競馬必勝手を探して(その2)

-豪徳寺の玄三券法-


「競馬には必勝手がある」という確信はずっと以前から抱いていました。
そして、それはギャンブルというにはほど遠い単純でスリルのない労働であろうということも感じています。

それは何か?というと私もわかりませんが、投資に関する本に競馬必勝手について紹介されたものがあり、それをたどって岩川隆 著「馬券学入門」という本のこの話ににたどりつきました。
この本には、著者本人が「豪徳寺の玄三さん」に出会い、その必勝手を学んだことについて書いてあります。そして秘伝の例にもれず、そこには秘伝が具体的に何であったかは書かれていません。
今日はその「豪徳寺の玄三券法」がどんなものであったか検証してみたいと思います。

「馬券学入門」は12編のエッセイからなり昭和58年刊行で、のちに文庫本になっています。この話に限らず馬券にかかわる話題は奥が深く、かけだし競馬ファンとしては面白く読ませてもらいました。

著者が玄三老人と会ったのは昭和42年の秋、といえばずいぶん昔な気もします。今と違って競馬場にはオッズが表示されず、トータライザーという機械に勝馬投票の総数だけが表示されていました。
著者は馬を見ずにトータライザーだけを見ては馬券を買っている老人を見つけ、この老人の買った馬券がほとんど全てのレースで的中していることに興味を持ちます。

「競馬と馬券はちがうのだよ。私は、レースを見ない」
「馬ではなくて人を相手にしているんだ。競馬は、馬が馬を相手にして戦うものだが、馬券は馬を相手にして戦うものじゃない。人と人との戦いなんだ」

「競馬専門紙や新聞を買わないのですか。馬の状態や、調教タイム、厩舎の話などは参考になさらないのですか」「あんなもの、あてにならないよ」

「馬券は的中じゃないよ」「馬券は、けっきょくのところ、配当だよ」

「配当というのはトータライザーにあらわれる。すなわち、馬がつくるものではなく、人が作っているものだ」
あまり大量の引用をすると「青空文庫」になってしまって、著者に大変失礼なことになってしまうのですが、玄三老人の言葉は競馬を楽しむ人と競馬を投資として考えている人の違いを浮き彫りにしています。
ただし、玄三老人が競馬ファンでないか、ギャンブラーでないか、というと前回ひだりうま氏に指摘されたように、極めて立派な競馬ファンであり、ギャンブラーであるといえるでしょう。
「的中じゃないよ、配当だよ」という教えなどはきわめて一般的なものですが、それすらも守ることはけっこう難しいものです。

この玄三老人(豪徳寺の玄三さん)は、熱心に教えを請う著者に必勝手を伝授します。ただし、「門外不出、口外無用」であるため、本には必勝手がどんなものであるか載っていませんでした。

噂をたどって、この本を捜し求めてたどり着いた私は秘伝そのものが記されていないことに大層がっかりしましたが、必勝手は必ずある!という確信はこれで裏付けられました。
この話そのものがフイクションかもしれないという意見もあるかも知れません。しかし、その前後の記述、とりわけ著者が必勝手を伝授されながらも実践できず、大金持ちになっていないという事実が逆にこの話の信憑性を高めています。

「いいかね」
老人は手帳に数字を書き、しごく単純な図式を示して、
「このような方式で買ってごらん。絶対…絶対という言葉を用いてもいいと思うが、損をしないよ。収支はプラスになる」
と言い、手帳の紙を引き裂いて無造作に私に与えた。

私はそのとき、その単純な方式を目にして、なんだい、これは、と思った。この買い方なら損をしないのも当然だろう、とも考えた。それは〈人気の組み合わせ〉による独特の馬券購入方式であった。

これによると、必勝手は手帳の1ページに短時間に書けるくらい単純なものであるようです。
そして、多くの人が見過ごしてしまいそうな当たり前のことでしかなかったのです。
それからというもの、最終レースを終って競馬場の正門を出るときには、玄三老が予言したとおり、懐にはビールを飲み、やきとりを食べるくらいの“利潤”がつねに貯っていた。
著者も必勝手のすごさを体験し、1開催にわたって忠実に実践します。
この方法は、出走場をよく知らない競馬場に行っても通用します。
そして著者自身年月を経るごとにその凄さを実感していると言います。
ところが、私は、しだいに憂鬱になってきたのである。
競馬場に行く人のほとんど、いや100%が競馬が好きで行っているものです。中には馬が走る姿が好きでたまらないので行く人もいれば、馬券を買うにあたってレース直前のパドックを見ることがぜひとも必要な人もいます。
全ての人がそうして自分が投票すべき馬を決め、馬券を買うわけです。

ところが、玄三券法はそれを許さない。
締め切り直前までトータライザーを見ていれば、自動的に何番の馬券を買うかが決まってしまう。
好きな馬に一票を投じることも、自分の知力の限りを尽くして次の勝馬を予想することも許されないのです。

