ひびきのさと便り



No.40 「倫理の鉱脈」はどこにあるか A   (2003.8.25.)

 前回は、今年の1月9日付毎日新聞の「文化 批評と表現」欄に掲載された、作家の黒井千次氏と、国際基督教大学教授(科学史、科学哲学)の村上陽一郎氏との対談を取り上げました。
 それは、「新しい倫理の鉱脈を求めて」という見出しのもとに、環境問題への取り組みが、その「鉱脈」を発見するきっかけになるのではないか、ということが話し合われたものでした。
 しかし、それは、自己・他己双対理論に照らして見れば、どこまでいっても自己に閉じた考えであって、人間性の根幹をなす他己はないがしろにされたままであり、限界に突き当たらざるを得ないものであることを、独自の時間論にふれながら考察しました。そして、絶対な境地に到達した聖人(釈尊、キリスト、老子、ソクラテスの四聖)の教えを信じ、その説くところに従って、無意識を磨き出す修行を通してしか、「倫理の鉱脈」と呼べるものには近づいていけないことを述べました。
 
 今回は、前回申し上げましたように、対談の中で話されていた、新渡戸稲造の『武士道』を取り上げたいと思います。
 『武士道』について語った、村上陽一郎氏のことばを、対談から再度引用させていただきます。

 この間、新渡戸稲造の『武士道』を学生たちに読ませてみたのですが、かなり違和感があるらしい。「武士道」という感覚は、若い人にはもう分からなくなりかけています。新渡戸がなぜ『武士道』を書いたかというと、「宗教がない日本社会で、どうして倫理が成り立つのか」と海外で言われたことがあるからです。そこで新渡戸は、宗教の役割を日本では武士道が果たしていると考えた。明治・大正までは、庶民にもそれが語り継がれてきたのではないでしょうか。(下線は筆者、以下の引用でも同じ)

 そして、私が持っております『武士道』(南原繁ほか監修,新渡戸稲造全集 第1巻所収,教文館,1983年)を読んだところ、たしかに新渡戸自身のことばとして、このことが述べられていました。
 それは、1899年に書かれた、『武士道』第1版の序文にあります、次のような文章です。

 約十年前、私はベルギーの法学大家故ド・ラヴレー氏の歓待を受けその許で数日を過ごしたが、或る日の散歩の際、私共の話題が宗教の問題に向いた。「あなたのお国の学校には宗教教育はない、と仰しゃるのですか」と、この尊敬すべき教授が質問した。「有りません」と私が答えるや否や、彼は打驚いて突然歩を停め、「宗教なし! どうして道徳教育を授けるのですか」と、繰り返し言ったその声を私は容易に忘れ得ない。当時この質問は私をまごつかせた。私は之に即答出来なかった。と言うのは、私が少年時代に学んだ道徳の教は学校で教えられたのではなかったから。私は、私の正邪善悪の観念を形成して居る各種の要素の分析を始めてから、之等の観念を私の鼻腔に吹き込んだものは武士道であることをようやく見出したのである。
 私は・・・封建制度及び武士道を解することなくんば、現代日本の道徳観念は結局封印せられし巻物であることを知った。
(全集p17、原典では旧仮名遣いですが、以下の引用も現代仮名遣いに直してあります)

 『武士道』に書かれた新渡戸の考え方を見る前に、新渡戸のプロフィールをかんたんに確認しておきたいと思います。
 新渡戸稲造という人物は、現在の五千円札の肖像になっておりますので、ほとんどの方が名前や顔をご存じのことと思います。『広辞苑』では、次のように説明されています。

 思想家・教育家。南部藩士の子。札幌農学校卒業後、アメリカ・ドイツに留学。京大教授・一高校長などを歴任。国際平和を主張し、国際連盟事務局次長・太平洋問題調査会理事長として活躍。カナダで病没。英文の「武士道」ほか「農業本論」などを著す。(1862〜1933)

