ひびきのさと便り



No.34 「良識」の限界(2) (2002.12.25.)

 前回は、11月19日付毎日新聞の「グローバリゼーションの光と影 第4部 アメリカという存在」に掲載されました、西部邁(にしべ・すすむ)氏の評論、「無思想をさらす親米保守」を入口に、西部氏の著書『歴史感覚 何が保守政治の神髄か』(PHP研究所,1994)からも引用をさせていただきながら、氏がその重要性を主張する「伝統の英知」や「良識」といった考えについて、問題点や限界を指摘し、検討しました。今回もその続きとして、西部氏が示す別の概念もくわしく取り上げ、考察を行っていきたいと思います。

 まず、前回すでにご紹介していますように、11月13日付の産経新聞「正論」欄に掲載されました、西部氏の評論を引用させていただきます。ここでは、前回に検討しました毎日新聞の記事と、基本的にほとんど同じことが述べられています。毎日新聞の方は、アメリカが主導するグローバリゼーションが取り上げられていたのに対して、産経新聞では、アメリカによるイラク攻撃(の可能性)が中心になっており、切り口がすこし異なっているだけです。
 見出しは次のようになっています。

「GHQ」史観を排すべし/米国の世界平定戦略に寄り添う奇観/度外れの米国への自虐心/イラク平定に日本占領方式/ゲーム理論的な利害計算

 これらにも、毎日新聞に載ったものと重なる部分が大きいことが現れています。本文からも引用をさせていただきます。

 今、保守派の論壇が奇観をさらしている。あの大東亜戦争の解釈をめぐり、・・・自虐史観を徹底的に批判しておきながら、最大の戦勝国アメリカの流儀に対しては度外れに自虐的だということだ。・・・
 ・・・もし日本の独立自尊を願い、さらに日本の現状に由々しき混迷や堕落をみてとるのなら、これまで崇敬したり屈従したりしてきたアメリカから、戦後の日本が悪しき影響の数々を受けつづけてきたのではないか、と考えてみなければならない。・・・
 戦後日本に「左翼的」な路線を与えたのは日本国憲法と教育基本法である。その両法はアメリカからやってきたものである。そんな代物を受け入れたままであるという現在の事態に自虐するくらいなら、それら両法を見本とする「アメリカ的なるもの」から脱却したらどうなのか。その第一歩は、アメリカもまた、「歴史なき場所」に自由・平等・博愛などの近代主義的な価値を植える大がかりな実験を企てたという意味で、左翼国家なのだとみなすところから始まる。
(下線は中塚、以下の引用でも同じ)

 続いて、アメリカの対イラク戦略について述べられています。

 イラク平定はGHQ(連合国軍総司令部)が敗戦日本に対して敷いた占領政策を踏襲するらしい、という情報がアメリカのメディアで発表された。「悪の枢軸」を成敗した跡地に「アメリカの正義」を植え込む、その成功例が日本だといわれて、いささかの屈辱も感じないというのでは、自虐戦後史観も極まれりというほかない。・・・
 ・・・アメリカの国防戦略でいわれている「アメリカ的国際主義」なるものは「アメリカの国益優先策に逆らうものへの武力発動」のことにほかならないのだが、このGHQ世界観とでもいうべきものが、日本の保守派なるものにすっかり染みついたわけである。


 そして、「GHQ世界観はネオリアリズムと総称される戦略理論にもとづいている」として、毎日新聞に載ったものと同様の、ネオリアリズム(新現実主義)に関する説明がなされています。簡単にまとめておきますと、ネオリアリズムとは、@世界を「無政府」状態とみなす、A「国家」を戦略の行為単位と位置づける、Bゲーム論的な武断主義に基づいている、といった点を特徴とする、ということです。
 この説明に続いて、西部氏は次のように結論を述べています。

 ・・・そこ(=ネオリアリズム)において、(いわゆる「自然状態」において「絶対者への全権委譲」という社会契約が生じると論じた)ホッブスにあって逃れられなかった矛盾のことすらが度外視されている。
 その矛盾とは、自国の「自己保存」−それには国民性の保護ということも含まれよう−が否定されるような社会契約には、絶対者(あるいは世界平定者)になろうとするもの以外は、もしくはその従僕になろうとするもののほかは、どんな国家も参加しないであろうということである。元来、社会は契約ではなく歴史の上に成立する、と考えるはずの保守派が、「ホッブスの矛盾」すら知らずに、ホッブス的社会契約論から出てきたアメリカの世界平定戦略論に寄り添うのは奇観の最たるものである。


