不当にあらず、猶考ふべし、北蒲原郡に中山(松浦村へ入る)小中山(笹岡村へ入る)あれど・・・・、近年大崎(南蒲原郡)にも中山神を説く。
29 越後 5-327 中 山 東蒲原郡・郷名?  東山(ヒガシヤマ) 今東川村の大字とす、太田の東南二里許、字中山と云う地に、高倉宮の遺蹟を説き、車形の墓石・・・・・
   *私注 : 高倉宮とは以仁王かと思われる。
30 美濃 5-407 仲山金山彦神社 不破郡・新居郷  仲山金山彦(ナカヤマノカナヤマヒコ)神社 宮代村に在り、延喜式、名神大と注し、当国神名帳に、正一位勲一等、仲山金山彦大神と曰ひ、即一宮也。又南宮(ナングウ)と号するは、府の南に在れば也、今国幣中社に列せらる・・・・・
 神祇志料、旧府中に在り、後郡南新井郷宮代村
中山の麓に移す・・・・・
31 飛騨 5-512 中山七里 益田郡・郷名?  下原(シモハラ) 金山佐見の北にして、飛騨川の両岸に渉る、下原より下呂駅の間の峡路を、方俗中山七里と唱ふ・・・・。今の美濃金山は、往昔飛騨国に属したりしにや、中山七里は天正年中、金森家にて其崖路を広め、棧道を造り・・・・・
32 三河 5-673 中 山 渥美郡・養父郷  西郷(サイガウ) 今西郷村と云うは、賀茂の東にして、吉祥山の南とする、西川、中山、萩平等の大字あり・・・・
33 三河 5-680 中 山 渥美郡・和地郷  立馬(タチマ)埼 畠(福江町)の西北一里半、伊良胡の北東北二里余なる陸角にして・・・・・水路志云、畠の西を中山村と云ふ、中山の西は三河湾門にして、中山水道と言ふ。
34 甲斐 5-836 中 山 東八代郡・井上郷  広厳院 塩田の中山にあり、寺記に「寛政中・・・・
35 遠江 5-933 佐益中山
(小夜中山)
小笠郡・山口郷  日坂(ニッサカ)の東なる坂嶺にして・・・・古代の駅路は此中山より牧野原を経て初倉駅へ出で・・・・。掛川志稿云、日坂より菊川へ至る坂路を、佐夜の中山と云、その道両山に夾まれて、左右の谷甚狭し、佐夜は峡谷なるべし、その中間の山なれば狭谷の中山と名づけたるなるべし・・・
36 武蔵 6-444 中 山 入間郡・上総郷  中山(ナカヤマ) 飯能町の東北にして、青木に接する辺りを中山と称す。中山氏は丹治比姓、高麗五郎経家の後とす。(正保図には此村を中山町と称し繩町も昔は此に在りき)・・・・・
37 武蔵 6-460 中 山 比企郡・渭後郷  中山(ナカヤマ) 今戸守、吹塚、薗部、長楽、正直等を併せて、中山村と云ふ、井草の西北に隣り、越辺川に沿へり、松山へ二里半、松山川辺の通路にあたる・・・・・・
38 下総 6-707 中 山 東葛飾郡・栗原郷  中山(ナカヤマ) 今若宮、高石神、鬼越、北方等をも合して中山村と云ふ、葛飾村の西北に接し、其田畑相夾雑したり。総武の大路より分かれて、鎌谷、白井を経て、木下(下利根)に至る者は、中山村の高石神にて左折し・・・・・
39 上野 6-799 中 山 吾妻郡・長田郷  中山(ナカヤマ) 今尻高と相合せ、高山村と改む、大塚の東北二里にして、三国通越後路の一駅次とす、近世何の故にや群馬県に属せられ・・・・北は中山峠、一名塚原山を越え布施へ三里・・・・、回国雑記標註に、薙刀坂は中山峠の事なりと云ふ、俳諧歌集に越の薙刀坂とあるは誤りなり。
40 下野 6-1044 中 山 那須郡・大笥郷  中山(ナカヤマ) 今大桶、滝田等相合せ、七合村の称を立つ、那須系図に、余一の舎弟滝田六郎実隆あり、之に住せしならん・・・・
41 磐城 7-22 中 山 石城郡・荒川郷  中山(ナカヤマ) 今飯野村の大字にて、高久の西、矢田の東なり。延喜式、磐城郡佐麻久嶺神社は、中山の佐麻久嶺に在り、俗称木舟明神、社の東南には中山氏の居館址あり・・・・・・・・ ×