 新渡戸が『武士道』を書いたのは、アメリカ留学中の1898(明治31)年、新渡戸36歳の時です。そして、ラヴレー教授と宗教の話をしたのは、執筆の約十年前とありますので、だいたい1880年代の後半、明治20年ころ、ということになります。いまからすでに百年以上前、学校で宗教教育をしない日本という国のありようが、外国からみたら非常に不可思議であった、ということがわかります。
 ちなみに、明治の教育史を少しばかり確認しておきますと、明治5(1972)年に発布された「学制」で、修身が教科として位置づけられています。その当時は、欧米の道徳書を翻訳して授業に使っていましたが、学校教育全体が知識を授けることに重きをおいていたために、さほど熱心には教えられなかった、とされています。
 修身で何を教えるか、が、はっきりと定まったのは、明治23(1890)年に、「教育勅語」が発布されてからです。教育勅語の示すところを受けて、明治37(1904)年からは、修身の国定教科書も使われるようになっています。
 明治政府は復古神道を国家の宗教とし、天皇は万世一系の現人神であって、「神聖にして侵すべからず」、と定めました。そして学校では修身を教えることにしましたし、その基礎には教育勅語があったわけですが、外国人(欧米人)にとってそれらは宗教とも宗教教育とも言えないものだったのです。
 欧米の人々にしてみれば、人間はあくまでも相対的な存在に過ぎず、絶対で、神聖なものではありません。あるいは、キリスト教の原罪思想からしますと、あらゆる人間は罪深い存在である、ということになります。そういう人間を超えたところに、神や聖書の教えがある、と信じるわけです。
 そして、当の日本人である新渡戸自身も、修身が宗教教育である、とは認識していなかったことになります。日本には宗教も宗教教育もなく、封建制度の中で培われてきた武士道こそが、日本固有の道徳原理である、と、新渡戸は考えたのです。ちなみに、『武士道』には副題がついており、それは「日本の魂 −日本思想の解明−」となっています。

 さて、それでは、『武士道』の内容の検討に入っていきたいと思います。なお、『広辞苑』にもありましたように、『武士道』はもともと、英語で書かれたものです。今回引用させていただいている教文館発行の全集版は、戦後に東大総長を務めた、経済学者の矢内原忠雄による日本語訳になっています。
 『武士道』は、序文などを除きますと、全部で17の章からなっています。各章の題は、次のようになっています。

第1章 道徳体系としての武士道   第10章 武士の教育及び訓練   
第2章 武士道の淵源          第11章 克己             
第3章 義                 第12章 自殺及び復仇の制度   
第4章 勇・敢為堅忍の精神      第13章 刀・武士の魂        
第5章 仁・惻隠の心           第14章 婦人の教育及び地位   
第6章 礼                 第15章 武士道の感化       
第7章 誠                 第16章 武士道は尚生くる乎   
第8章 名誉                第17章 武士道の将来       
第9章 忠義


 むろん、ここでの目的は、『武士道』に書かれたことを全体的に見渡すことではありません。考察の焦点を、新渡戸が、たとえば「封建制度の子たる武士道の光は・・・今尚我々の道徳の道を照らして居る」(p29)等と述べていること、すなわち、武士道が道徳を支えるものであると考えている点にしぼっていきたいと思います。

 「第2章 武士道の淵源」において、それがどこに求められるかにつき、新渡戸は次のように書いています。

 先ず仏教から始めよう。運命に任すという平静なる感覚、不可避に対する静かな服従、危険災禍に直面してのストイック的なる沈着、生を賤しみ死を親しむ心、仏教は武士道に対して之等を寄与した。ある剣道の達人〔柳生但馬守〕がその門弟に業(わざ)の極意を教え終わった時、之に告げて言った、「これ以上の事は余の指南の及ぶところでなく、禅の教に譲らねばならない」と。『禅』とは・・・「言語による表現の範囲を超えたる思想の領域に、瞑想を以て達せんとする人間の努力を意味する」。・・・その目的は、私の領解する限りに於ては、すべての現象の底に横たわる原理、能うべくんば絶対そのものを確知し、かくして自己をば此の絶対と調和しむるにある。(p35)

 この仏教に関する記述に続き、神道について述べられています。

 仏教の与え得ざりしものを、神道が豊かに供給した。神道の教義によりて刻み込まれたる主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、並に親に対する孝行は、他の如何なる宗教によっても教えられなかった程のものであって、之によって武士の傲慢なる性格に服従性が賦与せられた。(p36)