 ここで述べられている「ホッブスの矛盾」は、「どんな国家も参加しないであろう」という推測の域を出ないものになっています。つまり、あくまでも社会契約論的な考え方にに批判的な立場からの見方に過ぎない、と言えるわけです。したがって、社会契約論を支持する立場からすれば、そのような矛盾は存在しないことになります。つまり、どちらの立場も相対的であって、見たり考えたりする角度や視点が変われば、どのようにも理屈がつく、ということなのです。
 前回みましたように、西部氏は、「歴史」に拠って立つことで、たとえば「物事の真善美に関する基準」を得ることができる、と述べています。歴史を参照することで、正しい判断や正しい行動が可能になる、と考えられているわけです。
 歴史に拠って立つ際に、西部氏は「平衡感覚」という概念を重要なものとして掲げています。これはすでに前回、『歴史感覚 何が保守政治の神髄か』を引用させていただいた時にも出てきた言葉なのですが、そこではくわしい検討をしないままになっていました。今回は、新たに、『大衆の病理 −袋小路にたちすくむ戦後日本−』(NHKブックス,日本放送出版協会,1987年)という、西部氏によります別の著書を引用させていただきながら、この「平衡感覚」という考え方について見ていきたいと思います。
 西部氏は、この『大衆の病理』で、次のように述べています。

 現代の高度大衆社会あるいは日本に典型をみる高度ビジネス文明から抜け出る基本的な方向は、真の保守主義とでもいえる態度をうち固めていく以外にない。
 「真の保守主義」とはなんであるかというと、簡潔にいえば、伝統の中に蓄積されている平衡感覚の知恵とでもいうべきものを保守する、ということである。
(p142)

 「高度大衆社会」「高度ビジネス文明」から、なぜ、「抜け出」なければならないのか、ということをあらためて問い直しますと、議論がなかなか先へと進みませんので、ここではおいておきます。ただ、現在の日本人からは、そもそも、現状を克服し、現状から脱却しなければならないという危機感や自覚が、きわめて薄いということも事実だと言えます。その実例も、これまた挙げだしたらキリがありませんので、いちおうそのことを指摘しておくにとどめておきます。
 さて、西部氏は、「真の保守をめざすために注意しなければいけない問題点を列挙してみる」としまして、10の点を挙げています。それらの説明で1つの章が構成されており、余すところなく理解していただくためには延々と引用を続けなければならなくなってしまいます。ここでは、とりあえずそれらの「問題点」をごく簡略にご紹介し、その後、必要なところについて考察を深めていきたいと思います。

 「真の保守をめざすための問題点」は、おおよそ次のように述べられています。

@真の保守派は、パブリック・オピニオン、つまり世論との対決を覚悟しなければいけな い。
A真の保守派は、ペシミズム(悲観論)をもたなければならない。つまり、伝統の発掘と いう仕事がおいそれと成果をあげるなどと楽観はできない。
B真の保守派は、セルフ・スケプティシズムつまり自己懐疑の精神をもたなければならな い。保守は人間の不完全性という大前提から出発する。
C真の保守派は理想主義を排する。しかし、理想への努力を含むものである。
D真の保守派は、反動主義と急進主義のあいだでの二者択一をするものではない。流行と 不易の、あるいは可変性と不変性の両方を引き受けて、そのあいだでバランスをとろう とする。
E真の保守派は社会の制度を安定したものとか、硬直したものとは考えない。人間も社会 も、ともども常に危険を帯びたものであると見なし、そのただなかで尾根伝い、あるい は綱渡りをする。
F保守の精神は、何ほどか超越の次元、崇高の次元、あるいは聖なる次元を志向する。
G真の保守派は、理性一元論を疑う。ロマンとリーズン(注.reason,哲学用語としての 「理性」)の双方を引き受けて、歴史や人生を面白く、筋道立てて語ろうとする。
H真の保守派は、ロマンとリーズンとの平衡が容易であるとは楽観しない。
I歴史といい、伝統といい、慣習といい、その中に含まれている知恵は、そう簡単に実体 として示し得ない。

 西部氏は、問題点@について説明する中で、次のように述べています。

 往時における保守ならば、庶民のあいだに潜在的に確保されている生活の知恵、あるいはコモンセンスを信じることができ、それゆえ庶民の表明する世論を素直に受容することができた。ところが、現代における大衆は、そういう知恵コモンセンスを大幅に失いつつある。(p143)

 「コモンセンス」を『広辞苑』で引きますと、「常識、良識」と出ています。また、英英辞典でcommon sense は、たとえば次のように説明されています。

common sense is a person's natural ability to make good judgements and to bahavein a practical and sensible way.
(コウビルド英語学習事典,秀文インターナショナル,1989年)

