愛を育む子育て



                    (400字詰原稿用紙換算・約330枚)




目次

  はじめに   4
T 子どもをめぐるふたつの意見   6
    しめるかゆるめるか/スパルタ派とナチュラル派/文部省の考え方/
    望ましい子育ては?/統制と自由、そして愛/
U 人間にはふたつの心がある   12
   「自」の心と「他」の心/性善説と性悪説/赤ちゃんは他者に尽くす/
    自他が一体化した赤ちゃんの心/「自」の成長/心は矛盾している/
V 「愛」は見返りを求めない   17
    心の成長の道すじ/子どもに無関心なお母さん/親自身の心/
    変わってきた価値/「他」の心を育てる/体罰はしつけか/
   「愛のムチ」はない!/人のせいにする民主主義/民主主義は平等対等/
    愛情は一方通行/人を思い通りにする思想/民主主義の悪/
   「自分が」幸せになりたい/自己愛を捨てる/客観的な価値/我慢、辛抱/
    ダブルバインド(二重拘束)/自分の殻/愛はギブ・アンド・ギブ/
    人間と動物の違い/
W 統制が必要な時期   35
    お腹の赤ちゃんに自由はない/気持ちが大人の方を向く/
    小学生に求められていること/小学生は大人を求めている/農業の体験/
   「愛」は「信」を生む/
X 自由が必要な時期   44
    赤ちゃん中心の生活に/おのれを捨てる/手をかけず、目をかける/
    気持ちを満たしてやる大切さ/心の成長の締めくくり/人を信じられない/
    夢や希望がない/理解と手本/「自分らしさ」の追求/
    働かない若者、勉強しない子ども/成長の道すじを見通して/
Y 子どもの心に育てたいこと   56
   「トップランナー」を目指すのか/世界を変えるITと遺伝子/
   「みんな同じはダメ」/「できる」人間が「善い」人間なのか/
    知識も能力もいらない/心の汚れ/人類の危機/仲良く生きる/
    社会崩壊の危機/情けない日本の子ども/「悪知恵」を捨て、心を磨く/
    幸せとは何か?/民主主義は自己主張/子どもに執着する/気分で怒る親/
    愛ではなく取引/取引と孤独、不安/現実社会は「自」ばかり/
    思い通りにできないこと/願うことの大切さ/「和」を取り戻す/
    日本が世界の手本となる/

Z いま、大人にできることは何か   80
    根気がなく、閉じこもる子どもたち/なぜ根気強さが必要なのか/
    根気はどうしたら育つか/自己主張と不安/子どものストレス/
    愛情不足が殻を作る/
[ 夫婦として、父として、母として   91
    夫唱婦随の復活/父親不在の真実/生きる意味を問う/
    生みだし、包み込むのが母/民主主義と女性/自己主張する女性/
    何を求めるべきなのか/母性の回復/弱肉強食の世の中/民和主義/母の使命/
    子どもの可塑(かそ)性/安定した夫婦関係を築く/
  おわりに   112