 このように並べますと、新渡戸が仏教について書いていることと、神道について書いていることとの矛盾が明らかだと思います。
 と言いますのは、新渡戸は、仏教、もしくは禅について述べる中で、その目的を、「絶対そのものを確知し、自己と絶対とを調和せしむる」ことにある、としています。相対な存在である人間が、絶対な境地に到達するといいますのは、完全で、欠けたところのない人間になることです。それは、教育基本法のことばで言えば「人格の完成」に至るということであり、自己・他己双対理論では、成長の過程で分化した自己と他己が、ふたたび統合されるということになるのです。
 仏教はこのように、絶対を確知し、絶対と調和する(一体となる)ことを教えるものであり、するとそこで、「与え得ざりしもの」を神道が供給する、というのは、非常におかしいことなのです。仏教の教えを信じ、戒律を守り、修行によって、絶対との一体感(解脱、さとり)に到達したならば、もはや足りないものはありません。神道によって供給してもらわなければならないことは、ないのです。
 これはもちろん、仏教に限らず、キリスト教にも言えることです。仏教では、絶対なる境地に達することを、解脱と言いますが、キリスト教ではそのことを、心の中に神の御国を実現する、と表現します。さらに、老子の哲学では、「無為而無不為(為すこと無くして為さざること無し)」、「無為自然(為すこと無くして自ずから然る)」と言いますし、ソクラテスの哲学では、「無知の知」を知る、ということがこれに当たります。
 この境地に達したならば、もはや他のものによって補ってもらわなければならないことはありません。新渡戸はそのことに触れかけていながら、次の段落ではそれと矛盾することを書いてしまっている、と言えます。

 ただ、解脱の境地の教えについて、何か物理的な超能力を得ることだと誤解したり、曲解したりする人も少なくありません。オカルト的な教えを売り物にする宗教団体は、そこにつけ込んで、信者を増やしたりお金を集めたりしています。それが犯罪行為として摘発されることもしばしばです。
 たとえば老子が説くところの、「無為而無不為」の意味は、「何もしないのに、しないということがない」となります。「しないということがない」という二重の否定は、「何もしなくても、すべてをしたことになる」と、肯定の言い方に換えられます。
 しかし、「何もしなくても、しないということがない」とは言いましても、それは、現実に、部屋の中で座っているだけなのに、あらゆることができる、たとえば家の外のどこで、何が起こっているのかをすべて透視できるとか、念力で物を動かしたりできるとか、といったことを指すのではありません。
 そうではなく、これは、そうした心境に至った、ということを説く、老子の自内証(じないしょう)なのです。これは、きわめて個人的な、心の中の体験ですので、その神髄をことばで理解させる(する)ことは、本来、不可能です。それは、たとえばマンゴーという果物を食べたことのない人に、その味をいろいろとことばで説明することはできても、説明だけでは、ついにその味そのものを分からせることはできないようなものです。
 「何もしなくても、しないということがない」といいますのは、たとえ何もしなくても、そのことで不満足を感じたり、不安になったり、欲望の渇きを覚えたり、悪をなしたりすることがない、ということです。しないことや知らないことがあっても、自然と生きる喜びに満たされており、「行住坐臥が法にかなう」ようになる、ということなのです。
 そして、この心境は、頭で理解したり考えたりして、到達できるものではありません。

 四聖が説いたような、真の宗教は、おのれを捨てることを教えるものです。自己への執着を離れ、自己と他己との統合が成ったときに、本当の人間の姿に立ち返って、何ものにも崩されない幸福を得ることができる、という教えです。
 しかし、新渡戸が、神道によって武士道に供給された、と述べるものは、反対に、自己への執着そのもの、と言えます。仏教がそうしたものを与えられなかった、と言うのは本末転倒で、釈尊は、そうした執着をこそ捨てよ、と説いたのです。そうでなければ、人間としての真の幸福へは到達できない、という教えなのです。
 神道が供給したとして例に挙げられています、「主君に対する忠誠」、「祖先に対する尊敬」、「親に対する孝行」は、どれも、自分の主君、自分の祖先、自分の親、に対するものです。それらによって、ごう慢な武士に服従性がそなわった、とは、封建社会の中で、うまく世渡りがしていける能力が身についた、ということです。
 つまり、すでにお気づきの方も多いと思いますが、武士道とは、封建社会という限定された社会制度、ことばを換えればあくまでも相対的な社会の中で、たくみに生き抜いていける処世術をまとめたものです。当然のことながら、絶対的で、普遍的な教えではありません。