 訳してみるなら、「コモンセンスとは、適切な判断ができたり、現実に即した健全で理性的な行動をとれたりする、人間本来の能力である」、このようになります。これを日本語で端的に言えば、先ほどのように「常識、良識」になるわけです。
 それではなぜ、現代の大衆はコモンセンスを失ってしまったのでしょうか。西部氏の考えに沿うなら、社会契約論的な思想に基づいて社会民主主義が世界の主流になり、歴史や伝統が廃棄されたり、破壊されたりしたからだ、ということになると思います。
 ただ、そこでは、さらに考えを進めて、「歴史と伝統を破壊するような社会民主主義」を、多くの人々が喜んで採用したのはなぜだろうか、ということを問わなければなりません。それがわからなければ、いくら、歴史と伝統を取り戻そう、コモンセンスを復活させよう、と叫んでみても、おそらく単なるかけ声倒れに終わってしまいます。
 民主主義の社会とは、基本的に、人々が自分のエゴを拡大させたり、個人の自由や権利を追求したりすることばかりが良しとされるものです。このように言いますと、抵抗を感じられる方も少なくないかも知れません。しかし、あらゆる人が同等対等で、どんな考えや意見にも善し悪しはない、という状態においては、必然的に人々の自己が肥大していくのです。社会契約論的な「社会民主主義」であろうと、伝統を重視する保守的な「自由民主主義」であろうと、出発点が少々ちがっているだけで、本質は変わりません。
 自己・他己双対理論で言えば、自己ばかりが追求され、必然的に他己はないがしろにされるのが、民主主義である、ということです。
 他己が枯れてしまいますと、人間は他者とのコミュニケーション(こころの通じ合い)ができなくなり、他者が自分を脅かし、自由を奪い、権利を侵す「敵」として迫ってくるように感じられてしまいます。そして、自己に閉じた観点からしか、ものを見たり、考えたりすることができません。「社会的」で、「良識的」な判断ができなくなってしまうのです。その中では、自分の利益や選好の追求がスムーズにいくように、ときには慇懃(いんぎん)無礼に、またあるときにはずるがしこく振る舞えるテクニックが発達する程度です。
 本当にコモンセンスを復活させよう、というのならば、その根底にある他己を取り戻さなければなりません。言葉を換えれば、他己の原理を欠き、自己の原理でしか動いていない民主主義制度の中では、コモンセンスも失われてしまうのが実は当然なわけです。一方で民主主義を後生大事に守りながら(つまり、民主主義=自己肥大に執着しながら)、もう一方でコモンセンスの復活を、と言うとしたら、それはそもそも矛盾した、無理なことなのです。
 なお、前回も終わりの方で申し上げましたように、コモンセンスは、実際状況に即した、社会的な能力である、と言えます。ですから、それは当然、その時々の情勢によって変わり得る(あるいは変わらなければならない)、あくまでも相対的な能力です。ある時代、ある国においてはコモンセンスであることも、別の時代や国においてはそうではない、ということが起こります。たとえば、戦時中の日本であれば、お国のため、天皇のために、いつでも喜んで命を捨て、1人でも多くの敵を殺せる日本人が、コモンセンスを備えた人、とされていたわけです。ですから、相対的なコモンセンスに、絶対に近い信頼を寄せる、言葉を換えれば、執着するのは、非常に危険なことだとも言えます。
 コモンセンスを超えた、あるいはコモンセンスを支える、絶対的な教え、価値観、基準がいるのです。また、コモンセンスが真にコモンセンスたり得るには、絶対な教えに基づいていなければならない、ということです。

 続いて、問題点Bについてですが、そこでは「セルフ・スケプティシズムつまり自己懐疑」「人間の不完全性」について、次のように述べられています。

 つまり、人間が知的にも道徳的にも不完全なものであるという自己認識から保守の思想がはじまる。こういう認識を忘れたところに過剰な近代主義が芽生え花ひらいたのであるという反省に立って、真の保守は「汝自身を知れ」というテーゼを断じて手放さないのである。(p145)

 「汝自身を知れ」と言いますのは、よく知られていますように、ソクラテスの言葉で、ソクラテスは、私が「四聖」と呼んでいる聖人の1人であることに、前回もふれました。
 ここでちょっと話が逸れますが、西部氏が、著書『大衆の病理』の他の箇所で、ソクラテスの言葉を取り上げているところを引用させていただきたいと思います。そこには、次のようにあります。

 大衆と対比さるべき人間類型は知識人である。もっと厳密にいうと、伝統を大事にするものとしての庶民性に表現を与えるのが知識人であり、他方、伝統を軽んじるものとしての大衆性に表現を与えるのが専門人である。
 ここで知識人というのは、知識をたくさん保有するひとという意味ではない。ソクラテス以来のフィロ・ソフィアつまり愛知の伝統に従って、「無知の知」、つまり己れの知っていることがいかに少ないかを知ること、それこそが知識人であることの基本条件なのである。知識に対する懐疑をもたないのは専門人(specialist)であって知識人(intellectual)ではない。
(p130)

 単刀直入に言いますと、西部氏の「無知の知」に関する理解は、間違っています。もっとも、これは西部氏のオリジナルな解釈ではなく、世界中の大多数の人は、西部氏と同じように理解しています。高校の社会科(倫理社会)でもこのように教えていますし、大学の哲学の授業も同様です。ですから、「無知の知」を「己れの知っていることがいかに少ないかを知ること」だと思っている人が世の中にあふれていても、当然と言えば当然です。
 これでは、どんなにたくさん勉強して、知識を頭に詰め込んでも、必ず限界がある、そんなことで傲慢になってはいけないのであって、「この世には自分の知らないことがまだまだある」という謙虚さを失ってはならない、という、いわば処世訓になってしまいます。このことを逆の面から言ったことわざを挙げれば、「井の中の蛙、大海を知らず」ということなのです。
 前回、老子の哲学にふれた時に述べたのと同じように、ソクラテスも、そんな俗っぽい処世訓を言ったのではありません。この世の中の相対的な関係を超越した、絶対の境地をいった言葉が、「無知の知」なのです。
 西部氏をはじめとする多くの人の理解では、知識の「量」が多いか少ないか、そしてそのことをどう自覚するかという、きわめて相対的なことが問題にされています。そうではなくて、「無知の知」とは、まさしく「知らない(=無知な)のに、知っている」ということを言っているのです。