これでは、競馬場に足を運びながら、競馬とは無縁に、日雇いではたらいているようなものである。それにしては“労賃”が少ない。
こうして、著者はその必勝手の指し示す馬券を買うことができなくなり、堕落して、玄三老人から“破門”されてしまいます。

著者の岩川氏にあってはそれでよかったのだろうと思います。
著者が玄三券法を墨守して大金持ちになり、作家としての仕事を怠けていたなら、世間はもっと大きな何かを失っていたでしょうから。私も玄三券法の存在を知らずじまいになるところでした。
何より、見知らぬ老人の奇妙な券法を見抜き、それを学んで実践したのも卓見ですが、それを捨ててさらなる馬券道を追求し、幅広い馬券学を極めるためにおけら街道を歩みつづけるのもまた見識と言えるでしょう。

推測するに、玄三券法は今の貨幣価値に換算して2万円ほどを握りしめて競馬場に行くと、1日の終わりにはそれが2万4千円ぐらいなものになっているという投資方法のようです。
大切な休日を潰して4千円。考えようによっては労賃の少ない労働です。しかも、競馬が好きで競馬場に行っている人にとっては、自分の思った馬を買うことが許されない苦行を強いられての結果ですから耐えられないものかも知れません。

しかし、私はその労働が何であるかを知りたいのです。
土曜日に買って帰った競馬専門紙で投票すべき馬を決め、日曜日は朝9時になると電話で決まった馬の投票を済ませる。それから家族と遊びに行って帰ってくれば朝の労働がいくばくかのお小遣いに変わっている。馬の面白さも怖さも知らない競馬ビギナーが夢見るのは、労賃が安くとも家族と過ごす時間を確保できるサイドビジネスです。

玄三券法がどんなものであるか、記事中のヒントを拾ってみます。

1番人気と2番人気、あるいは1番人気と3番人気といったように、人気の組み合わせによる連複馬券の出現率が、毎年、一定しているという。
たとえば、1番人気と2番人気の組み合わせの連複馬券を、同じ投資金額で、レースごとに買ってゆくと、けっきょくは損になる。出現率と配当との関係を調べると、1年間を通じて黒字になる“人気の組み合わせ”が存在するというのである。
私ははじめ、ほとんどのレースが的中するという記述をヒントに、複勝や単勝の多点買いかと考えて検証を試みました。
JRAのホームページ(jra.go.jpすなわち政府の一機関です。ホンマカイナ)を見て、過去のレース結果と最終オッズをExcelファイルに書き抜き、様々なシミュレーションをしてみました。
しかし、複勝は元返しが起こるのでなかなか多点買いがうまくいきません。
単勝はシミュレーションがしやすいのでさらに探求を深めましたが、最終オッズというのは人気上位の馬に限ればみごとにレースの結果を言い当てていることを知りました。
例えば、単勝で最終オッズが2倍という馬がいたとします。

この馬は
0.75÷2=0.375
つまり37.5%の投票を集めています。
このレースの単勝に総額100万円が賭けられているとしたら37万5千円はこの馬に賭けられたものです。

単勝の最終オッズごとに実際の馬の勝ち負けを集計すると、オッズ2倍の馬は実際に37.5%前後の確率で1着になるのです。(その時JRA.go.jpは総額75万円の支払いをします。他のオッズの馬でも同じです。)
この、「馬の人気と実力の間には密接に相関がある」ことを示すグラフが表示されたときは正直言ってぞっとしました。

ノーガキが長くなりましたが、上記引用でわかるように玄三券法は券種としては馬番の連複であろうという結論に達しました。よく読めばはじめからそう書いてあるがな。
その具体的な組み合わせというのはわかりません。

3点買いのこともあれば、7点買いのときもあった。おどろいたのは、つねに、それらの馬券のうちいずれか一つが的中していることだった。
とあることから、ある程度の多点買いではあります。
たとえば、1番人気と2番人気の組み合わせの連複馬券を、同じ投資金額で、レースごとに買ってゆくと、けっきょくは損になる。
ということから、1番人気を嫌うのかと思えば、
「今度は、たぶん、1番人気と3番人気の馬が1、2着になるよ」と老人が言うと、それが的中する。1番人気と穴馬との組み合わせの馬券も、おどろくほどよく当たった。
ということで、1番人気を軸にしているようにも見えます。
私のシミュレーションに使った200レースあまりの中では「5番人気と9番人気の組み合わせを買いつづけたら資金が5倍になった!」とかいう馬鹿な結果もありますが、200レースで3回的中という頻度にお小遣いを託すことはできません。
ただ、単勝の人気の順と馬連の人気の順にはズレがあり、馬連のオッズについては実力に比して何らかの人気の偏りがあり、そこに投資のチャンスがあるように思いました。これについては私の力では今のところ検証不可能です。