 このことを、他の章からも見てみたいと思います。第3章は「義」について書かれていますが、その中で新渡戸は次のように述べています。 

 義は武士の掟中最も厳格なる教訓である。・・・
 義と勇とは双生児の兄弟であって、共に武徳である。併(しか)し勇について述ぶるに先だち、私は暫く『義理』について述べよう。之は義からの分岐と見るべき語であって、・・・『義理』という文字は「正義の道理」の意味であるが、時を経るに従い、輿論が履行を期待する漠然たる義務の感を意味するようになったのである。その本来の純粋なる意味に於ては、『義理』は、単純明瞭なる義務を意味した・・・。・・・『義理』は義務である。何となれば義務とは「正義の道理」が我々に為すことを要求し、且つ命令する処以外の何物でもないではないか。「正義の道理」は我々の絶対命令(カテゴリカル・インペラティヴ)であるべきではないか。
(p43)

 しかし、「正義の道理」たる「義理」には、すぐ限界が露呈することを、新渡戸は次のように説明します。

 ・・・我々の行為、たとえば親に対する行為に於て、唯一の動機は愛であるべきであるが、それの欠けたる場合、孝を命ずる為めには何か他の権威がなければならぬ。そこで人々はこの権威を『義理』に於て構成したのである。彼等が『義理』の権威を形成したことは極めて正当である。何となれば若し愛が徳行を刺戟するほど強烈に働かない場合には、人は知性に助けを求めねばならない。即ち人の理性を動かして、義(ただ)しく行為する必要を知らしめねばならない。・・・『義理』をかく解する時、それは厳しき監督者であり、鞭を手にして怠惰なる者を打ちてその仕事を遂行せしめる。『義理』は道徳に於ける第二義的の力であり、動機としては基督教の愛の教に甚だしく劣る。・・・私の見る処によれば、『義理』は・・・人為的社会の諸条件から生れ出たものである。正にこの人為性の故に義理は時を経る中に堕落して、此の事彼の事−−−例えば母は長子を助ける為めに必要とあらば他の子供を皆犠牲にせねばならぬのは何故であるか、若くは娘は父の放蕩の費用を得る為めに貞操を売らねばならぬのは何故であるか等々を、説明したり是認したりする時に喚び出される漠然たる妥当感となったのである。私見によれば、『義理』は「正義の道理」として出発したのであるが、・・・「義しき道理」より以上若くは以下に持ち行かれる時、義理は驚くべき言葉の濫用となる。それはその翼の下にあらゆる種類の詭弁と偽善とを宿した。若し鋭敏にして正しき勇気感、敢為堅忍の精神が武士道になかったならば、『義理』は容易(たやす)く卑怯者の巣と化したであろう。(pp43-44)

 いっぺんに長い引用となってしまい、恐縮です。
 すなわち、新渡戸によれば、「義」や、それから出た「義理」は、厳格で、絶対的な命令でありながら、「愛」に比べれば第二義的で、人為的である、ということです。そして、そのために「義理」は、世間で人々の都合のいいように濫用されるのであり、武士道のもつ、鋭敏で正しい勇気や、敢為(かんい=物事を押し切ってすること)堅忍(けんにん=しんぼう強くがまんすること)によって、その状態を克服できる、と述べられています。
 この後さらに、先ほどあげました、「仁・惻隠の心」「礼」「誠」「名誉」「忠義」といった徳目が、順に説明されていくわけです。