解説

 人間の成長とは、精神の成長に他なりません。動物が大きくなるのとは、根本的に違います。そして、精神が成長するとは、精神を構成するふたつのモーメントである「自己」と「他己」とのバランスがとれ、統合がはかられていくということです。
 子どもは大きくなっていく過程で、自己を充実させる時期には自由が、一方、他己を充実させる時期には統制が、それぞれ与えられることが必要です。もちろんこれは「どちらかと言えば」という、程度やウエイトのかかり方を示すものでありまして、自己期には自由気ままのほったらかし、あるいは他己期には管理体制でギリギリ縛り上げるということを意味しません。
 自由が単なる甘やかしにならないために、また、統制が単なる管理にならないために必要なのは、両方を支える、あるいはつなぐ「愛」が必要です。愛は、自己と他己をつなぎ合わせるボンドでもあります。
 そしてこの愛は、自分の都合や欲を離れた、つまりは自己を滅した、無私の、無償のものでなければなりません。実は、こうした愛を持つことほど、生きていく上で難しいことはないのです。
 1990年代以来、日本中が、終戦直後は別としても、かつてないほどの長期かつ深刻な不景気に陥っています。デフレが進行して物価がどんどん下がり、しかも消費者が買い控えをするため、モノがさっぱり売れなくなっているようです。そうした中、比較的好調なのは、「家族」をターゲットにした商品です。いまのところ自動車の売れ行きを引っ張っているのは、ミニバンやワンボックス、RVといった、家族で出かけられる車のようです。また、東京ディズニーランドとユニバーサル・スタジオ・ジャパンの二強テーマパークは家族連れで超満員。付近のビジネスホテルが各部屋を家族向けにリフォームしたところ、予約が相次いで収益が倍増したという、近ごろではまれな景気のいい話もあるようです。さらには、近ごろベストセラーになったり、有名な文学賞をとったりする小説は、多くが家族愛を描いたものになっているのです。
 こうした面だけですと、日本人の親は、子どもに対してまことに深い愛情を注いでいる(少なくとも真剣になっている)ように見えます。しかし、その反面で、児童虐待や引きこもりは、国が統計を取り始めて以来、激増の一途をたどっているのも事実です。このギャップは、一体どのように理解すればいいのでしょうか。
 つまるところ、親の多くは子どもを愛しているようでありながら、その実、子どもの向こう側に自分自身の姿を見て、自分だけを愛しているのではないかと思われるのです。それは親の自己愛、ナルシシズムです。やっかいなのは、ほとんどの場合、親自身がそのことに気付けないことです。
 日本の精神文化の自己肥大傾向(と、その裏腹としての他己縮退傾向)は、長い目で見ますと、平安末期〜鎌倉にかけての、武士政権成立過程の頃から今日に至るまで、連綿と続いてきています。そして特に、第二次世界大戦後、神道も儒教も仏教も、およそ日本人の精神的バックボーンとなってきたあらゆる思想、宗教は徹底して捨て去られ、唯一残されたのは民主主義の考えだけでした。民主主義の原理の中には、他者性は存在していません。「自分の権利を守るために、他人の権利も侵害しない」という、「社会契約」がいちおう結ばれますが、それが本来の他者性でないことは、一見して明らかです。
 つまり、思想・宗教の否定と民主主義の徹底によって、日本人の自己肥大傾向は決定的になったのです。そして半世紀以上が経過して、世代交代が進み、団塊ジュニアが親になるところまで来ています。こうなりますと、子育てや教育に、自己の原理しかなくなってしまうのは、むしろ当然の成り行きです。日本では、「愛」と言えば他者愛ではなく、自己愛を指すのが当たり前になっているのです。本当の愛を与えられずに育った子どもたちが親になり、再び愛を欠いた子育てを繰り返すという悲劇が生じています。この事態から方向転換をするのは至難の業ですが、それができなければ、日本社会の崩壊はそれほど遠いことではないようにすら、思えてきます。 
 いま、われわれが心すべきなのは、他者への無条件な愛が、人間の人間たるゆえんであるという原点に立ち返ることでしょう。そういう無私の愛を、誰でもが心に宿してこの世に生まれてくるのです。しつけや教育によって、後から植え付けられるものではありません。ですから、道徳や知識として愛情を教え込むのではなく、人間である証として本来やどしている愛の心が、十分に働けるように配慮していくことが大切になるのです。
 また、家族の抱える問題は、親子間のものだけではなく、夫婦の間でもたいへん深刻になっています。それらの問題は、夫婦によって形や程度がさまざまでしょうから、十把一絡げにして解決策を示すわけにはいかないと思います。
 中塚は、障害児を持つ母親や家族の心理的ストレスに関する研究やカウンセリングを20年近くにわたって続けてきています。その過程で、どのような家族や夫婦についても共通して当てはまることが、かなり多くわかりました。くわしくは別の著『ストレスフル・マザー』に譲ることにして、ここでは、母性とは何か、父性とは何か、ということだけを申し上げておきます。
 女性にしかできない女性の役割とは、子どもを生み、育てることに尽きます。このことから考えますと、母性(女性性)の本質とは、子どもをはじめとして、あらゆる他者を包み込み、許し、認め、はぐくむところにあると言えるのです。一方、男性は、女性によってこの世に生み出された、もっと言えば放り出された「はみ出し者」です。はみ出し者としての、父性(男性性)の本質は、おのれの生きざまや生きている意味を、追求し尽くすことです。このような女性と男性が夫婦になった場合、妻の心理的ストレスがもっとも低くなると言うことが、統計的な研究で明らかになっています。
 男女の役割も、このような母性・父性の本質に基づいてなされるのが理想的だと思います。ただし、だからと言って、「女性は家庭、男性は仕事」と固定することを主張したいのではありません。女性が、いま以上に社会に進出して、存分に仕事をすることも、大いにけっこうだと思います。ただし、そうなったら、「女性は家庭も仕事も、男性も、家庭も仕事も」というように、夫婦のうち、いつでも必ずどちらかが家庭にいるようにしなければならないと思うのです。
 本当に育てられる子どもの側に立った子育て論が、いまこそ求められていると言えるでしょう。愛がなければ、子どもは健康に育っていけないのです。




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