DE50が津山に!

-遅すぎた傑作機-


DE50というのは、日本でただ1両だけ製造された、国産最大最強のエンジンを積んだディーゼル機関車です。
1号機しか存在しないので、DE50 1この1両しかありません。
ひと月ほど前の山陽新聞で、この機体が津山にあることを知りました。これは私としては大ニュースです。

場所は以前航空写真つきでレポートした津山駅の転車台を備えた扇形車庫です。「きかんしゃトーマス」の車庫にそっくりな転車台と車庫は、現役で活躍している姿がホームからでも見ることができます。

裏に回れば、確かにDE50が駐機されているのがガラスの破れた窓からよく見えます。
私は以前からこのDE50の存在が気になっていました。それは戦艦大和やコンコルドのように「史上最大、最強、最高」のスペックを持った機体が、そのスペック以外の事情のため第一線から退いていった歴史に連なるものだからです。

我らがDE50はV型16気筒(DMP81Z)2000馬力のエンジンを1基搭載しています。
単体で16気筒のエンジンも、2000馬力のエンジンも国鉄の歴史を通じてこれ1基しかありません。
DMPの「DM」はディーゼル機関、PはAから数えて16番目の文字ですから16気筒、そして81は排気量81リットル、Zはインタークーラー付きターボを表しています。
実は「国産最大最強のエンジンを積んだ」機関車はDE50ですが「国産最強の」機関車はDE50ではありません。

DD51(北海道・旭川にて)
幹線用として国内で最も良く見られるディーゼル機関車はDD51です。
DD51はV型12気筒(DML61Z)1100馬力のエンジンを2基搭載しており2200馬力の出力を持っています。エンジンを2基搭載している関係で車体が凸の形をした対象形をしています。
これが事実上の国産最大最強ディーゼル機関車で、1962年に登場して以来、全国からSLを駆逐してしまった、当時のファンにとっては悪役機関車でした。
DD51は今でも幹線用としては最強でありつづけているわけです(最近電気式ディーゼルのDF200にある意味では譲ったか?)が、重量が軽いもので78トンと支線や山岳地には向かない機関車でもありました。

支線や構内入換機としてはDE10がポピュラーで、これは同じDML61Zエンジンでも1250馬力とか1350馬力に強化されています。しかし、出力が低いため最高速度が遅く、これまた万能ではありません。
ディーゼル機関車の機種名で50番代は最高速度が85km/h以上のもの、10番代は最高速度が85km/hを下回るものという意味です。

活躍するDD51とDE10の欠点を補い、真の万能・最強機関車となるべく登場したのがDE50だったのです。

このDE50 1は1970年に日立製作所で製造されています。
特徴は先の分析にあるとおり、本線での運転に耐える速度と、軽量化、保守作業の軽減といった目的で大出力のディーゼルエンジン1基を搭載したことです。
また、国鉄の主流であった液体変速機を活用して、減速時にブレーキの作用を得る「ハイドロダイナミックブレーキ」の初採用も特筆されます。これも山岳地での運用を視野に入れたものです。

当初は稲沢第一機関区に配置され、中央西線の貨物列車に使用されていました。
中央西線は日本アルプスの間を走り抜ける幹線の代表です。勾配とカーブの続く難条件をクリアし、高速な貨物の輸送を成し遂げる。まさにこういう過酷な条件のためにDE50は製造されたのです。

ところが、中央西線は1973年7月には電化されてしまいます。
DE50が電気機関車に舞台を奪われて転属になったのが岡山機関区でした。
伯備線は勾配とカーブの続く難コースであるという点では中央西線と同様です。まだまだDE50を必要とする舞台は数多く残っていたのです。そしてDE50は伯備線のD51(DD51ではなく、SLのD51)を駆逐するのに一役買ったわけです。

しかし、歴史は無情なもの、DE50はこの1号機が活躍しているにもかかわらず製造が打ち切られて、代わりにDD51を大量投入することが決定してしまったのです。
ちょうど戦艦大和と戦艦武蔵が航空母艦の時代の到来とともに舞台を去っていったように、DE50は最強・万能の地位を得た直後に電気機関車の時代を迎えて、主力の座を明け渡さざるを得なくなったのです。

伯備線の電化は1982年のことですが、DE50がいつ頃まで現役で使用されていたかはわかりません。あるとき本線上で動かなくなって、他の機関車で引きずって移動されたなんて話も聞いたことがあります。

その後、岡山駅の西口近くにずっと停められていましたが、1986年に廃車扱いとなりました。
その後岡山では雨ざらしになっていた時もありますが、鉄道ファンの有志が色を塗り替えてくれたり、それなりに幸せな余生を送っていたようです。
津山に移動したのは昨年2002年12月15日、ある意味では雨ざらしを避けて長期保存を考慮したものでしょうが、岡山の熱心なファンから遠ざかってしまったのは多少の不幸だったのかもしれません。

津山での保管状態は岡山に置いてあった頃よりは良好です。
建物は京都の梅小路機関車区の車庫そっくりで、往年の名機を保管しておくのにはうってつけかもしれません。ただ、裏へ回ると冒頭の写真のように窓ガラスが割れ放題で、これまた見学にはうってつけです。

正式な見学については、駅の改札で尋ねたところ、車庫までの往復が危険なため、駐機場所まで同行する職員が必要だが、そのための人数がさけないので見学できないのですという説明でした。
これは逆に読めば、私のような飛び入りの見学者でなく、心底からの鉄道ファンが迷惑をかけないように、十分な計画を持って予約を取って訪問すれば見学は可能なのだろうなと思います。どなたかぜひ試して下さい。

そして、願わくばこの傑作機とそれをおさめる扇形車庫が、気軽に見学できる環境が整い、ちょっとした名所にでもなってくれれば私にとってこれほどありがたいことはないのですが。

DE50 1岡山気動車区にて

同じく岡山気動車区にて

2番プラットホームから車庫を望む

車庫と転車台

檻ではなくガラスの全部割れた窓です

DE50が日本一のディーゼル機関車なら、この扇形車庫は国内第3位(1位は梅小路蒸気機関車館、2位は旭川機関区ですが、再開発のため現役引退)の規模を持つ車庫です。これほどの施設を現役で使い倒しているなんてある意味贅沢です。
このDE50と扇形車庫の見学会が、エコネットワーク津山によって時々催されるようになりました。
津山の宝をこうして大切に思ってくださる方がいて、本当に幸せに思います。
DE501のチョロQ、バックは販売時の買い物袋
このDE50は、私が夢見たとおり、津山の観光の目玉になり、ついにDE50 1チョロQが発売になりました。
扇形車庫にはお召し列車を牽いたこともあるDD51 1187も保存され、扇形車庫を中心として鉄道近代化遺産の博物館として整備されつつあります。
5年前、DE50が津山に回送されたとき、こんな未来を誰が予想したでしょうか。
ちょっと「きかんしゃやえもん」のハッピーエンドを思い浮かべました。
(07.11.17追記)
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