 武士道が、世の中を渡っていくための処世術である以上、それは、時間的、空間的な制約をもった、相対な考え方に過ぎません。ですから、新渡戸は、「義」や「義理」が人為的だと述べて、その限界を指摘しますが、そう言うのならば、「勇」も「仁」も「礼」も「誠」も、みな同じ限界をもっているのです。ですから、そうした徳目を集めた、武士道そのものが、人為的なるものという限界を克服できません。
 先に引用した中で、新渡戸は、「行為の唯一の動機は愛であるべきである」と述べていますが、その愛が欠けた場合には、知性や理性でその欠如を補わなければならない、としています。
 しかし、そこにこそ、義理が単なる言葉の濫用に堕落してしまう、決定的な原因が存在していると言えるのではないでしょうか。「唯一の動機」たる愛を、他のもので代用させるといいますのは、あまりにも矛盾しています。
 結局、新渡戸の考えが、もちろん1つの著作としてまとまってはいますが、そこにあげられた徳目が、人間精神のあり方と、どのように関係づけられるのかという、構造的、体系的なものではなく、「論理のための論理」とでも言わなければならないような記述になっていると思います。ある特定の時代や、特定の地域や場面に通用するものではあっても、人間が生きていくことの普遍的な原理にはなり得ません。

 老子も、新渡戸が『武士道』で取り上げたような徳目について、説いています。それは、次のようなものです。

 大道が廃れて、仁義がある。(『老子』第18章)
 道を失って而(しか)る後に徳あり。徳を失って而る後に仁あり。仁を失って而る後に義あり。義を失って而る後に礼あり。(同第38章)

 第38章の最後にあげられています「礼」は、現代の心理学用語では、「社会的技能(ソーシャル・スキル)」と呼ばれるものです。人間は、心がともなっていなくても、表面上は礼儀正しくとりつくろって、世の中をうまく渡っていくことができます。「慇懃(いんぎん)無礼」と言われるようにです。その場その場がしのげればいいわけで、言動が一致していなくてもどうにかなることがしばしば起こります。人間性が一貫していなくてもいいのです。そして、他者にこころを閉ざし、自分を守ることばかりに汲々とするようになってしまいます。これは、他己を宿しているという、人間本来のあり方からは、遠くへだたった姿です。
 礼が行われる前には、義があると言われています。新渡戸は義を、理性や知性によって作り出された、人為性を帯びたものとしています。この義は、自己・他己双対理論で言いますと、「たましい」(自我−人格)と「あたま」(認知−言語)で作り出す建て前です。ただの理屈に過ぎません。しかし、主義として理屈をかかげ、その通りに守ろうとすることは、その場しのぎの礼よりはよいと言えます。キリスト教では、この義は、律法ということになります。
 次に、義の行われる前は、仁です。これは、「たましい」と「こころ」(情動−感情)で作り出す価値で、自分を抑え(統制し)て、他者をたてる(尊重する)ことです。キリスト教で言えば、これは愛です。自分を抑え、自分を捨てて、他者を愛することを、キリストは、繰り返し説いています。また、儒教の祖である孔子も、この仁を、自分の教えの中心に据えました。ちなみに、『武士道』では、全編にわたって、儒教の教えが、仏教、キリスト教、老子の哲学、ソクラテスの哲学などよりも、ずっと重んじられていると言えます。 
 そして、仁の行われる前は、徳ですが、これは、仁、義、礼が、意識のレベルで実現されている状態です。意識レベルで実現されているといいますのは、本当にそうできているかどうか、常に反省し、評価されなければならない、ということでもあります。人間として正しく、人生の目的にあった行動がなされているかどうかを、自分にフィードバックして監視するシステムが必要なのです。それを担うのは「たましい」です。
 キリスト教で言えば、パウロは、この徳の水準にあったのではないかと思われます。しかし、この段階は、パウロ自身のことばにありますように、「精神には神が宿っているのに、肉体には悪魔が宿っている」という限界を含んでいます。つまり、意識的には、欲望を滅しよう、執着を捨てよう、他者の心を感じ、他者のために生きよう、など、一生懸命に努力して、そのほとんどが実現されることはあり得ます。しかし、こころが勝手に動き回ってしまい、実際の行動において、過ちを犯してしまう危険性から、完全には逃れられません。いつでも厳しく自分に反省を迫りつつも、悪を為してしまうかもしれない危うさを抱えている、と言えます。逆に言えば、その点を克服できないために、いつでも厳しい反省が必要なのです。あるがままでいながら、しかも、決して悪を為すことがない、そうなれるためには、次の段階がいるのです。
 それが、道を体得して、「無為自然」あるいは「無為而無不為」の境地にいる、ということなのです。キリスト教ではこのことを、心の中に神の御国を実現する、と言いますし、有名な「山上の垂訓」では、「あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい」と説かれています(マタイ福音書第5章48節)。
 これは、自己・他己双対理論では、無意識の自己である煩悩蔵識と、無意識の他己である如来蔵識との統合がとれている状態です。そして、この状態は、無意識の世界でのことですので、意識してではなく、逆にそうしたはからいを捨て、ひたすら修行することで、はじめて出来ることです。
 こうなったとき、教育基本法のことばで言えば、人格が完成し、あるがままでありながら、決して間違いを犯すことがなくなります。好き嫌いや、差別の心がなくなり、初対面の人とでも、何十年来の知己のように、胸襟を開いて話すことができるのです。もし、他者が悲しみをもっていれば、その悲しみを吸収し、自分の発する喜びで他者を満たすことができます。
 新渡戸が述べたように、義理によってむち打たれなければできない、ということがなくなります。わざとではなく、ごく自然にしていて、あらゆる人にこころを開き、こころを通じ合わせることができるようになります。そして、「行住坐臥が法にかなう」と言われるようになるのです。
 意識レベルの道徳を言っただけでは、この状態に達することができません。武士道には、そういう意味で、根本的な限界が存在しています。残念ながら、新渡戸はこの限界を自覚していなかった、と言わざるを得ません。

