ひびきのさと便り



No.4  何が子育てを危うくしているか ('01.11.22.)

 児童虐待は、日本の抱える最大の危機であり続けています。つまり、公的、私的な取り組みが熱心におこなわれているにもかかわらず、発生件数は減るどころか、増加の一途にあるわけです。あまりに日常的になりすぎてニュースバリューが失われてきた上に、アフガン情勢に世間の目が奪われて、善し悪しはともかく、ここしばらく目立った虐待のニュースは報じられてきませんでした。
 それでも、このところ、「児童虐待防止法」が施行されて一年になるということもあって、ふたたび虐待関係のニュースが目につくようになりました。もちろん(と言うのも悲しいことですが)明るい話題ではありません。11月15日の読売新聞は「虐待死11件/児童相談所 防げなかった/昨年度、全国で」、続いて20日には「児童虐待死36人/防止法施行1年」という見出しで報道をおこなっています。
 諸外国にも児童虐待はあります。むしろアメリカなどの方が、日本よりもはるかに早い段階で注目され、社会問題化していたようです。しかし、海外の場合には、比較的わかりやすい虐待の理由が存在していることが多いと言えます(もちろん、「理由があればよい」という意味ではありません)。貧困、アルコールや薬物への依存、精神病、夫婦関係の悪化と高い離婚率、犯罪、売春、未婚出産等々です。日本の場合、こうした問題が背景になっているケースもあるでしょうが、むしろそれらは少数で、虐待が表面化した時に、犯人たる親の多くは開口一番、「しつけのためにやった」と言います。しつけを口実とした殺人が多発しているなどというのは、世界広しと言えども日本だけではないでしょうか。
 また、日本で特異なのはその急増ぶりです。旧厚生省が、児童虐待に関する統計的なデータを公表し始めたのは1990年からですが、その後の十年間で、発生件数は何と17倍に膨れあがっています。これはもはや、世界のどこの国でも類を見ない、きわめて異常な事態です。しかし、日本社会の感覚は、その異常性を異常と感じないほどまでに鈍磨してしまったようにも見受けられます。
 私はある時、児童虐待の問題を研究したいという学生と話していて、「日本でこれだけ虐待が起きているのは、何でやと思う?」と、質問したことがありました。それに対して、彼女が即座に答えたのは、「日本に、子育て中の母親を支援するシステムが不足しているからだと思います」ということでした。
 これは、話が転倒しています。母親支援のシステムがないから虐待が起きるのではなく、虐待が日常化しているから、システムを作らないといけないようになるのです。もし、この学生が言ったように、システム不足が虐待の原因であるのならば、日本以上に世情が不安定な途上国や紛争国で、日本以上に虐待が頻発していないことを、いったいどう説明すればよいのでしょうか。このところ連日アフガニスタンやパキスタンの映像がテレビで流れますが、ああいったところでは、母親支援どころの話ではありません。老若男女、すべての難民が、明日をも知れない命を生きなければならないのです。そういう悲惨な状況の中で、児童虐待が起きているでしょうか。おそらく、皆無に近いのではないでしょうか。少なくとも、問題として表面化はしていません。多くの親が、自分はどうなってもいいから、子どもだけは生きながらえて欲しいと必死になっていると思います。他方、三度の食事に事欠くことなどほとんどない豊かな日本で、多くの子どもたちが親によって殺されているのです。これは、とうてい社会システムなどというレベルで解明できることではありません。

 私は、この日本で、異常なほど児童虐待が増えているのは、人々の「自己」肥大、およびそれと裏腹の「他己」喪失が、極限まで進んだ結果だと考えています。わかりやすいことばにすれば、だれもがエゴイスティックになって、他者へのやさしさや思いやり、愛情などを失ったからなのです。他人には愛情をかけないのに、自分だけは他人から愛して欲しいと願う人が大半です。ですから、期待通りに自分を愛してくれない子どものことは憎く感じられて、いじめたり、殺したりしてしまうのです。
 この現状を克服するには、あらゆる人々が「他己」、他者性を回復する以外にはありません。これは、一人ひとりのこころの問題であり、社会システムを整備したり、法律を作ったりするくらいでは、しょせん付け焼き刃、ドロナワです。
 そして、真に他己を回復させるためには、ほとんどの人にとって唐突に感じられるでしょうが、信仰を持つより他に道はないのです。宗教を失った日本人には唐突に思えることでも、諸外国の人にとっては、あえて言う必要などないほど、当たり前のことです。日本の常識は、世界の非常識なのです。

