通勤怪速への道(その1)

-扉の鍵はスーパーカブ-


私の会社には「カブ部」というのが存在しまして、ホンダのバイク、スーパーカブ50に入れあげる猛者が結集しているようです。
入れあげ方にもいろいろあるのでしょうが、今のところ詳しく知りません。

このカブ部の先輩から誘われたので、スーパーカブに乗ってみようと興味がムクムク沸いてきました。
一つには、(コストの問題により)ジープの車検が切れて、スムーズで快適なステップワゴンのみの生活に浸っていた反動で、「あぁ、油くさくてガチャガチャと変速する乗り物に乗りたい。」という欲望がありました。
もう一つは、1ヶ月通勤してたぶんガソリン代が1000円程度という、恐るべき経済性への興味です。
しかし、そこでバイク屋に走って、お望みのスーパーカブを所望することは私としては許されません。経済問題を解決するのにさらにお金を使うということがナンセンスであるというここと、同じ問題を解決するならなるべくバカバカしい解決策を探すのが私のポリシーであるという2つの理由のためです。

そこで私は、会社の駐輪場を漁って、少なくとも2年は使用されていない埃だらけのスーパーカブに注目しました。
持ち主を訪ね歩くと、そのカブの持ち主が同期入社の人で、カブ部員でもあることが判明しました。
早速借り上げ交渉をして、自賠責は自分で掛けることを条件で、動くかどうかも知れないカブを借り上げることに成功しました。

このカブは1995年製、C50、デラックス(丸ヘッドライト、3速、新車時はミラーが両方ついている、メタリック系塗装)でした。
まずは掃除です。シートは分厚く埃に覆われて座ることが出来ません。
動くかどうか、鍵を借りて残業後の駐輪場で十数回キックをしてみましたが、マシンはウンともスンとも言いません。
しかし、私も意地です。このマシンを見捨ててバイク屋に走ったのでは、カブに乗っているのではなく、カブに乗せてもらっているに過ぎません。キャブレターが腐っていようが、クランクケースが錆び付いていようが、自分で何とかしなければなりません。
で、翌朝。燃料コックをリザーブにして3回ほどキックをしたら、あっさりエンジンはかかりました。

その後徐々にわかってきたことですが、このマシンはキャブレター(のたぶんフロート周り)に不調があって、燃料コックをオンにして放置するとガソリンが非常にゆっくりですが漏れているようです。まあ、それは乗らないときに閉めておけばそれで済むということで、大問題ではありませんでした。

大問題はむしろ人間の方にあって、アタマのサイズが大きいために、ヘルメットが特大でないと合わないし、特大サイズの安いヘルメットは近所では売っていないという問題に直面しました。

20年前に使っていたヘルメットを引っぱり出してきたところ、何かホコリのようなものがいっぱい内側についています。バンバン叩くとホコリが大量に舞い上がりましたが、叩けど叩けどホコリが尽きるようすがありません。不審に思ってひっくり返して見ると、インナーのスポンジが劣化して粉末状になっており、これがホコリの元でした。ホコリが出なくなった時点でインナーはなくなり、ヘルメットの寿命も尽きました。

さて、近所に開店したばかりの「レッドバロン津山店」に自転車で乗りつけます。
「お客さん、ヘルメットをお探しですか?」
「はい、アタマが大きいので、大きいサイズを探しています。」
「バイクの車種は何ですか?」
「スーパーカブです。」
店先には100万円を超すようなバイクや、3万円の値札がついたヘルメットが所狭しと置かれて、開店セールの真っ最中でしたが、これを聞いて店員さんはハイエンドのヘルメットを勧めるのはやめにしたようです。
違う。スーパーカブに乗るのは、(たぶん)経済的問題のためではない。日本を支えたスーパーマシンへの尊敬の念と、ミニマムなマシンを操ってストイックに生きる自分への挑戦のためなんだ。
と、心では叫んでいたのですが、やっぱりハイエンドなヘルメットを選ぶのはやめにして、地味だけど機能的なものをカタログで選びました。サイズはXXLです。
「1万6千円になります。お取り寄せになりますが前金で3000円ほどいただけますか。」
「ええと、今日カードで買うつもりだったので現金は持ってきていません。取りに帰ってきましょうか?」
「じゃ、1000円でいいですから…。」
「…500円玉2枚、ありました。(笑)」
「…(ウケてない)…」
誤解するな!私の理想のバイクはこの店に売っていないんだ…。

さて、時は流れてやっとヘルメットが納品になりました。晴れてスーパーカブも自宅に持って帰れる日が来ました。
昼食の後、早速初ツーリングに出ることにしました。
乗ってみて真っ先に感じたことは、これは時速30kmで走るための乗り物だということです。クルマの流れに乗ろうと思っても、50km/hも出せば人間がへこたれてきます。
エンジン以前に、タイヤやサスペンション、ブレーキがついてこない、このマシンでむやみととばすことは危険です。
田舎を走ることはともかくとして、このクルマで毎日通勤することに自分が耐えられるかどうか、初日としては全く不安な幕開けです。