 「知らないのに知っている」とは、まったく矛盾したことで、通常の理解の仕方では、何のことやら到底わかりません。つまり、このことを、いくら「あたま」だけでわかろうしてみても、だめなのです。
 私たちは、自分がどこから生まれて来たか知りませんし、どこへ死んでいくかも知りません。知らないうちに生まれてきて、知らないうちに死んでいきます。誰でもが、あす死ぬかも知れませんし、あす病気になるかも知れません。あす災害や事故に遭うかも知れないのです。誰もが、自分の運命を知りません。まったく無知です。
 この「無知」を、「あたま」だけでなく、「からだ」と「こころ」で「知」ることができたとき、人間は、そのことに執らわれなくてもよくなってきます。すべてを、なるようにまかせて生きることができるようになります。こう書きますと、投げやりで、やけくそな生き方のように思われるかも知れませんが、そうではありません。こうなった時に初めて、真の自由自在が得られるのです。
 明日の我が身がどうなるのか、自分はいつまで生きられるのか、いつ死ぬのか、財産が増えるのか減るのか、他者が自分のことをどう思っているのか、愛されているのか憎まれているのか、そんなもろもろのことを「知らなくて」も、それに左右されることがなくなります。いちいち「知」りたいとも思わなくなるのです。これはつまり、何も知らなくても、すべてを知ったと思える、そういう「心境」に至った、ということです。
 人間は、ただ1つ、この「無知の知」を得るときに、他のことは何も知らなくても、現実の生活で間違いや悪を犯さずに済むようになってきます。すべての知識を捨て去ってしまうことも、できるようになるのです。

 繰り返しになりますが、このことは、どんなに「あたま」で考えても、わかるものではありません。「『無知の知』というものがあるんだ、そうなりたいなあ、どうすればなれるんだろう、自分はそうなれたんだろうか」等々、いくらあれこれ考えてみても、かえって余計に執らわれが増えていくだけです。そうではなく、そのような執らわれやはからいを滅して、ひたすらに精神修養に励むことしかありません。ソクラテスの言葉、「汝自身を知れ」が、本当にできるためには、そのような精神修養が不可欠なのです。 
 なお、老子には、「無為而無不為(為すこと無くして為さざること為し)」という言葉があります。この意味は「何もしないのに、しないことが無い」となります。この「為」は、英語で言いますところの「do」、つまり代動詞ですから、ここにいろいろな行為をあらわす言葉を当てはめることができます。「知」を入れれば「無知而無不知(知ることなくして知らざることなし)」、「知らないのに、知らないということがない」となり、これはまさにソクラテスの「無知の知」と同じことを説いているのです。

 西部氏が挙げた問題点の検討に戻ります。そのBには、さきほど引用しましたように、「保守は人間の不完全性という大前提から出発する」とあります。確かに、大多数の人間は、きわめて不完全な存在です。別の言い方をすれば、「無知の知」に至っていません。我が身の明日を思い煩い、家族のことをあれこれ心配し、地位や財産を守ることに汲々とし、他者が自分のことをどう思っているかを気に病んでいます。そうした心配が軽くなったり重くなったりするのに連れて、一喜一憂しながら毎日の生活を送っています。船が、大小さまざまな波に翻弄されているようなものです。
 その中で、航海の目的や行き先を見失わずに、しっかりと進んでいくためには、何を「灯り」にしたらよいのでしょうか。それは、「無知の知」を体得した人の説く教えです。圧倒的多数の人間は不完全な存在ですが、その不完全さを脱した人がいます。それが、釈尊、キリスト、老子、ソクラテスの「四聖」に他なりません。人間の相対性を超越し、絶対な境地に至ることのできた人の説く教えだけが、不完全な人間にとっての、完全な道しるべになり得るのです。
 しかしながら、西部氏はそう考えません。氏は、問題点Bを指摘する中で、次のように述べています。

 ・・・真の保守が頼ろうとするのは、長い歴史のなかで、意図せざるかたちで、蓄積されてきた伝統の知恵である。トラディションという言葉の意味は、「運ばれしもの」ということである。自らの不完全性を認識しつつ、しかしその不完全をいささかでも減らそうとしていく休みない努力の成果、それが歴史をつうじて「運ばれしもの」である。その「運ばれしもの」は一般にコンヴェンション、つまり慣習となってなにほどかは具体化されているはずである。・・・世間の人々が意図せざるかたちで自ずと寄り集まり、そこでスポンタニアスに、つまり自生的に、言論が営まれ、その営みのなかで展開される知恵、それが慣習の本質にほかならない。真の保守は己自身を懐疑するがゆえに、歴史を通じて運ばれしものとしてのトラディション、そしてみんなが寄り集まってかたちづくったものとしてのコンヴェンションを手放さない。あるいは、それが手元にないのならば、それを歴史のなかから発掘するよう努めるのである。(p145)

