紙老虎の歴史漫歩   
  列島古代雑記(3)  
 

椹野(フシノ)川を考える



  山口県の小郡をなんとなく市だと思っていたが,行ってみると小郡「町」であった。その小郡に椹野川という川が流れている。 ジンノもしくはジンヤとも読めそうだが, 「フシノ」と訓むのが正解であるという。昔から土地の人たちによって呼び慣わされた名があって, それが「フシノ」であったということであろうか。 (後に小郡町は、町村合併により山口市となっている。山陽新幹線<小郡駅>は<新山口駅>へ改称されている。)

小郡の街と椹野川筋

 その音韻に充てられた漢字が,なぜか「椹野」であったわけだが,「椹」にそもそもフシという訓みが本当にあるのかどうか。 仮にフシがフスであってもよい。ことばの音韻転化を考えれば,シとスは容易にすり換わった可能性がある。 フスノだったとしても,いつの間にかそれがフシノに訛っていたとしてもおかしくない。しかし, フシにせよフスにせよ, 木偏に甚などという漢字自体が初見である。木の一種に違いなかろうが,この文字に「フシ」の訓みがあるのだろうか-どうもありそうにないように感じる。
 それほどに椹野川の「フシノ」の訓みは,わたしだけではなく関東育ちのN氏の感覚をも越えたものであった。成りゆきから、地元を代表した形のT氏に,この問題解明の重責がゆだねられることと相なった次第である。

やはり椹に「フシ」の訓みがない

  椹という漢字にフシ・フスの訓を確認できれば,とりあえずは次のステップに進める。家に帰ってさっそく漢和辞典を当たってみる。わたしが最も信頼する藤堂明保氏編集の,学研「漢和大辞典」を開いてみたが,あの時の直感どおりに音訓・和訓とも「フシ」は見当たらない。音訓はチン・ジン・シンの三通り。和訓というよりも和意として、「あてぎ」あるいは「きぬた」,さらには「桑の実」の意もあるとしている。木偏ということで「さわらの木」の意味もあり,また別に「むくの木」をも指すことが解った。
 椹野の訓みがジンノを筆頭にして,せめてシンノもしくはチンノであったなら,とりあえずは問題なかった。さらにジンノであったとした場合は,例えば陣・刃・仁さらには尽とか,シンだったなら新・真・信・辛などで表し,もっとポピュラーな漢字の組み合わせ方も可能だったろう。フシ・フスの音韻を漢字一字で表すとすれば,普通にはまず思い浮かぶのが「節」とか「伏」などではあるまいか。さらには音節ごとに表記する場合は,不-死・夫-之・付-志など極めて多様な組み合わせができる。なぜそういった当て字にしなかったのか。なぜに、敢えて「椹野」という難字が充てられたのだろう。しかも,椹という漢字自体に、どうも「フシ」の訓みが見当たらないのである。

川の名前の付けられ方

  小郡の「椹野川」の表記は, 一体いつごろから定着したものだろうか。これが判明すれば-これを推定できるような素材が手に入れば, フシノ解読の相当大きな手掛かりになる。あいにく岡山のわたしには.参考にできそうな資料がない。このため,極めて我流なやり方ではあるけれど,川がどういう風に固有の名前を持つものなのかということから,「椹野川」の問題を考えみたい。だいたい水流の大小を問わずそれぞれの川が,太古から固有の名で呼ばれていたはずがない。
 揚子江といえば中国の中央部を東流する大河だが,もともとは普通名詞の「長い江」-LONG LIVER-に過ぎなかった。この雄大な流れのなかの-ほとんど河口に近い揚州市付近の水流が,揚子-江と呼ばれていたらしい。それも近世に入ってからのことである。これが,いつの間にか「長江」全体を総称する名前となった。 淀川もまたこの例にもれない。もともとは摂津国の淀のあたりの流れを,部分的にそう呼ばれていたものだ。坂東太郎の異名を持つ利根川については,関西以西に住むわたしには縁遠い川なので詳らかではないが,なんでもその昔は江戸湾に注いでいたと聞いたことがある。利根という名辞がいつごろから定着したものか知らないが,流域のどこかに「トネ」という地名(地域名)がある-もしくはかって存在したのではないか。
これについては関八洲を掌とするN氏の所見を, ぜひとも拝聴したいところだ。