 先ほどの学生の意見に戻りますが、国や社会による支援が不足しているために、虐待をはじめとする子育て上の問題が出てくるのだという考え方自体は、めずらしいものでも突飛なものでもありません。むしろ日本では、多くの人が同じように考えていると言えます。 読売新聞社は、「健やかな子育てを支援していこう」という趣旨のもと、先月、「よみうり子育て応援団」を発足させました。芸能人、文化人、学者、財界人、スポーツ選手等々、そうそうたる顔ぶれが30人、ずらりとそろっています。こうした方々が各地に出張し、講演会などを通じて意見を述べたり交換したりして、子育てを支援していこうという試みのようです。
 活動の一環として、11月13日〜19日の間、7人の「サポーター」が紙面に登場し、子育てに対する考えを述べていました。それらのごく一部を、ここに引用させていただきます。

13日 赤井英和氏(俳優) 男性の育児参加
 子育てにはスキンシップが必要と言われます。・・・日々のやりとりを重ね、子どもが安心して思いっきり泣ける関係だけは作りたい。

14日 石坂啓氏(漫画家) 初めての赤ちゃん
 ほ乳瓶一つ選ぶのにも、かえって迷うのではないでしょうか。・・・「好きか、嫌いか」「合うか、合わないか」という単純な基準でいいのです。正誤の結論の出ないものを選ぶのですから、いわばその人の生き方そのものを基準にするしかないでしょう。・・・実感として、「元気で、機嫌がよければ大丈夫」とつくづく思います。手を貸さなければ生きて行けない、生活のテンポもまるで違う生き物が、暮らしの中に入ってくる。そのことには、いらだちもあります。しかし、「速く、効率よく」だけが価値あることじゃないということを、気づかせてくれるきっかけにもなるのです。

15日 蓮舫氏(キャスター) 親のストレス
 すべてが赤ちゃん中心の生活ですから、だんだん「自分」が消えていく恐怖感がありました。一か月検診の時、「〜ちゃんのお母さーん」と呼ばれた時の違和感は今も覚えています。・・・社会から取り残されるのではないかという焦燥感・・・自分の時間が十分でも欲しかった。・・・もう一つ言えるのは「手を抜いても子どもは育つ」ということ。私はあえて「手抜き」を言います。

16日 渡辺和恵氏(弁護士) 子どもの事件
 駆け出しのころ、・・・子どもの育ちを見守る姿勢があった。でも、今は違う。「許さない。責任をとれ」。それが今、社会が子どもや親に向ける視線です。つらい時代です。

17日 市原悟子氏(保育所所長代理) 地域とのつながり
 お母さんたちと接して感じるのは〈自分がどう見られているか〉をとても気にしていることです。・・・「あの人も一緒なんだ」と感じられる、そんな場が必要です。・・・友だちにかみつきたい子、ひっかきたい子。自分本位で、うそだってつきます。これは子どもの自然な姿です。・・・生の感情をぶつけ合って、人間同士のつきあいを築いてほしい・・・。親の言うことは聞かなくても、よその親が言えば聞くことだってあるんですよ。

18日 アグネス・チャン氏(歌手) 家庭と仕事
 女性もふんばってほしい。働き、家庭を持ち、大人としての責任を果たしながら生きる。それは人間として自由を手に入れること。がんばるだけの価値があることです。

19日 小林登氏(国立小児病院名誉院長) 〈子どもの時代〉へ
 子育てには定石はない。・・・「子育てのプログラム」といってよいものが、父親にも母親にも備わっているようです。子どもがかわいいと思う相互作用で、そのプログラムのスイッチが入る。ただ、胎内で育てはじめる母親の方がスイッチが入りやすい。

 一つひとつに対するコメントはいたしません。ただ、全体を読んだとき、私の考えるような、「自己肥大と他己喪失」に関する危機意識はほとんどないことは言えるようです。反対に、むしろ親のエゴを肥大させるような主張が目立ちます。これでは、危機はますます深まるばかりだと、心配になります。  



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