 歴史と伝統を尊重し、「みんなが寄り集まって」話し合い、そこで作られた慣習ならば頼りにできる、すなわち判断や行動の際に、誤りのない基準や規範として信頼できる、と、西部氏は言うわけです。
 しかしながら、繰り返しますように、不完全な人間がいくら大勢、それこそ何万人、何億人と「寄り集まって」、「言論を営」み、トラディションを運んだりコンヴェンションをかたちづくったりしても、相対なものの寄せ集めはあくまで相対なものに過ぎません。十億人の相対者の群れが、なにがしかの意見をひねり出しても、たった1人の絶対者(絶対な境地に到達し得た人)が説く教えの足元にも及ばないのです。
 「人間の不完全性という大前提」こそ、まさにこのことの自覚から始まらなければならないのですが、西部氏にはそうした考えがまったくないようです。不完全さを言いながらも、歴史を参照して大勢の人が寄り集まれば、それを克服できる、という、きわめてオプティミスティック(楽観的)な議論が展開されているのです。
 西部氏は、オプティミズムとペシミズム、あるいは理想と現実、流行と不易、可変性と不変性とのバランスをとろうとするのが真の保守派の態度であると述べます。この点について、次のようにも述べられています。

 変化への欲望を生であるとし、不変性への埋没を死であるとするならば、真の保守は生への賛歌のみをうたうのでもないし、死への挽歌だけをうたうのでもない。むしろ、死者の歴史のなかに生への賛歌を読みとり、また生の賛歌をうたうときにも死者の声に耳を傾けるというかたちで、生と死のあいだで平衡感覚を保とうとするのが保守の態度である。(p147)

 西部氏がここで述べていることは、自己・他己双対理論に基づいてこそ、現実の人間の姿として理解することができると思います。
 いつまでも生きていたい、生きがいを追求したい、より善い自分をめざして生きていきたい、等の願いは、精神の自己の側に属しています。もう一方の他己は、そのように自己主張をすればするほど、実は自己を制限するように、否定的に働きかけてくるのです。いくら自分が「ああしたい、こうしたい」と欲しても、実際にはそれがすべてかなうわけではありません。他者や社会に配慮すれば、できないこと、してはいけないことも多く出てきます。人間は、「より善く社会的でありたい」という、他己も宿しており、繰り返しますが、自己主張しようとするほど、それに対して他己は否定的に働きます。ですから、生は自己に属するものであり、人間にとって終局的である死は、他己に属するもの、と言えるのです。
 ただ、自己に執着するほど、他己は否定的に、抑圧的に感じられますが、その自己への執着が捨て去られた時には、ひるがえって、無限に自己を支えてくれるものになります。これは、「他己は自己を支えてくれるものなんだ」と、いくら「あたま」で思い込もうとしても無理な話で、先ほど「無知の知」に関して申し上げたことと同じです。自己のはからいを滅した精神修養を通して、自己と他己との統合が成ったとき、自分という存在が「生かされて生きている」ことを実感できるようになるのです。西部氏が使っている「平衡感覚」という言葉は、本来このような、自己と他己の統合という意味として用い、理解すべきだと思います。
 しかし、西部氏は次のように書いています。

 実は、こういう生と死の間の平衡感覚を蓄えたものこそが慣習であり伝統である、少なくともそれらの本質である、といわなければならない。簡略にいえば、死を背負うことなしには生の意味がでてこず、また生を願望するのでなければ死の重みを感ずることもできない、という二律背反あるいは不安定性の中で、いかに生きぬくかを教えてくれるもの、それが保守の発掘しようとする伝統の知恵なのである。(p147)

 慣習や伝統に頼っても、生(=自己)と死(=他己)の統合に至ることはできません。これまで繰り返して申し上げて来ましたように、どれほど長い伝統も、どれほど膨大な慣習の蓄積も、それらはすべて相対なものの寄せ集めに過ぎません。状況の変化にともなって、いつでもコロコロとひっくり返る可能性をもっています。昨日まではよかったことでも、今日からはだめになる、ということが、常に起こり得るのです。相対的な伝統や慣習に執着して、それこそが従うべき規範だと言いますのは、泥舟に乗り込んで(それが泥舟だと気づかずに)「これは絶対に沈まない」と思い込むようなもので、危険きわまりないことです。
 自己と他己が統合された境地は、そこに至った人でないとわかりません。その境地を知らない凡百の「庶民」が、ワアワアと「輿論」を騒ぎ立てて、伝統だ、慣習だ、英知だ、と言ってみても、しょせん吹けばとぶようなものに過ぎないのです。人間の不完全性から始める、とは、その事実を自覚することであり、また、不完全なこのままの自分は及びもつかない、完全な境地があることを信じる、ということです。
 先に泥舟のたとえをしましたが、西部氏は、人間が生きていくことを「尾根伝いの術」や「綱渡りの術」にたとえて、次のように述べます。

