自閉症を世界で初めて報告したのは、アメリカの小児精神科医、カナー,Lでした。カナーは、自分のところに通ってくる子どもたちの中から、きわめて特異的で、かつ共通した症状を示す11の症例を選び出し、彼らを詳細に観察した結果を「情動的交流の自閉的障害 Autistic disturbances of affective contact」と題する論文にまとめて発表しました。1943年のことです。
 カナーはすぐれた臨床的観察眼をもって、自閉症の本質を見抜こうと努力し、その成果は確かに研究を大きく前進させました。しかし、初期のカナーは、自閉症の発症原因について、根本的な誤りを犯していました。すなわち、多くの症児は「冷たく、孤立した、ユーモアのない完全主義者の」親から、「情動が凍りつくような冷たい」取り扱いを受け、「遺伝による素因がどんなものであれ初期の人格発達上、強力な発病要因となり」、高い認知能力をもちながら子どもは自閉的に引きこもってしまうと考えていたのです。この結果、自閉症児を持つ親は世間から非難の目で見られ、肩身の狭い思いをさせられることが多かったと言えます。また、子どもに対しては、何をしようとも絶対に受容し、許すというのが治療教育の方針とされたましが、その効果はほとんど上がりませんでした。

 1960年代に入り、イギリス・ロンドンのモズレー病院の小児精神科医であったラター,Mと、彼をリーダーとする「モズレー学派」と呼ばれる研究者たちが、カナーの誤りを正す学説を発表しました。
 カナーは、自閉症児は知的に優れていると考えていましたが、ラターらがデータを駆使して研究を行った結果、自閉症児の知能指数には、測定不能から120までと大きなばらつきがあることが明らかになりました。また、自閉症児は知的発達がだいたい等しいその他の障害児(主として知的障害児)よりも予後が悪いこともわかりました。そして、ラターらは、脳に何らかの器質的な障害があり、その結果、認知的な欠陥が起きるというのが、自閉症の根本であるという説を唱えたのです。この、自閉症の認知障害説は、研究史上コペルニクス的転回がもたらしたと評されるほどのインパクトをもって受け入れられ、またたく間に世界中へと広がっていきました。この潮流は、現在でも基本的にその方向を変えていません。

 ラターによる自閉症の診断基準は、次のようになっていました。
 @ 生後30ヶ月以前の発症
 A 特異的な特徴をもち、知的レベルと一致しない社会的発達の障害
 B ある明白な特徴をもち、知的レベルに一致しない言語発達の遅滞と逸脱
 C 常同的遊びのパターン、異常な没頭、変化に対する抵抗などに示される同一性への固執
 認知面、言語面に障害があるのは、自閉症児に限りません。知的障害児、それから、LD児やADHD児にも同様の症状が見られることは多くあります。そして、こうした子どもたちはみな、程度の差はあれ、脳に器質的な障害を負っていると考えられています。
 それでは、脳に器質的な障害が推定される障害児の中で、なぜ自閉症児だけが、重篤な社会性および対人関係の障害を示すのでしょうかか。脳損傷に起因する認知・言語障害が自閉症の基本障害であるならば、ほとんどの障害児に自閉的な症状が共通して見られなければつじつまが合いません。実際、自閉症以外の発達障害児が、自閉症によく似た症状を示すことはありますが、自閉症の場合は、その共通性がほぼ完璧です。他の障害児ではそのようなことが起こりません。
 このように、自閉症の基本を認知・言語の障害と考えますと、他の障害、例えば知的障害やLDとの関係や区別が曖昧となり、説明がきわめて困難になります。このようなことがあって、自閉症の中心症状は、やはりあくまでも社会性あるいは対人関係の障害であり、これが何によってもたらされるのかが問われなければならないと言われるようになりました。1980年頃から起こってきた、こうした世界的な動向は「カナーへの回帰」と呼ばれることがあり、実際、一度は否定されかけたカナーの仮説が再び注目を集めるようになりました。この時期に登場するやいなや、学界を席巻したのが「心の理論障害説」という新しい仮説です。

 さて、中塚が、前任校であった和歌山大学に在籍している時に自閉症の研究に着手したのは、上述の「カナーへの回帰」が起こり始めた頃でした。中塚は、当初から、自閉症が起こる生理学的な根本原因はおそらく将来にわたって不明なままであり続けるだろうと推測していて、この見通しは現在のところ外れていません。
 そして、自閉症に関わる心理臨床家に課せられた使命は、自閉症という症候群に含まれる行動特徴を抽出し、その臨床像を明確に提示することであると考えました。そこで、自閉症の示す行動特徴を記載している古今の文献を渉猟し、それらを整理して、324項目の自閉症行動チェックリストを作成しました。それから、各々の行動がその程度見られるか、あるいはまったく見られないかを、自閉症児をもつ母親に協力を依頼して回答してもらいました。集めたデータは統計的手法によって分析し、最終的に3因子11尺度からなる自閉傾向測定尺度が構成されました。それは「Nakatsuka Scales of Autistic Tendencies : NSAT」と名付けられています。
 中塚らは、1980年代から90年代にかけて、NSAT を活用した自閉症研究に従事し、膨大と言っていいデータを収集して、かなりの数に上る成果を発表してきました。研究の詳細は、「研究業績一覧」でご覧ください。

 ここで、研究を通じて私たちが到達し得た結論だけを述べておきます。自閉症とは、生得的に、他者との感情を通じた心のふれ合いができない、社会性の障害です。別の心理学的な用語で言い換えると、「情動の共有の障害」と言うこともできます。指や手をヒラヒラさせたり、頭を振ったり体ごとグルグル回転したりする感覚・運動的な障害、答えがわかりきっているのに同じ質問を繰り返したり、自分にしか意味の通じない特殊な言葉を用いたりする認知・言語的な障害は、感情に負った基本障害から派生する、二次的な障害であると言えるのです。




                            戻る