続・ツキノワとは何か

-岩井志麻子の作品に読む-

前回の反省に基づき、岩井志麻子の「ぼっけえ、きょうてえ」を読んでみました。
「ぼっけえ、きょうてえ」そのものにはツキノワの話は出てきませんが、代わりにナメラスジという怖い場所があるという話が出てきます。

旦那さん、ナメラスジてわかるかな?魔物が通る道筋じゃ。もとは尊い神様の使者の道筋じゃったのに、信心が廃れた途端きょうてえ場所になり果てるんよ。

これは、私の聞いたツキノワの由来にも符合する所があります。
元は神様の使者の道筋であり、それにふさわしい祭祀がなされている間はむしろ尊いものとしてあがめられていた土地が、祭祀の仕方を知らない、祭祀が必要なことを知らない人たちによって怖れられ、忌み嫌われる場所になっていくもののようです。

一方、ツキノワについては、同じ単行本(4話収録)の最後の話「依って件の如し」が詳細なレポートになっています。私の物知り妹が指摘したのもこの話の中の一文です。

古来よりツキノワは「牛と女が入ってはならない処」とされていた。理由などわからなくてもそれがツキノワなのだ。いつからそこがツキノワになったのか、村の古老ですら知らなかった。

こちらで語られるツキノワはどうしてそうなったかわからないとされています。
ツキノワになった理由を知る人があれば、そこはツキノワにならなくても良い道理かも知れません。
この話に登場する、牛の頭に人間の体を持つ化け物「件(くだん)」は、それを聞くものに不吉な予言をします。
小松左京もこの件を描いた小説を書いています。こちらは、世が乱れた時に人の子供として生まれ、不吉な出来事の一切を予言するものとして描かれています。にんべんに牛を書いてくだんと読ませる字が牛頭人身の化け物の名前となっているのは当然といえば当然なのですが、何だか作られた怪物のような気がします。小松左京は「依って件の如し」というオチを語りたくてたまらないのを我慢して話を締めくくっていたように思うのですが、岩井志麻子はいきなりタイトルに使ってしまいましたね。

津山にもどこかに「牛頭様(ごっさま)」あるいは「牛頭様谷(ごっさまだに)」という地名が残っているのを覚えていますが、確かに牛頭を持つ神様があがめられていた形跡と考えられます。牛頭様谷の神様はツキノワの件なんて呼ばれずに現代を迎えられたのでしょうか。

通り道の話のついでに、武者の霊の通り道という話も聞いたことがあります。
お城から出入りする城下町の街路は、今ではアスファルト舗装で大きくなっていますが、場所は400年の昔と同じ所を走っています。そのなかに強力な武者の霊が往来するものがあって、小路となったところに自転車などを放置すると不吉なことが起こると伝え聞きました。
(どうやら道を拡げてアスファルト舗装をすることには武者の霊も異存がなかったと思われます。)
最近、出雲街道を閉塞して建物を建て、夜は扉を閉ざしてしまうことについてはいかがなものかという人もいます。
ツキノワやナメラスジはこうしてホラー小説の題材にまでなって、すっかり怖いものとして有名になってしまいましたが、私はそこに住んだり、そこを通り道としていた神様を見たり感じたりすることのできた時代の人を貴いものだと思います。
逆に、ツキノワが怖いものとして語られるとき(それは、実際に怖い所ではありますが)、この小説に描かれているような奴隷的立場の人々をおとしめたままにしておこうとする、生きた人間の悪意のようなものをも感じるのです。


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