 人間も社会もともども常に危機を帯びたものなのだということを保守は知っている。危機のただなかにおける尾根伝いの術あるいは綱渡りの術、それが伝統の本質なのである。・・・
 ・・・伝統の本質は、・・・硬直したものではありえない。なぜなら、伝統の本質が平衡感覚である限り、また平衡感覚を保とうとするのが知恵である限り、そこには人間と社会がともども危険で、不安定で、二律背反的な状況のなかにあるのだ、ということが前提されているからである。人間存在のはらむ矛盾、社会制度のなかの相剋というものを前提とする限り、それらの矛盾相剋をのり切ろうとする伝統の精神がきわめてダイナミックであり、さらにはドラマチックなものであるのは当然である。
(pp147〜148)

 人間や社会が、危険を帯びていて、不安定で、二律背反的な状況の中にあるというのが具体的にはどういうことなのか、論理的な説明はありません。たしかに「常識的」にも、社会は危険に満ちています。たとえば「盗み」を例にしたとしまして、ひったくりや空き巣ねらいや強盗が起きない日は1日としてありませんし、窃盗犯の検挙率はいまや15%以下にまで落ち込んでいます。かつては日本社会につきものだった「水と安全はタダ」という形容は、完全に通用しなくなってしまいました。もっとも、西部氏の言う「危機」はそういう具体的な、もしくは、即物的なことを直接に指しているのではないようですが、それでは危機の正体は何か、ということの説明もないのです。
 西部氏は、人間存在のはらむ矛盾や、社会制度にある相剋を、伝統の精神にのっとってのり切るべし、と言います。そのとき、伝統の本質は、「きわめてダイナミックであり、さらにはドラマチックなものであるのは当然である」と述べるのです。
 これでは、伝統を旗印にした、社会の運営や変革ならば、ほぼ無条件に礼讃されるということになります。ナチスによる侵略やユダヤ人迫害も、「優秀な」ゲルマン民族の「歴史と伝統」に基づいた、正統な行為として評価されるべき、となってしまうのです。
 「平衡感覚」が発達していれば、強制収容や虐殺などの「非道」な行いは避けられる、と言うとしたら、それはごまかしです。西部氏が言う「平衡感覚」とは、あくまでも現実社会を生き抜いていく上での適応能力に他なりません。直面する情勢の中で、ユダヤ人を排斥することが「理にかなっている」と判断されれば、そのための政策を確実に実行できる能力こそ「平衡感覚」である、ということになってしまうのです。
 「平衡感覚」とは、危機のさなかをサバイバルしていける能力として考えられているに過ぎず、危機そのものを根本的に解決したり克服したりしようとするものではありません。

 自己・他己双対理論によって考えたとき、個人と社会とはある面において対立しており、矛盾的です。哲学的には、自と他が互いに否定しあう弁証法的矛盾の中にあると言えるのです。しかしながら、個人は他者や社会によって否定される一方で、他者や社会がなければ、自分の存在すらがあり得ず、生活も成り立ちません。
 近代ヨーロッパ思想は、有名な「我思う、ゆえに我あり」という言葉を残した、デカルト(1596〜1650)に始まっています。その考えは、「個人」の自由と平等の確立をめざすもので、現代の民主主義や、あるいは資本主義を支える、強固な基盤となっています。また、科学の発展を促したのも、この近代ヨーロッパ思想であり、自然科学だけでなく、経済学や法律学、教育学等の人文科学もまた、例外ではありません。しかし、「個人」をすべての中心に据え、どこまでもエゴを主張しようとするこの考え方は、ほぼ必然的に、「社会」を忘れさせるように働いてきました。
 先ほども言いましたように、「社会」をないがしろにしては、人間は生きていけません。「個人」の自由を追求し、あらゆる人間は同等、対等にさまざまな権利を有しているのだと叫べば叫ぶほど、かえって「個人」としてのあり方が危うくなって来るという、矛盾に苦しまなければならなくなってしまったのです。
 この問題に解決を見出そうとするのが哲学であるわけですが、その哲学すら、個人に閉じた観点を脱したいとあがき続けてきながら、まるで袋小路に迷い込んだかのように、何らの解決策も示せずにいます。むしろ、「個人」のエゴ拡大を手助けすることで、どうにか学問として生きながらえているように見えることがあるほどです。