川辺のどこかにフシノという地が

椹 野 川

  元来その川面を生活圏とする人々にとっては,わざわざ特定の名前をつけて呼ぶ必要はない。そういった人々の間では,現代においてもなお「カワ」とか「オオカワ」で意が通じよう。川辺で生活する人々に必要なものは,特定の淵・瀬・川中の岩さらには川岸の木や河原など,必要なポイントについて名前を共有することだったろう。もちろん,時代とともに川の名前も変わりうる。しかし,カワの持つ意味が川辺を生活圏とする人々の必要性を越えたとき,特別の名前-記号を付ける必要が生まれる。その時,「○○を流れる川」-あるいは「□□から流れてくる川」という,流域のどこか特定の一点に絞って名付ける手法が一般化したのではないか。
 岡山県西部を高梁川が南流しているが,そう呼ばれるようになったのは中流域の要衝に高梁市が誕生して以降である。この高梁が埼玉N氏に有縁の地と聞いて驚いたが,その前は「松山川」と呼んだ。高梁市の近世以前の地名が松山であつた。松山川の前は「川辺川」,さらにその前が日本書紀によると「川島川」となる。時代とともに呼び名が変わった。しかし,これらはいずれも土地の名であって,かってここに「川辺郷」があり,「川島県(アガタ)」が存在していたのである。
 信濃川や筑後川などはどうかということになるが,この場合はその流域が国全体にわたる特性による,拡大バージョン版の一つとご理解いただきたい。椹野川にこの法則をあてはめると,河口である小郡にはないかもしれないが,この上流のどこかに「フシノ」という土地が-あるいは表記が同じ「椹野」という地名がある,もしくは古代にはあった。この川のほとりで生活する人々が,フシノと呼び慣わさしていた平地がどこかにあったのではないか。この特定のポイントの土地名が,いつのころからか川の名前に転化したと考えたい。それでもと思って岡山県地名辞典で, 椹・フシに当たってみたが手掛かりは得られなかった。

双方向からのアプローチ

  広辞苑は「椹」について,サワラの木もしくはムクの木の意と言う。椹野はサワラかムクの木が林立する野原か。 いま一つ別の意味からは,赤紫に熟れた実をたくさんつけた桑林, さらに桑の葉からは養蚕・機織り-古代の綾部・錦織部の集団を連想させる。さらに椹が「キヌタ」の意を合わせ持つとすれば,桑・養蚕・機織り・砧がうまく複合する。これはこれはなんとしたことか,おあつらえ向きのように思えてくる。しかしまてよ,どうも腑に落ちない。どうして「フシノ」なのか。その地がこんな具合で「椹野」だったとすれば,訓みの方はジンノでもシンノでも,はたまたチンノの音韻でよかったはずではないか。なぜに「フシノ」なのか,あえてフシノと訓ませる理由がない。何か別の意味が隠れているのではないか。

フシ=付子・附子・五倍子

  いったい「フシ」とは何であろうか。古語辞典と広辞苑で引くと関係しそうなものは,ほぼ①柴,②節,③付子・附子・五倍子ぐらいであろうか。①はシバ木であり,山野に自生する小雑木で,ソダとも言う。これだとすると,フシノは小雑木が繁茂する平地という意味になる。どうだろう,こんな風景ならこの列島のどこにでもありふれたもの,あえて「椹」を選んで表現する必要があったとは思われない。
 とりあえず②は一応省く。③は「ヌルデの若芽・若葉に一種のアブラムシが寄生し,その刺激によって生じた瘤状の虫エイのこと。紡錘形で内部は空洞。タンニン材として薬用・染織用・インキ製造用に供する。昔はその粉を婦人が歯を黒く染めるのに用いた。」とある。③だとすれば,「付子」がたくさん取れるヌルデの木が茂った原っぱ-ということになる。いかがなものだろうか。