 村上氏は、黒井氏との対談の中で、いまの学生たちは「武士道」にかなり違和感があるらしい、そういう感覚はもう分からなくなりかけている、と述べています。現実には、「分からなくなりかけている」どころではなく、まったく共感できず、むしろ積極的に否定するのが、ほとんどの人の姿だと思います。
 新渡戸があげたように、主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝行などが、武士道では重んじられますが、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」(世界人権宣言の第1条)と主張する現代の民主主義と、そうした封建的な徳目とは、相容れるところがありません。
 ただ、互いに反するとは言え、この2つの立場は、どこまでも自己の拡張を目指し、その一方で他己の縮退を生じさせるということにおいて、いわば同じ土俵の上で争っているようなものです。
 武士道や封建制度では、「滅私奉公」ということばがありますように、おのれの命を賭けて主君に尽くすことが求められますが、それはあくまでも「自分の主君」に対する忠誠心で、反対給付として与えられる出世を求めての行為です。主君に自分を認めさせ、引き立ててもらうためであれば、それ以外の他者など、平気で手段や道具と見なし、利用します。
 ですから、自分がのし上がっていく上で、より有望と思われる武将が他にいれば、さっさとそちらに乗り換え、それまで忠誠を誓ってきた主君であっても、あっさり見限ったり裏切ったりすることも起こります。義は口先だけの建て前にすぎず、礼をうまく使いこなして、世の中を渡っていくわけです。
 民主主義社会は、見かけ上は封建社会と異なっています。主君に仕え、服従することで自己拡張をはかるのではなく、反対にいっさいの権威を否定して、1人ひとりの個人こそ、侵すことのできない自由と尊厳を有しているとするのです。
 そこでは、個人が、それぞれの良心に基づいて考え、判断し、その各々に、善悪や真偽の区別はありません。他人の権利を侵害する者は、法律によって罰せられますが、その法律も、より多くの人の権利や利益を守ることを目指すものであるという点で、流動的であり、相対的です。いつでもひっくり返る可能性があります。たとえば、かつては、親や祖父母などの尊属を殺傷した場合、他人へのそれに比べて重い罪が科せられたのですが、昭和48年の最高裁判決によって、その「尊属殺重罰規定」は憲法に違反する、とされたようにです。親子や家族という血縁関係も、個々人の権利や利益を最大限に保障するという、民主主義の考え方によって、都合のいいように解釈され、あるいは利用されるのです。
 必然的に、法はないがしろにされ、倫理は廃れ、伝統は消滅し、社会がバラバラになって人々が孤立していきます。そういう中で、個人がそれぞれの能力によってサバイバルしていくことを良しとするわけです。現代のグローバリズムや、市場原理至上主義では、まさにそうなっています。戦国時代における、弱肉強食、下剋上の世界と、何ら変わるところがありません。