42 岩代 7-155 中 山 安達郡・郷名?  中山(ナカヤマ) 安達、安積より、会津に通じる、狭隘の極処にして、即、高倉川の水源とす。分水界は、称して中山峠と云ひ、猪苗代湖を囲める輪郭状の・・・・・。中山は、仙道、会津の門戸なれば、一方の要害とす。今鉄道は、此を経由して・・・・・・
43 陸前 7-467 中山越 玉造郡・余戸郷  尿前(シトマエ) 鳴子の西半里、旧駅名なり、其西一里を中山と云ひ、さらに一里半を国郡界とす、之を中山越といふ。標高二百九十米突、奥羽の通路中に、最低卑と称せらる。西に降る一里堺田・・・・・・
44 陸前 7-510 中山柵址 登米郡・賀美郷  中山(ナカヤマ)柵跡 桓武天皇紀、延暦二十三年に小田郡中山柵見ゆ、其地は東北境なる中津山村なりしなるべし、弘仁六年に、小田の団に兵士千人を加ふということあるも・・・・・
45 陸中 7-563 中 山 磐井郡・仲村郷  赤児(アカチゴ) 末野の西二里半余、即渓流の源地とす・・・・按、陸奥話記に「康平五年・・・官軍赴松山道、以南磐井郡中山大風沢、翌日到同郡荻馬場」とある中山、大風沢は赤児普賢堂の辺の地名なれど・・・・
46 陸中 7-662 中 山 巌手郡・郷名?  御堂(ミダウ) 今御堂村と云ひ、沼宮内駅の四周の諸部をも持たせれど・・・・・駅の北一里半なる分水界嶺下の部落を云ふ・・・・御堂山を、北上山とも云ふ、北上河源にあたればなり。又、中山峠といふ。御堂とは中山に仏堂を置かれしよりの名なるべし・・・・
47 陸中 7-663 中 山 巌手郡・郷名?  中(ナカ)山 終北録云、文化戊辰二月初二日、中山嶺、山下観音閣、蔵源将軍義家鼎、厚三寸、径二尺五寸・・・・
48 羽前 7-701 中 山 東置賜郡・置賜郷  中山(ナカヤマ) 今元中山、花窪、小岩沢、川樋を合せ、中川村と改む、赤湯駅、取揚坂の北なる峡中を云ふ、峡中に水は北東流し、村山郡上山駅に向ふ・・・・・中山三里の峡中は、西南より東北に開通し、其左方の山を岩部、右方の山を黒森といふ。今中山駅は赤湯を去る二里半余・・・・・・
49 羽前 7-826 中 山 飽海郡・郷名?  松山(マツヤマ)城址 新風土記云、松山は昔中山(ナカヤマ)と云ひ、総光寺という浄土宗の一宇あり、至徳元年、中山城主佐藤某の建立とつたえ・・・・・・ ×
50 羽後 7-870 中山郷 由利郡・中山郷  中山(ナカヤマ)郷 和名抄、河辺郡中山郷、今詳ならず、恐らくは由利郡石沢川の渓中にあたり、雄勝郡への通路に由れる村里か。即河辺郡の旧域の南極にして、法内(ホウナイ)に中山八幡宮あり・・・・・
 大津は、大沢の誤にて、館前と大沢の
境(サカイ)峠をいふごとし、古郷名の中山も之を指すか、近世は之をばアンササ峠ともいふ・・・・
51 陸奥 7-983 中 山 二戸郡・郷名?  中山(ナカヤマ) 今小鳥谷(コヅヤ)村の管内なれど、其南なる一駅にして、陸中岩手郡界の御堂峠の北麓に在り、中山とは、此界嶺の名なり。鉄道、沼宮内駅(岩手郡)八哩、子鳥谷十哩、小繋は、中山、小鳥谷の間・・・・中山駅は」海抜千五百呎と称す・・・・
 永慶軍記云、天正十九年氏郷は九戸の城普請成就して・・・・・といひしは、
遠江小夜の中山、爰(ココ)は「始て陸奥」の中山越て見渡せば・・・・・・
52 陸奥 7-1091 中 山 北津軽郡・郷名?  梵珠岱(ボンシュダイ) 山崎氏地誌云、一条の山脈津軽n半島を縦貫して、南南東より北北西に走れるを見る・・・・
 中(ナカ)山通(前田野目より小泊まで十八个山)西浜通(中村より大間越まで・・・・・・
×

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通路・ルートを言うもの
通路・ルートとおぼしきもの
山・丘陵を言うもの
山・丘陵とおぼしきもの
どちらとも不明のもの
× 名辞の根拠を別とするもの