少年のころの思い出から

  車の中から「椹野川」の標識を目にし,T・N両氏とフシノが話題となったとき,わたしがまずその独特の音韻から連想したのがこの「付子」だった。今回フシを辞書で確認して,五倍子と書くとは驚きだった。少年のころわたしは田舎で「フシ」を見たことがある。ヌルデの木と広辞苑は記すが,わたしの田舎では、これと似たような木は全てウルシと呼んでいた。このウルシの木に-もちろん手当たり次第というわけではないが-奇妙な固まりが付く

ありふれたヌルデの木

木が散見された。夏場青々と葉が茂っている間は見過ごしてしまうが,ウルシの葉が色づき紅葉して落ちるにつれて, 黄色い異様な固まりが目につくようになる。それが「フシ」と言うものだと教わった。
 幼少時わたしはウルシ・アレルギーがひどく,ウルシにもフシにも触れないようにしたが,当時このフシを大量に採集していたおじさんがいた。集めたフシを莚に並べて天火で乾燥させ,袋につめてどこかに売ると聞いた。それは不思議な形をしていた。フシは一体何になるのか-何をするものなのかは,その時は残念ながら聞きもらした。おじさんとしては銭になるから取っているだけで,もしかすると自分が収穫したものが何になるのかも知らず,また関心もなかったという可能性は否定できない。もちろんお歯黒(鉄漿)の習慣は遠い過去のことで,染料にしても工業的に化学合成される今日, 山野を巡ってフシを採集する人はもう絶えて久しいことだろう。 あの時のおじさんは, もうとっくに亡くなられたと聞く。

椹野はやはりフシノの音韻から

  フシノの音韻からスタートすれば,漢字「椹」の説明がつかない。椹野の意味からスタートしたのでは,「フシ」の音韻が説明できない。あちらを立てればこちらが立たず,まるで矛盾を絵に描いたようなものである。これまでのフシと椹をめぐる雑談を総合して,現時点での-という括弧つきながら,わたしとしては「付子からくる音韻説」の方をイチオシとしておきたい。岡山県の地名に当たりながら古代の製鉄や鍛治を考えるとき,地名の変遷をいろいろ推測することがある。この作業を通じての経験則から,わたしとしては土地の名(この場合は川の名ではあるが)の基層に,長年にわたって呼び慣わされた音韻が隠されていると感じるからでもある。
 『この川のほとりに昔ヌルデの林があり,毎年貴重な生活・交易の素材となる付子がたくさん取れた。このためヌルデの林はフシノ-付子野と呼び慣わされ, いつしかその辺りの土地の名として定着していく。次いでこのフシノが, 一帯を流域とする川の名前に転化され「フシノ川」と呼ばれる。さらには,フシの音韻は変化しないまま,付子から「椹へ」の表記の置き換えが行われた。』
 もちろん決定打とは言えない。いささか迫力に欠けるが,とりあえずは,弱点補強のための材料を最後に一つ提供して,地元であるT氏による新事実や別の視点からの提起,さらには忌憚のないご意見を期待したい。

漢字の列島的「会意解釈」説

甚だしい状態となったヌルデの木

 椹という漢字は,見てのとおり「木」と「甚」で構成される。右の甚には「はなはだしい・ひどい」という意がある。椹を「木の-はなはだしき状態」と,漢字を視覚的・会意的に解釈して使ったと考えればどうだろうか。
 問題の「フシ」が,ヌルデの葉や小枝の付け根あたりに形成される過程,本体の木とは全く異質な固まり-明らかにその果実でもない物体が-ぶらぶらと下がった情景をご想像いただきたい。現代人にもそれは不思議というか異様というか,木としては誠に「はなはだしき」姿と感じたことは,当時の人々にとっても大いにありうることのように思われる。こういった漢字の視覚的・感覚的借用は,列島では古代から駆使されてきた。記・紀の漢字表記からして然りであって,現代でも子どものネーミングの手法としても多用されてはいないか。
 フィーリングとして好ましい名前の音韻がまずあって,次いで感覚的・視覚的に似つかわしい漢字が選択される。その漢字の和訓・音訓に求める音があるかどうか,そういう厳密さはますます希薄になってきたと思われるが,いかがなものであろうか。
(フシが付く・付かないにかかわらず、ヌルデはしばしばこのような甚だしい形状となる場合が多い。)

フシが付いたヌルデの木