 毎日新聞での、村上氏と黒井氏の対談は、現代社会のあり方に対する危機感に基づいていると思うのですが、残念ながらその危機感は、危機の本質に迫っていないと言わざるを得ません。
 前回、すでに引用させていただいたところと重複しますが、村上氏が『武士道』について話す前に、黒井氏は次のように述べています。

 僕は敗戦の時に中学1年だったのですが、思い返すと、封建的なものは駄目でデモクラシーでなければいけないというのが戦後民主主義のスローガンでした。あの時に否定したものを見直さないと、いろいろなことが分からないと感じているのです。 

 つまり、戦後に否定したもの=封建的なものにも、残すべき、尊重すべきものがあったのではないか、ということだと思います。
 これを受けて、村上氏は『武士道』について述べた後、さらに次のように言っています。

 ・・・罪は我々にあると思ったんです。我々は上の世代から(武士道について)聞かされましたが、それを本気で語り継いでこなかった、と。

 しかし、封建的な考え方を語り継ぐことは、時代の雰囲気からして難しかったし、誤解される危険性もあった、その誤解はいまもされ得る、という点で、お二人は合意しています。そして、新たな倫理を確立していく上で希望を感じられるのが、環境問題への取り組みではないだろうか、と語っているのです。
 つまり、もし、戦後も、封建的な考え方を語り継いでくることができたならば、日本は今のようになりはしなかったのではないか、幸せの意味が分からなくなり、倫理を失い、一体どうすればいいのかと途方にくれるような状態に落ち込まずに済んだのではないか、ということです。そして、日本人の現状を見ると、いまさら封建的な武士道を復活させることはできないので、その代替として、環境問題ならば、そこに多くの人の共感や協力を結集することができそうで、そこに人類の新しい倫理の可能性がある、という提案がなされているのです。

 いま、世界的な広がりを見せている環境保護活動も、その多くが、人間の利益をどこまでも追求しようとする欲求に動機づけられたものであり、つまりは他己を欠いた、自己肥大の原理で動いているものです。このことは、前回に考察したとおりです。
 封建主義と武士道はもはや通用しないので、今度は環境問題で行こう、といいますと、いかにも「こちらがだめならあちらがあるさ」といった、お手軽な発想に見えるのですが、現実に、有識者と呼ばれる方々から出される提案が、こう言っては失礼ながら、その程度のものになってしまっているのです。
 これは、ほとんどの現代人が、他己を失い、自己に閉じているためですし、現代人の考え方を支えている民主主義制度や、従来の哲学も、みな、自己原理でしかないためだと言えます。宗教すらも、かなり以前から自己化が進んできています。日本の仏教で考えますと、だいたい、平安後期に阿弥陀信仰が普及したころ、および、鎌倉仏教が成立したころ、すなわち今からおよそ千年ほど前から、非常に長い間に渡って、人々の信仰心が、自己化の一途をたどってきた、と考えられます。現世利益や、極楽への往生という、信仰への褒美を要求する、取引としての宗教になってしまった、ということです。
 それでも、江戸時代までは、いちおう、人々の生活の中に、仏への信仰は浸透していたと言えます。しかし、明治時代になり、国策として皇国史観と復古神道が採用されたこと、そして太平洋戦争での敗戦にともなって、政教分離や宗教教育の禁止が徹底されたことという、2つの出来事をへて、日本人は完全に、宗教と信仰心を喪失しました。
 そして、個人の自由と権利を最大限に保障することを謳う民主主義を、アメリカから直輸入しましたが、そうした自己原理を超えて、人間の人間たるゆえんである他己を支える思想(欧米ではキリスト教)は、何もなかったのです。

 現代社会に蔓延する、さまざまな、解決がきわめて難しい問題は、そのほとんどすべてが、人々の自己肥大と、他己萎縮を、共通の根としています。ですから、それらを解決し、社会を変え、人間としての本当の幸福を実現していくためには、自己を抑え、他己を回復し、その両方の統合がとれるようにしていかなければなりません。それは、1人ひとりの自覚と努力にまつしかないものです。
 そして、その自覚も、努力も、相対な人間を超越した、絶対な境地からの教えを信じ、謙虚に従っていこうとする心のないところには、成り立ちようがありません。この信仰心をもつことは、ある意味で非常に難しいと言えますが、前回の終わりにも申しましたように、「倫理の鉱脈」は、ここにしかないのです。




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