 どうしてそうなってしまうのかと言いますと、人間がお互いに相対な存在であることに、「あたま」では分かっているのですが、もっと深く、根源的に、人間だけではなく、あらゆる存在が相対的であって、お互いに依存しあいながら存在していることに気づいていないからです。どこまでいっても、自分が、人間だけでなくあらゆる存在に相対しあっている、つまり依存しあっていることに、真から気づいてはいません。ちょっとつつけばメッキがはがれて、「自分は自分で生きているんだ」と思い込んでいるという、地金が現れてしまいます。
 ですから、自分という個人を離れて、完全に他者や社会の側に立ってものを見たり、考えたりすることができません。対人関係もそうですし、環境問題を考える際にも同じです。自分が環境に守られ、支えられ、生かされているということがどこかにとんでしまい、人間が環境を「保護する」といった、傲慢で、転倒した論理がまかり通っているのです。
 人間の絶対の安心、何があっても、何が起こっても、何が身に降りかかってこようとも、決して揺らぐことのない安心の境地は、自分への執らわれを捨て、究極的には、自分の死を他人の死と同じような死として客観的に受け入れなければ、訪れてきません。もっとも、そんなことができるはずはない、あるいは、そんなことできなくてもいい、そんなふうになりたくなんかない、と考える方は多いようにも思います。
 四聖の1人であるソクラテスは、裁判で死刑の判決を受け、友人からの逃亡の勧めをことわり、弟子や妻子の泣く前で、笑みさえ浮かべて毒杯をあおぎました。自分の命にすらこだわらない、執着を離れたソクラテスに、「執着があった」と仮に言うならば、他のすべての人が、自分のように執着を捨てて、本当の幸せを心の中に作り出してもらうことであったろうと思います。
 人間の社会全体の安心や幸福は、個人が自分自身を受け入れるように、皆が他者を受け入れなければ、実現することがありません。自己に執らわれていてはだめなのです。そして、そういう境地に達することができるからこそ、ヒトは人間であるわけです。
 多くの人が自己への執着を捨てなければ、社会はいつでも危機に満ちています。それは同時に、個人もつねに危機に直面しているということなのです。不動の安心を心の中につくり出せない限り、誰もがそうである、ということです。西部氏の言った「危機」は、このように理解しなければならないと思います。

 こう述べてきますと、おのずと明らかなのですが、絶対な、不動の安心というものは、「あたま」で考えて得られるものではありません。これは、この「ひびきのさとだより」や、「こころのとも」でも、これまで何度も繰り返してきたことでもあります。当然、こうすれば確実に安心が得られる、という、便利な技術があるわけでもありません。死ぬまでに、そうした境地に達することができるかどうか分からないけれども、その世界をひたすらに信じて、修行に励む以外にはないのです。そして、本当に「ひたすら」修行に打ち込むことができていれば、実はその時すでに、絶対の安心に限りなく近づいている、と言えるのです。
 西部氏は、「尾根伝いの術あるいは綱渡りの術」を身に付けることで、人間や社会が帯びている危機、あるいは抱えている矛盾や相剋を乗り切っていける、と言います。それがすなわち、西部氏の言う「平衡感覚」であるわけです。そして、歴史や伝統こそが、その「平衡感覚」に他ならない、とするのです。
 世の中を渡っていくための処世訓としてならば、西部氏が述べるようなこともあり得るかも知れません。今は、経済、政治、軍事など、多くの局面で世界情勢が騒然となっているのだから、日本人は一刻も早く「術」で武装して、この危機を乗り切らなければならない、そうでなければ、どこかの国に焼け野原にさせられるか、呑み込まれるかされてしまうぞ、というわけです。そして、その「術」を身に付けるためにもっとも望ましいのが、我が国に固有の歴史を学び、伝統を取り戻すことである、という主張なのです。
 これは、明治維新の際に政府が打ち出した、復古神道に基づく「富国強兵・殖産興業」のスローガンとほとんど同じです。そこには、国際関係はあくまでもサバイバルゲームだ、という発想しかなく、あらゆる国と、あらゆる人が、ともに和して生きていこうという考え方(それこそが人間の人間たるゆえんなのですが)は、残念ながら微塵もありません。
 先に引用しましたように、西部氏はアメリカによる「ネオリアリズム(新国家主義)」を強く批判していますが、実は他ならぬ西部氏自身が、ネオリアリズムとまったく同じ土俵の上で相撲をとろうとしている(とっている)のです。相対的なものに過ぎない処世訓に執着したならば、危機はかえって深まってしまう、ということなのです。

 さて、西部氏は、「平衡感覚」についての説明に関して、先ほどから引用させていただいています「真の保守をめざすための問題点」のFでは、次のように述べています。

 ・・・保守の精神は何ほどか超越の次元、崇高の次元、あるいは聖なる次元を志向するということである。もちろん、真の保守は既存の宗教に無批判に盲従するものではない。保守の根本に自己懐疑が横たわっている以上、簡単に信仰へと飛び移れないのである。しかし、信仰への予感をもつのでなければ、危険な尾根伝いや綱渡りを成すための意欲がわいてこない。その意欲なしに尾根を歩き綱を渡るならば、転落すること必定である。つまり、危険な道を歩くための自己抑制と前へ進もうとする情熱とが生まれてくるのは、自分を超えたところにあるはずの真実を感じるから、あるいは感じようと意欲するからにほかならない。実のところ、こういう聖なる次元への予感のようなものも、また伝統のうちに蓄えられているものである。伝統はけっして狂信の塊なのではない。信仰と懐疑の間における平衡感覚、それが伝統の本質である。伝統は聖なる次元へのまなざしも含んでいると同時に、俗なる次元にも根をおろしている。この両面的な精神こそが伝統の型なのである。(pp148〜149)

