溺れる日本よ、ワラをつかむな



                  (400字詰原稿用紙換算・約360枚)




目次

テロの衝撃   日本人最優先   「民主主義への挑戦」
どえらい事件   腹が立ったらすぐ殺す   児童虐待   尊属殺人   母の愛   逆らう自由
メイド・イン・チャイナ   即死産業   構造改革で日本はつぶれる   日本再占領
日本仏教   民主主義   自由と平等   罪と罰   他者の痛み   人権   権利と義務   ペット愛
心の理論   DNA   精神、自己と他己   サルからヒトへ   ヒトから人間へ   動物的人間
動物の中のドーブツ   赤ちゃんという仏さま   小学生には統制を   中高生には自由を
賛成! 反対!   社会科   不可と優   民主主義の独裁者   あたまとこころ
信仰と自我の両輪   和の精神   風土   「夫婦相和シ」   エゴイスティックな小心者
たまらん、もっとくれ!   ヒーロー願望   ノーベル賞廃止
お金はええことに使いましょう   子どもが欲しい!   血縁、地縁
アイデンティティ・クライシス   PTSD   カウンセリング
カウンセラーの個人的意見   ひきこもり   ひきこもりはなぜ起こる   生きる力
ストレスは消えない   「センセ、遊びなはれ、酒も飲みなはれ」   病人教師
アタマを空にする   ゆがんだ鏡   知識   タテマエとホンネ   砂の上に打ち捨てられた魚
自閉症   障害者差別   ハンセン病   自己・他己双対理論   ひびきのさと   失業率
刹那   前門のアメリカ、後門の中国   日本の役目
止まれ! 戻れ!    民和主義   晴耕雨読   食糧危機   産業はどうなる   市場主義の限界
さらば東京、さらば大阪   楽はせん、させん   イモとタニシ

解説

 中塚がこれまでに、大学や社会活動団体など、さまざまな場において語ってきたことの中でも、特にいまの世の中の、現実生活に関わりが深いと考えられる事柄を選んで、語り口調そのままに構成されています。
 2001年9月11日、アメリカを襲った同時多発テロ事件の衝撃から始まり、デフレ、経済・財政構造改革、産業空洞化、人権や福祉、教育、児童虐待、引きこもり、援助交際、リストラ、貿易摩擦、社会病理、凶悪犯罪等々と、縦横無尽に話が展開します。
いまの日本は、あたかも国全体が底なし沼にはまりこんでアップアップと溺れているに等しい状態です。岸がどっちなのか、まったく見えないだけでなく、泳ぎ方まで忘れてしまっているのです。そうした中、政治家や、学者や、文化人や、企業家や、タレントたちが、マスコミ、インターネット、講演、出版物などを通じて、実にさまざまな処方箋を描いてみせています。その中には、現状認識は正しいものも、しばしば見受けられます。しかしながら、肝心の解決策、「それでは、何を、どうしたらいいのか」ということになると、残念ながら、実現不可能か、効果が期待できないものがほとんどです。つまり、どれもこれも、溺れる者に投げられた「ワラ」に過ぎません。「ヤレヤレ助かった」とばかりに身をまかせたら、たちまちブクブク沈んでしまう、そんな、はかなく頼りないワラです。
 現に、バブル経済の崩壊後、「失われた十年」を過ぎて21世紀となり、すでに短いとは言えない歳月を経てきているにもかかわらず、経済をはじめとして、あらゆる現象が悪化の一途をたどっています。「あちらがダメならこちらがあるさ」とばかりに、とっかえひっかえワラをつかんでみても、絶対に底なし沼から脱出することはできません。
 なぜ、あんなに大勢の、「頭のいい人たち」が次々に繰り出す対応策が、ワラでしかないのでしょうか。それは、日本人が、人間性の根幹をなす「他己」を失ったからです。人間としての基本的なあり方を放棄した上で、人間社会を立て直そうとしても、どだい無理な話です。人間らしく生きることをやめるのであれば、話は別かも知れませんが。だから、凶悪な犯罪にしても、子どもの虐待にしても、親子間の殺し合いにしても、「これが人間のすることだろうか」と疑いたくなるような事件が、あとを絶たないのでしょう。こんなことが起きているのは、世界広しと言えども日本だけです。さらに恐ろしいのには、世界の国々が、ジワリジワリと日本の後ろをついてきていることです。具体例をひとつあげれば、厳格な儒教の国である韓国で、あろうことか若い女性による援助交際がはやり始めていると言います。日本の悪影響であることは、ほとんど疑う余地がありません。
 他己を育て、支えるのは、宗教であり、思想であり、哲学です。不動で、普遍的で、絶対的な真理だけが、他己を支えます。しかし、いまの日本に、絶対的な真理など、どこにも存在しません。みんなが賛成して「いい」と言ったことだけが、いちおうアテにされています。そこでは、あらゆることが、人々の損得と好き嫌いだけで決められ、実行されます。誰もが、自分の欲望と都合だけで動くようになります。そして、利益と選好に合わないものは、すぐに捨てられます。何かが捨てられると、すぐに新しいものが生み出されます。こうして、おびただしい「ワラ」が、浮かんでは消えていくのです。そして、そのような「ワラ」こそがすばらしいのだと積極的に肯定するのが、実は民主主義という社会システムです。
 これから先、日本にできることは何なのでしょう。それは、ワラにすがったのでは絶対に助からないのだということを、実際に体験している者として、世界中に訴えていくことなのではないでしょうか。滅亡にいちばん近いところにいるからこそ、その危機をもっとも強く、切実に語ることもできると思うのです。




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