あと二つ、玄三券法には大切なきまりがあって、

「タテの流れを重視せよ。時の流れを忘れるな」

出資金は毎回、同じ額というのが鉄則であった。
これにより、その日の全てのレースに同じ金額を賭けるというのが重要な条件でした。
賭けている自分自身どのレースが的中するかわからないのですから、レースによって勝手に重み付けをしてはいけません。
積極的に考えれば、レースの結果は同じであったとしても、高配当が続けば券を買う人が穴馬券を求めるために順当な馬券が利益になり、順当なレースが続けば皆が本命を買うために逆に穴馬券が有利になるといった自動調節の機能があるとも言えます。
玄三老人は経験則としてこれを知っていたわけですが、加えてこれは経済状態や社会心理によっても変化すると言っています。

もう一つ驚いた事に、玄三券法ではコロガシが行われていません。1つのレースにいくら投資するか決めたら、少なくともその日1日は投資金額を変えない、ということは勝ちに乗じて資金を級数的に増やす可能性を自ら捨てているということです。

これは、確率の勉強で言うところの「大数の法則」により、1回の賭けでお金が75%になる(期待値)可能性のある賭けならば、1回こっきりの勝ち負けにはいろいろあるだろうけれども、何度も繰り返したら必ずお金は75%に近づきますよ。という教えに基づいています。

朝1万円握って10レースに賭けるとします。
玄三方式は1000円を10回賭けます。
と、お金は7500円になっているかもしれませんよ。というのが確率の教科書の言うところです。
これに対してコロガシ屋さんは10000円を1レース目に賭けて(分散投資もあるとして)、その賞金を2レース目に賭けて、さらにその賞金を・・・と頑張るとします。
と、お金は最良でも560円ぐらいになっていますよ。(きっとスッテンテンですよ)というのが確率の法則(及びマーフィーの法則)の教えるところです。

さて、玄三券法がどんなものであるかまとめると

というところです。

長々と読まされてこれでは何もわかっていないじゃないか。と叱られるかもしれませんが、玄三方式以外にも人それぞれの必勝法はあるはずです。必勝法に共通するエッセンスさえわかれば、玄三方式そのものを発掘する必要はありません。

玄三券法を研究していて気がついたことがいくつかあります。

人気の組み合わせによる馬券購入法が秘伝の核心ではありますが、秘伝のもう一つの側面に投資総額と投資する馬券が決まっている場合の賭け金の配分方法が含まれていたはずです。
単純な数学ですがこれを知らないとたとえ複数の馬券を買って的中しても結局は損になることが考えられます。
著者はあまり重視していないようですが、これは重要なポイントです。

次に、今では当然のようにオッズを見て馬券を買うようになっていますが、当時はトータライザーという機械に「その馬券が何枚売れたか」という数字しか表示されていなかったということが気になります。
上記の資金配分や、人気の動向を的確につかむには、逆数で表されるオッズで表示された人気よりもトータライザーの生の数字の方が理解しやすかったのではないでしょうか。
「その馬は半数の票を集めていますよ」がオッズ1.5倍で、「その馬は5%しか票を集めていませんよ」がオッズ15倍です。オッズ表示が人気の直感的な理解を妨げているような気がします。玄三老人の時代の方が深い洞察をはぐくむには有利な時代だったのかもしれません。(が、私などは競馬に参加する資格がなかった時代でしょう)

それから、玄三券法は人気と配当を考慮することで投資金額の分散を決めます。したがって締め切り直前でないと購入する馬券は決めることができません。
それでは「朝一番に馬券を買ってしまって、遊びに行っている間に結果が決まる」ような安易な賭けは出来ないということです。
これでは遊びの時間とささやかなお小遣いを両立させるという私の夢は実現できません。
実際、競馬専門紙の予想といえども、実際の直前オッズとはかけ離れた数字を示しています。
いいかげんな数字に基づいて賭けを行ってよい結果が出るはずはありません。これは競馬専門紙の責任ではなく、実際に投票する人の心理によるもので、このズレがチャンスを呼ぶものです。
子守りをしながら、競馬専門紙を開き、赤鉛筆を片手に、もう一方の手には電卓、電話に飛びついて数字を打ちこんだら、ラジオに向かって結果に耳を傾ける。これで1日つぶれたら5千円もらえても確かにうれしくありません。私は馬を知らないギャンブラーですから。

近々、JRA.go.jpはインターネットによる新しい投票方式を導入する予定です。
私はこれを待っていたのです。
必勝手こそ未だ見つかっていませんが、直前オッズを電話代をかけずに知ることができ、スムーズに投票できるようになれば、電話とラジオと赤鉛筆といういかにもな道具立てに囲まれた労働はいくらか軽減されるかもしれません。
そしてそれは一層効率的に財産を失う道であるかもしれません。

私はすでにこの半年、銀行口座の所持金9,550円をそのまま、1枚の馬券も買うことなく、したがって1円も失うことなく馬のことを研究しつづけていました。
それはギャンブラーと呼べるのでしょうか?競馬ファンと呼べるのでしょうか?
しかし、楽しく立派な趣味だったとは思います。


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