「大乗起信論」解説 T・U



                  (400字詰原稿用紙換算・約28枚)   




目次

はじめに/大乗起信論の成立/人間精神の心理学モデルと自己・他己双対理論
モデル・理論の内容/自由とは何か/慈悲、感謝、報恩/真実のままある世界
ひたすら信じること/民主主義とは/楽と苦/人々の機類/民主主義の行き詰まり
真の民主主義とは/無意識と悟り/迷いと悟りの一体体験/「世間の法」
如来蔵識と煩悩蔵識/衆生心/「世間の法」と「出世間の法」/煩悩の追求
人間の他者性(他己)/善悪/心真如門と心消滅門/一切の諸法/人間の理性
再び「仁」について/無意識/平等の意義/自然との一体感/表現を超越している
体達/人間精神の弁証法的二重性/不死の境地/アーラヤ識/教育の使命
悟りと、悟りを求める心/凡夫と聖者/東洋哲学の意義/精神的成長のプロセス
修行への動機づけ/アーラヤ識の破砕/矛盾の超越/迷いの相続の遮断
無明の闇を抜けるために (以上T)
はじめに/自由、平等について/悟り/真如/五戒/修行/無明と虚妄
聖者のなすべきこと/自性清浄心/無明の風/無明はどうして生じるか
波浪/はからい/慈悲と智慧/如来蔵と唯識/生きることの不安
過去、現在、未来/鏡のたとえ/アーラヤ識の二義/絶対否定と自己延長
矛盾とその超越/四種の鏡のたとえ/迷妄とは/不覚の相/現実における迷い
光/「覚」と「不覚」の論理的矛盾/不生不滅と生滅/意識と虚妄
西洋哲学の限界/三界と分別/無明/大乗・小乗/ボサツ/心の垢/生きる意味
解脱に至る自由/薫習/心の浄化/染法による薫習/苦と願望/苦と情熱
仏との一体感/妄心/内因、外縁/未相応、已相応/真如の実相/菩薩道
分別事識と業識/法身/本性、本質 (以上U)
 


解説


 『大乗起信論』は、大乗仏教の哲学思想を述べた大切な古典として広く読まれており、特に中国・日本では重要な意義を持っているとされています。著者は、古代インドの仏教詩人として有名なアシュヴァゴーシャ(馬鳴・めみょう 2世紀)であると伝えられていますが、成立したのはおよそ5〜6世紀頃であろうと考えられています。原典はサンスクリット語で書かれていましたが、残念ながら散逸してしまいました。現在、一般には、パラマールタ(真諦 499-569)による漢文テキストからの訳出が広く用いられています。
 この『大乗起信論』は、仏教におけるふたつの思想、「如来蔵思想」と「唯識思想」の統合と言われています。如来蔵思想とは、人間は誰でも、生まれながらにしてその内に仏(仏性)を宿している、という考えです。また、唯識思想とは、この世のあらゆる存在は虚妄(こもう)である、すなわち、実体は何ひとつとして存在していない、という考えです。そこには、ただ識(=認識、知ること)があるだけです。人間が認識するから、さまざまなものが存在している、認識しなければ、何ひとつ存在しない、ということです。そして、人間は修行によって唯識、すなわち真の知に到達できる、とされます。ヨーガ派の思想でも、ヨーガの修行による体験が唯識であると言われています。
 このような、人は元来、仏性を宿しているという思想と、ヨーガの思想との統合が、『大乗起信論』なのです。これは言い換えますと、人間は誰しも仏性を宿して生まれてきますが、その輝きは、修行をしなければ現れない、ということです。
 おのれのなかに宿した仏を、修行によって磨き出します。すると、われわれが生きているこの現実世界において「仁」の価値が達成されます。これは、「おのれを抑えて他者をたてる」ことです。
 いま、社会は、エゴとエゴとがぶつかり合う修羅場と化しています。自分ではエゴを主張しているつもりがない人でも、この豊かな日本で暖衣飽食の生活に甘んじていれば、それは、途上国の貧しい人々の命を「食い物」にして生きていることに等しいのです。信仰を持ち、生活の中に修行を取り戻さない限り、こうした根本的な事柄に対する反省と自覚は生まれません。世界の中でも、国民の8割近くまでが「宗教など信じない」と公言してはばからないのは日本だけであり、必然的な結果として、人心の荒廃には目を覆いたくなるものがあります。「仁」がもっとも失われているのが、他ならぬこの日本だということです。
 人間が生きていく上で尊ばれる価値には、「仁」の他にも、「義」「礼」「智」「美」「真」「善」「聖」などがあります。それらの価値が達成されるとはどういうことなのか。そうした価値は、人間が実際に生きていく上でどのような意味を持つのか。こうしたことを、『大乗起信論』を読みながら考えていきます。
 なお、この解説のテキストとして、『仏典U』(中村元編,世界古典文学全集7,筑摩書房,1972年)を使用させていただきました。




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