ストレスフル・マザー



                   (400字詰原稿用紙換算・約300枚)




目次
こんなコドモにだれがした/世界の異端児、日本/障害児差別 その1/障害児差別 その2
障害児差別 その3/母のストレスはどうなっているか 1/母のストレスはどうなっているか 2
母のストレスはどうなっているか 3/母のストレスはどうなっているか 4 /ストレスを測る 1
ストレスを測る 2/ コミュニケーションとストレス 1/コミュニケーションとストレス 2
コミュニケーションとストレス 3/コミュニケーションとストレス 4/コミュニケーションとストレス 5
コミュニケーションとストレス 6/ 子どもはどうなった 1/子どもはどうなった 2/子どもはどうなった 3 人を求めるこころ 1/人を求めるこころ 2/人を求めるこころ 3/人を求めるこころ 4
人を求めるこころ 5/人を求めるこころ 6/人を求めるこころ 7/自己への執着 1
自己への執着 2/ 他己喪失の病 PTSD 1/他己喪失の病 PTSD 2/ 時間とストレス 1
時間とストレス 2 /時間とストレス 3/ 児童虐待 1/児童虐待 2/生きる力
自己・他己検査/ 自己他己のバランスとストレス 1/ 自己他己のバランスとストレス 2
生きる意味 1/ 生きる意味 2/生きる意味 3
参考資料

解説

 児童虐待は、現代日本が抱えるさまざまな問題の中でも、その深刻さにおいて一段と際だっています。ひきこもりや不登校なども、子どもたちをめぐる緊急事態ですが、児童虐待の場合は、殺人や傷害などの刑法犯罪に直接むすびつくことが多いためです。しかも、被害者たる子どもは、ほとんどすべての場合まったく無力、無抵抗ですから、その陰惨さは筆舌に尽くしがたいものがあります。
 以前、児童虐待を研究対象にしたいという学生さんと話になったことがありました。その時、「なぜ日本でここまで児童虐待が増えているのか」ということについて、その人は「母親を支援するシステムが不足しているからだと思う」と述べていました。
 しかしこれは、話が転倒しています。支援システムがないから虐待が起こるのではなく、虐待がなくならないために、支援システムを作らざるを得ないようになっているのです。支援の有無が虐待の発生を左右するのであれば、なぜ、世界中の途上国や貧困地域で、日本以上の児童虐待が起きていないのでしょうか。そういうところでは、母親支援どころの話ではなく、だれもが人間として最低水準の生活を強いられているのです。しかし、日本のような人心の荒廃は起きていません。したがって、支援云々と言うだけでは、虐待の原因に対する説明になりませんし、根本的な解決策を示すこともできないのです。
 日本の母親の多くが抱えている精神的ストレスとは、その本質がいったいどのようなもので、何が原因で起こってくるのか。このようなことを明らかにするのは、虐待以外の面においても、非常に意義が大きいと思います。
 私どもがおこなってきた、家庭における母親のストレス研究では、これまでにさまざまな知見が得られています。たとえば、障害児を持つお母さんですと、ストレスの高いお母さんは、そうでないお母さんに比べて、ストレスの解消を家庭以外の場や、家族以外の人に求めている傾向が高いということがわかりました。したがって、お母さんのストレスには、お父さん、つまり夫をはじめとした、身近での、温かなこころの通い合いが非常に大きく影響すると言えるのです。
 いま、日本中の多くの家族が、きわめて危機的な状況にあります。そして、家族などに期待せず、寄りかからず、家族成員一人ひとりの「個」を確立して生きていくことがこれからは大事なのだ、ということがよく言われたりします。しかし、こうした行き方は、ますます事態を悪化に導く危険性が高いと思われます。
 他己を持った人間は、他者とこころを通わせて、互いにわかり合い、支え合わなければ、生きている意味も喜びも感じることができません。家族の中でそれがおこなわれなかったら、夫婦間ではストレスが高まるのはちろん、それ以上に、そのような親に育てられた子どもが、まったく他者のこころのわからない、エゴイスティックで鈍感な人間に育ってしまいます。そして、自分たちに全責任があるにもかかわらず、多くの親たちが「こんなかわいくない子は、顔も見たくない」と言って虐待を繰り返すという、悪夢のようなことが生じてしまうのです。いま、日本人の多くが、自分は他者に(我が子にすら)愛情をかけないのに、自分だけは他者から愛してもらいたいと必死になっています。自己肥大と、他己喪失の結果です。
 現代の母親が感じている精神的ストレスは、本を読んだり、講演を聞いたり、カウンセリングを受けたり、サークル活動をしたりする程度の、こう言っては失礼ですが「小手先」のことでは、決して根本的に解決することはありません。そういった体験で、救われた気分になれることは多いでしょうし、そのような人たちに、いちいち冷水を浴びせるようなことを言ったりしたりするつもりは、毛頭ありません。しかしながら、どこか心の奥底で、不安や不満がくすぶり続けているというのが、多くの人々にとって、おそらく真実であろうと思うのです。
 人間は、生きている以上、決してストレスから逃れることはできません。もちろん、心的な負担を軽くする努力はあってよいことです。しかし、それよりもっと大事なのは、どんなストレスが降りかかってきても、決してそれに負けない、タフで、しかも柔軟な心を持つことでしょう。
 そのためには、人間精神の二本柱の一方をなす、他己の働きを豊かに回復することです。そして、それができるのは、究極的には信仰、宗教、あるいは真の哲学や思想を持ち、自らの心を磨く修行に励む時だけなのです。




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