まだある川の立体交差

-嵯峨井堰土地改良区編-


津山市と久米町の境に嵯峨山という山が横たわっています。いや、そびえ立っていますといわなければ失礼かな?
嵯峨山のそばで吉井川が津山市に流入する場所に嵯峨井堰があります。対岸は作楽神社が有名な院庄です。
嵯峨井堰で汲み上げられた用水のカバー範囲は広く、先日謎の動物様物体をレポートした小桁地区まで延々と水路が続いています。
また、川の北側の小田中地区にも一部水路が通じているので川の立体交差が見られるはずです。
今回は嵯峨井堰から始まる水路で大小3つの立体交差を見つけたので紹介します。

まず吉井川を横切る最も大規模なものです。


写真の左が流入口、右が流出口だと思われます。右の写真に写っている橋が二宮と平福を結ぶ宮下橋ですが、ここから始まる水路は川の水面より高いところからいきなり始まって、よく見ると確かに不自然です。
その対岸に流入口を探しに行ったわけですが、出口に見られる水量より流入する量の方が少なそうに見えるので、これが本当に対応しているのかは私も自信がありません。

だいたい、一度汲み上げた用水をなぜ川の底にくぐらせたりするのでしょうね?
立体交差のこの場所で汲み上げるのも違いはなかろうし、それでなくても井堰の北岸で汲み上げれば済みそうに思われます。
いくつか立体交差を調べていくうちに、その疑問に対する答えは、数年に一度の渇水にでも耐えるために汲み上げ口を大規模なものに統合したのだろうと考えるようになりました。
かつては私の近所でも大きな川は2キロごとぐらいの間隔で小規模な井堰が点在していました。
小さな井堰では干上がるのも早く、干ばつに備えるためには、より大きな井堰、より大きな落差が必要とされたために井堰が統合されてきたのだろうと思われます。

干ばつの時の稲を見たことがあります。
稲は水不足で枯れる時、しおれて倒れるわけではありません。細長い葉が筒のように巻き、乾けば乾くほど細く巻き込みます。このため稲はいっそうまっすぐ上を向いてピンと立つのです。それから、しだいに枯れた藁の色になっていきます。
今ではほとんど目にすることのない光景ですが、このような稲を見るたびに決して水の枯れることのない用水を多くの人が望み、そのためにはかりしれない努力が払われたことは間違いありません。

なお、水道局の浄水場への取水経路も嵯峨井堰から汲み上げられて同じような経路をたどっていると思われますが、完全に地下配管になっているので素人には伺い知ることが出来ません。

次は作陽高校の下の、とっても小さな立体交差です。


車の通る赤い橋の下に水路が流れる小さな橋があり、そのまた下を川が流れています。
この水路はこのあと山すそをめぐって小桁地区まで続きます。県道と吉井川の間の崖っぷちを流れる水路もなかなかの見ものですが、そういうことに全く関心のない人もいるのでしょうね(多いのでしょうか?)。
道ばたから吉井川へゴミを投げ捨てたつもりなのでしょうが、がけ下の用水路に落ちて、下流の田までながれついたり、途中に引っかかって情けないと地元の人がこぼしていました。
汲み上げ口から川底をくぐり、橋の上を流れ、トンネルをくぐり、はるばる10キロ近く流れてくる用水の、土木工事もすごいですが、それを維持する人たちの努力にも頭がさがります。

さいごに、一方の立体交差を見に行きました。
場所は一方の県営住宅の近くの皿川です。ここは両岸が一方地区です。(「両方が一方」と書くとちょっとだじゃれてしまいますので)


先ほどの作陽高校の下にもここの逆サイホンを通じて用水が送られています。かなりな水量です。逆サイホンの落差もかなり大きいのが実感できます。
実はこの場所はちょうど河川改修が進んでいて、こちら岸(西岸)の方へ川幅が広がることになっています。
現在(2001年2月)このそばにめったやたらと大きな穴が掘られているのはひょっとして新しく川底をくぐるトンネルを掘っているのではないかと、いきさつをわくわくしながら観察しているところです。

前回に引き続き川の立体交差を堪能してしまいました。
なお、津山の農業用水路では江戸時代に築かれた近平用水が歴史的に有名です。
また、土木工事の水準という点では多くの用水がパイプライン化されており、技術的にも内容的にも複雑なものとなっています。

私が単に現代でも中世でもない、近代的な川の立体交差マニアであるからこういうものを探索しているのであって、津山にはこのようなものしかないのかと誤解しないようお願いします。


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