ツーリングの行き先は阿波・黒岩高原。カブ部の先輩お勧めのスポットです。
今日の写真は携帯電話のカメラで撮っているので色がちょっと変です。


黒岩高原は、以前レポートした五輪原細池湿原と同じく、玄武岩台地の高原になっています。
黒岩高原の名前の由来はたぶん「黒い岩でできているから」でしょう。渓流釣り場の辺りでは白い岩(カコウ岩)が見られるのに、布滝(のんだき)辺りから上は真っ黒な岩になっています。

黒岩高原を目指した理由は、航空写真で見ると石狩川のように(規模ははるかに小さいが)自由にうねっている川があって、ここは手付かずの湿原があるなということをうかがわせるからです。
これまでも何度か黒岩高原を目指したことがありますが、台風による災害の復旧工事が行われていてなかなか近づくことができませんでした。
そして、黒岩高原には、鎖と錠前で封鎖された扉があって、関係者以外は通行できなくなっているということでした。
ううむそれなら、なおさら行きたい。ぜひこの目でミニ石狩川(勝手にそう呼んでいる)の流れる高原を見てみたい。

出発した時は曇り空でしたが、県境近いここまで来ると小雨が降っています。
そして、最初は気のせいかと思っていたのですが、エンジンのパワーが明らかに落ちてきました。
おい、付き合い始めてからまだ2時間だが、オマエはいつもの調子と違うぜ。
渓流釣り場のあたりで標高は500mを超えるわけですが、たぶん空気が薄い影響でしょう。坂道がきついせいもありますが、私は2速を多用し始め、とうとう1速でどうにかという走りになってしまいました。

この標高だと、霧というよりガスです。幻想的な雰囲気の中を1速でトロトロ登っていくと、噂の鉄扉がありました。

鉄扉を通過すると間もなく橋があって、そこから景色は急に開けます。
天気のよい日だったらどんなに美しいことでしょう。ま、私は雨天でガスの中でもこの景色を独り占めできることを幸運と思います。

「ミニ石狩川」のある湿原

まずは「ミニ石狩川」のある湿原です。ミニ石狩川そのものは見えません。標高はこのあたりで900m弱です。
上斎原の森林公園にも湿原はありますが、こちらのほうが大規模で、しかも人間の手が入っていません。
鉄扉のあるのは、かつて部外者が動植物を持ち去る事件があって、それを防ぐためだったという話ですが、人間の手が入っていないことの価値と、観光地として遊歩道などがつき、明るく行きやすく、人がワイワイ集まっているのとどちらが価値があるのでしょうね。
私は秘境であり続ける方を尊重していますが、五輪原のように知られていないばかりに開発が進んでしまうということもあり得ます。
実際この辺を走っているときは、熊に突然襲われたら、調子のよくないカブで逃げ切れるかどうかばかり考えていました。

流れは澄んでいるが茶色をしている

湿原の水たまりにはメダカのような小さな魚がいるのが見られました。こんなところに魚?
流れのあるところは澄んでいますが色は茶色です。これは天気のせいで濁っているのではありません。
こうした高地の湿原は、植物が枯れた後、腐って分解するのが非常に遅いため、川の流れに植物の成分が溶け出して流れてきます。いわば天然の紅茶かウーロン茶になっています。飲めるのか、飲んで問題ないのか、体にいいのかは私にはわかりません。
腐らずに堆積した植物は、やがて泥炭になります。標高が約1000mという環境と、玄武岩台地のため割と平坦であるという条件が重なって、ここでは下界と全く違った時間が流れているのです。

高原には何か建物が潰れた跡や、畑を造成した跡も残っています。私にしてみれば開発が失敗してやれやれという気持ちはありますが、この先人なくしてはスーパーカブでここまで来ることはなかったのですから、その開拓精神には敬意を表します。
私は純然たる自然を残せとばかり主張するものでもありません。人の手の跡も含めて、ただ秘境が好きなばかりです。


高原を走る道路は、上り坂の終わりにふたたび鉄の扉があって、その先にはちょっとした広場があります。
かつて電話の中継局があったところだそうです。

さて、帰り道はスーパーカブの偉さを噛みしめながら帰ります。
ほぼ50年前に考案されたバイクなのに、自動遠心クラッチやOHCの採用など、非常に考えた作りこみがなされています。2年ほっといていてもキック3発でエンジンがかかる耐久性も持っています。
こうした非常に優れた発明は、モノそのものがもはや思想なんですよね。
本田宗一郎の時代、自転車や、オートバイや、スクーターはお手本として既にありました。
しかしそれをどういじったら、スーパーカブになるのでしょう。50年たってもいまだに古びない発明はどこから生まれたのでしょう。

戦争に負けて飛行機やロケットを作ることがなくなった日本では、飛行機を作る力を持った技術者が自動車業界で活躍するようになりました。日本の自動車が優れているのは、日本が飛行機やロケットを作らなかったことの裏返しなのです。
スーパーカブが世界中で走っている。その代償として世界の人々はいまだに飛行機については爆撃機の改良型で辛抱しているのです。
私は、その世界に誇れる製品に乗っています。自ら耐久テストを繰り返した本田宗一郎の作ったマシンに乗っています。借り物ですが。

さて、「通勤怪速」なんてシリーズ名をつけてしまいましたが、本当にこのマシンが速くなるのか、この先どうなることかは不明です。
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