(400字詰原稿用紙換算・約210枚)
はじめに 3
T.こころとは何か 4
1.フロイトの精神分析理論 4
2.ユングの無意識論 5
3.人間らしさとは 6
U.子どもの育ち方 12
1.こころはどう育つか 14
2.望ましい育て方 14
3.統制・自由・愛 17
V.現代っ子のこころ 20
1.子どものこころに何が起きているか 20
2.荒れる子ども 20
3.自己肥大の宿命 22
4.いじめを考える 27
5.不登校 30
6.高校生の規範意識 31
W.求められる「こころ」とは 32
1.根気のなさ 32
2.どうして根気がなくなるか 39
X.子育てと教育のストレス −どう向き合い、乗り越えるか− 46
1.中塚のストレス尺度と自己・他己検査 47
2.中塚のストレス研究 51
3.木村の研究 52
4.亀井の研究 53
Y.「情育」の実現に向けて 60
1.情動の共有 60
2.大人の権威を 64
おわりに 69
参考文献リスト 71
現在、子育てや教育は混迷の真っただ中にあります。むろん、処方箋が示されていないわけではありません。むしろ反対に、テレビでも、ラジオでも、新聞でも、それから雑誌でもインターネットでも単行本でも、ありとあらゆる情報や対応策があふれかえっています。
それなのに、児童虐待、不登校、引きこもり、非行、少年犯罪など、子どもを取り巻く状況は悪化の一途をたどっています。世に氾濫している情報は、何ひとつ役立っていないようです。極端な場合、さまざまな情報が、むしろ事態を悪化させていることすら、起きているのではないでしょうか。
どんな育て方が、子どもたちを幸せに導くのでしょうか。それがわかるためには、当たり前のことですが、「人間としての幸せとは何か」がわかっていなければなりません。しかし、そうは言っても、「人間としての幸せとは何か」とあらたまって聞かれた時、はっきりと即答できる人が、なかでも子育て中のような、比較的若い世代に属する人々の間に、果たしてどれほどいるものでしょうか。大いに疑問のように思われます。
人間としての幸せとは、具体的にわかっていただくのは困難と思いますが、自分が「生かされて生きている」存在であることを、腹の底から実感できることです。あるいは、他人の喜びや悲しみが、そのまま自分自身の喜びや悲しみになることです。そうなれば、限りない人生の喜びが、勝手に湧き出してきます。
これは、「そうなろう」と、頭で考えてなれるものではありません。それが人間の難儀なところです。心理学的に言いますと、人間の精神を構成するふたつのモーメントである「自己」(自分に閉じた、自分の生を追求しようとする心)と「他己」(他者に開いた、他者を求める心)との統合が成った時に、絶対的な幸福は訪れてきます。この統合は、意識的なはからいを超えたところにあるのです。
人間の精神は、生まれた時には、自己と他己が未分化で統合された状態にあります。赤ちゃんは、ただあるがままに、自分に与えられた生を懸命に生き抜こうとしているとも言えます。その後、人間の精神は、おもに自己が充実する時期と、他己が充実する時期とを交互に通りながら成長していきます。
年齢でその節目を言いますと、まず、受胎後、母親の胎内にいる時期は、最初の他己期になります。出生後、およそ7〜9か月頃までの乳児期は、最初の自己期です。そして、その後、2〜3歳頃までが、二度目の他己期です。このころに離乳や会話、歩行、排泄の自立、基本的生活習慣の形成などが、親や保育者によってしつけられます。
さらに、この後、6〜7歳頃までの間は、二度目の自己期になります。いわゆる「第一反抗期」と呼ばれる時期です。そして小学校に入り、12〜13歳頃にかけては、再び他己期がめぐってきます。勤勉や節制、忍耐など、大人や社会の価値観を身につけさせる、非常に大切な時期です。そしてさらに、中学生の頃から20歳台の後半にかけての、長い青年期に入ります。思春期であり、第二反抗期です。これが最後の自己充実期であり、この後、自己と他己のバランスがとれた大人へと仲間入りすることが期待されるわけです。
人間の成長とは、精神の成長に他なりません。もちろん体が大きくなり、身体機能や能力も伸びますが、それらも、精神の働きの一部を担うものなのです。そして、駆け足ではありましたが、上で見てきましたように、望ましい精神の成長は、生まれた時には一体でありながら、その後バラバラになってしまった自己と他己を、再び統合させていくというものなのです。
自己の充実期には、自由がいります。一方、他己の充実期には、統制がいります。自由は放任ではなく、また、統制は単なる拘束や管理を意味するものではありません。自由と統制の基礎には、限りない、無条件の愛が不可欠です。逆に言えば、愛を欠いた自由は、放任や甘やかしに、愛を欠いた統制は非人間的な管理に陥ってしまうのです。
自己と他己のバランスは、頭で考えてとれるものではありません。人間の精神機能は、意識層と無意識層とに大きく分けることができますが、最終的に目指すべきなのは無意識における自己と他己の統合です。そして、意識レベルで大切なのは、いちばん基礎にある情動−感情機能(こころ)です。自己に属するのが情動機能で、他己に属するのが感情機能ですが、このふたつは、実は生まれてすぐ、すでにほとんど完成しています。ですから、「こころ」を育てるというのは、教育や訓練によって「こころという能力を伸ばす」ことではありません。
そうではなく、まず「こころ」の働きを、人間が誰しも生まれながらに宿しているもの、人間らしさの根幹と捉えることが、まず大事だと言えるでしょう。そして、その人間らしさが、成長の過程で十分に働いていけるよう、最大限の努力を傾けるのが、親や大人の務めだと思うのです。
その務めとは、繰り返しになりますが「こころ」を知識や技能として教えることではありません。基本となるのは、子どもの喜び、悲しみを、そのまま受け取って、完全に共有してあげることです。言葉にすればかんたんですが、これがなかなかどうして、できることではありません。つい、大人の都合を子どもに押しつけてしまうことがほとんどです。自分では違うつもりでも、知らず知らずのうちにそうなってしまうのです。このように考えてくると、子育てやしつけ、教育というのは、それを通じて、親や大人自身が、人間性を磨き直す機会を与えてもらっているということがわかるのです。