 これを読まれてどのようにお感じになったでしょうか。西部氏には失礼ですが、ここに書かれていることは、はっきり申し上げて「ムチャクチャ」です。他の引用箇所も、これまでの検討の中で、なにがしかの問題を含んでいることを指摘してきたのですが、ここのところでは、むりやりな論理の展開が極まっています。もっともこれは、西部氏個人の問題なのではなく、かなり多くの日本人が、宗教や信仰などについて、こうした考えをもっていることのあらわれなのだろうと思います。
 どこが「ムチャクチャ」なのかと言いますと、もっともそれが強く出ているのは、「信仰と懐疑の間における平衡感覚」というところです。
 たいていの日本人にとってはなかなか理解しがたいことだと思うのですが(それゆえ西部氏の述べることに説得力を感じる人も多いと言えるのですが)、「信仰」と「懐疑」の間で平衡をとる、とか、「懐疑」しつつ「信仰」する、などということは、あり得ません。程度にかかわらず、「懐疑」が存在していたら、それはもはや「信仰」ではないのです。
 信仰とは、おのれのはからいや執着を捨てて、ひたすらに信じ、従うことです。 懐疑するといいますのは、その正反対で、自分こそが正しいと思い込んで、おのれに執着することに他なりません。自己への執着を捨てることを教えるのが本当の宗教です。それを、半分は信じ、半分は疑う、などというのでは、自己への執着がむき出しになっているのであって、実際には、半分どころか、まったく信じていないことになります。
 西部氏のような立場からすれば、懐疑の視点もなしに、あたまから信じ込むのは、「狂信」「盲従」に他ならない、ということになるのだと思います。自分が「懐疑する」ことだけは動かせない事実である、仮に、自分の考えていることにも自信がないにしても、「自分が疑っている」、とか、「疑っている自分がいる」とかいうことは、絶対に「疑い得ない」、したがって、「疑っている自分」という存在が残っている限り、その自分は「狂信」や「盲従」に落ち込むことはないのだ、そしてまた、その「疑う自分」の存在を支えてくれるのが、歴史や伝統である、西部氏の主張は、おそらくこのようにまとめられるのではないでしょうか。これはまさに、「我思う、ゆえに我あり」と言ったデカルトの考え方、すなわち近代ヨーロッパ哲学の流れをそのままに受け継ぐものだと言えます。
 西部氏をはじめとする現代人は、聖なる教えは信じなくても、近代以降の哲学や科学は信じるのです。しかし、そのこと自体が「狂信」や「盲従」ではないという保証は、いったいどこにあるというのでしょうか。
 ひとつには、そうした哲学や科学が、自己を否定するものではなく、逆に自己の肥大を支え、推奨してくれるものなので、多くの人は安心したり、ありがたがったりしていられるのだと思います。また、自分という存在は、鏡を見たり、ほっぺたをつねってみたりすればいちおう実感できますし、科学の成果についても、自動車が走っていたり、インターネットが使えたり、人工衛星が飛んでいたりしますから、あらためてそれらを疑う必要は、とりあえずありません。つまり、見たり触ったりできる、即物的なものやことは、信じることができるのです。
 その反対に、聖なる世界は、見ることも、触れることもできません。その存在を「科学的」に実証することはできず、あるのか無いのか、分かりません。信じるとしても、そこには一切の「保証」がありません。ひたすらに信じる以外に、できることはないのです。 これは、即物的な世界の中で、それしか知らない現代人にとっては、きわめて困難なことです。とくに日本人にとっては、困難以上に、ほとんど不可能なことだと言えます。そこに、西部氏の述べることが広まり、受け入れられる余地が生まれるのだろうと思います。
 しかし、懐疑することをもって良しとするのは、科学教、あるいは民主主義教とでも言うべきものをそれこそ「狂信」し、それに「盲従」することに他なりません。現代人は、科学や民主主義に、頭のてっぺんから足の先までどっぷりと浸かっているので、実は他ならぬ自分が「狂信」し「盲従」しているのだ、ということに気付けないのです。
 歴史や伝統に帰って、物事を見つめ直し、考え直せば、過ちは避けられる、というのが西部氏の考えで、それを指して「平衡感覚」とするわけですが、これまで繰り返してきましたように、歴史も、伝統も、相対なものに過ぎず、絶対的で、不動な観点ではあり得ません。いつでも揺れ動いている視点に立つならば、曲がっているものでもまっすぐに見え、反対にまっすぐなものが曲がって見えてしまいます。そこでまた、「平衡感覚の出番だ」とばかりに、揺れ動くものをさらに揺れ動く視点から眺めようとしたら、もはや目が回るばかりなのです。

 日本が現在おちいっている危機的な状況を挙げだしたら、キリがありません。もちろん、さまざまな危機は世界的な規模に拡大しています。それらの問題を西部氏が深く憂えておられること自体には、理解できる点があります。
 しかしながら、この状況をどう認識し、どうやって克服していくべきなのかという、非常に大切なことにつきましては、西部氏が主張するような「歴史や伝統への回帰」では、解決に向かうよりむしろ、いっそう危機や混乱が深まってしまう可能性の方が高いのです。
 いま、何をおいても必要なのは、人間同士の相対な営みを超越した、絶対な境地からの教えを信じて、従うことです。民主主義を信奉し、自由や権利の拡大を至上とする現代人にとって、これほど難しいことはありません。しかし、それができなければ、近い将来に人類が滅亡してしまう危険性は、決して低いものではない、と言わざるを得ないのです。



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