ほどよい母親は虐待を克服するか
           −現代日本の病理・児童虐待−



                    (400字詰原稿用紙換算・約40枚)




目次

激増する発生件数/日本人と外国人との違い/密室育児からの解放
「三歳児神話」「母性愛神話」の否定/ほどよい(グッド イナフ)母親
人は人によって人になる/なぜ「ほどよさ」が虐待を生まないか
日本的エゴイズム/母親の権利意識/親子の逆転/果たして対策はあるのか

解説

解説
 どこかの月刊総合雑誌に投稿できればと考えて書いておいた小論です。ある出版関係の人に読んでもらって感想を求めたところ、「日本でここまでの児童虐待が起きているのは、ここに書かれていることより、子どもの権利を保障するという意識が希薄だからではないだろうか」とコメントされ、あまり共感や同意は得られなかった、というのが正直なところです。
 『ストレスフル・マザー』の解説で述べていることと同じなのですが、この方の意見もまた、転倒していると思うのです。権利意識が希薄だから虐待が起きるのではなく、虐待が起きてしまっているから、「子どもの権利を守る」というようなことを言わなければならなくなっているのです。もしこの方の言ったことが正しいとすれば、「児童虐待」などという言葉が世間で騒がれなかったころには、子どもの権利を守る意識が社会に浸透していたのでしょうか。まったくそんなことはないと思います。
 結局、児童虐待をなくすには、母親、父親、つまるところあらゆる日本人(人類)の思考を、根底から変えなければ無理なのです。根本に迫ることなく、どんなに策を弄してみても、何もしなかったのと同じどころか、近ごろの新聞やテレビを見ていますと、かえって何もしない方がはるかにマシではないかと思えるようなことにしょっちゅう出くわします。
 児童虐待に悩む、あるいは「自分もしてしまうのではないか」とおびえる母親に対して、近ごろは、「そんなに一生懸命になるな」「いい加減に(つまりチャランポランに)しておけ」「子どもより自分を大切にしろ」といったようなアドバイスがされることがめずらしくなく、むしろ主流の意見を構成しているように見受けられます。
 その際、権威づけの目的もあるのでしょうが、しばしば引き合いに出されるのが、イギリスの児童精神科医、ウィニコットが提唱した「ほどよい母親(グッド・イナフ・マザー)」という概念です。
 これはつまり、「完璧(パーフェクト)」な母親などいない、母親というのは、子どもにとってあくまでも「ほどほど(グッド・イナフ)」でよいのだし、それが大切なことなのだ、という考え方です。
 ここで忘れてはならないのは、欧米社会では、現代でもなお、キリスト教の倫理観が社会に大きな影響を及ぼしていることです。そこでは、「人間というものは、親というものは、こうしなければならない、こうすべきだ」という、きわめて強力なたてまえがあって、人々に、ガチッとタガがはまっています。あくまでも、そういう制約があった上での「グッド・イナフ」なのです。
 ところが、宗教も信仰もなく、思想も哲学も人々に見向きもされない日本では、たてまえも制約もあったものではありません。かつては「世間」とか「人さま」というタガがはまっていましたが、「個の確立」ばかりが叫ばれて以来、そんなものはとうにどこかへすっ飛んで、社会も人々も、みんなバラバラになってしまっています。
 そこへもってきて、「子育てなどというものは、グッド・イナフでいいんだ。適当にやっていれば勝手に育っていくさ」というような考えが蔓延したら、いったいどういうことになってしまうのでしょうか。その結果が、とどまるところを知らない児童虐待の激増なのだと言っても、あながち的はずれではないように思えます。
 単なる欧米礼讃も、反対に単なる欧米批判も、どちらもナンセンスです。大切なのは、人間存在の根本様式をしっかりと認識し、その上に立って、われわれはいま、そしてこれから、何を、どうすべきかを、謙虚に反省することでしょう。その際、むやみに悩むだけでは意味がありません。何千年と引き継がれてきた絶対的な真理を信じて、その説くところに素直に従っていくことが必要なのだと思います。




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