ひびきのさと便り



No.42 「摂食障害の増加傾向」   (2005.1.19.)


 このところ摂食障害(拒食あるいは過食)が増えているようです。山陽新聞にも「再考 食、からだ」というシリーズものに、六回にわたって摂食障害が取り上げられていました。
 その五回目(平成16年11月6日付け)は、「家族の特徴」と題するもので、摂食障害を生む家族の特徴が検討されていました。その出だしは、次のようなものです。

 「 『摂食障害と家族』というテーマでは、これまでにも多くの仮説や研究が出されています。有名なところでは、米国の精神科医・ミニューチンが、摂食障害の家族の特徴として@家族同士の心理的な距離が近い、A親が過保護で子どもの自律性が育ちにくい、B意見の違いを認識しないようにし、葛藤を避ける、C家族のかかわり方のパターンに固執し、変化を必要とする事態に対応できない、D両親間に葛藤があり、子どもを巻き込む形で葛藤を避けようとする−を挙げています。」

 しかし、この記事を寄せた大田順一郎氏(岡山大学医学部歯学部付属病院精神科神経科助手)は、この節には賛成できないようで、次のように述べておられます。

 「でも、私は摂食障害の原因を家族関係や母子関係に求める説を、どれもこれも信用しないことにしています。摂食障害の家族に何か特徴があるとしたら、それはこの病気の原因ではなく結果だと思っています。」

 実は、この摂食障害のことをこの随筆選で取り上げようと思ったきっかけは、この方のこの部分の文章を読んだことにあります。(一口言わせていただきますと、この方は、原因と結果を取り違えて考えておられるようです。)
 そして、調べてみますと、摂食障害は、心理的要因が重要なのに、その解明が殆どできていないということが分かったのです。それがこの随筆を書く動機となったというわけです。
 さて、「摂食障害の原因を家族関係や母子関係に求める説を、どれもこれも信用しない」という点について、コメントしておきたいと思います。
 人間の性格や行動は、生まれつきの素質(脳細胞を始めとする体細胞)によるとする考え方が、心理学者の中にもあります。それは。これまでも「素質か環境か」あるいは「氏か育ちか」という形で議論してこられましたが、いまは、「素質も環境も」という、極めて曖昧な考え方に落ちついています。
 私の考え方は、どちらかと言いますと、環境優位に傾いています。相対的な存在である人間は、環境によって他のどの存在よりも大きく左右されるからです。
 最近、テレビなどで血液型による性格の違いが、おもしろおかしく取り上げられていますが、これも人の性格が「素質」(しかも「物質」)によって決まるとする説に与(くみ)するものと言えます。私からみますと、極めて馬鹿馬鹿しいと思えるのですが。
 科学は、理性による「分析」を目指していますので、どうしても、「精神の営み」の説明原理をより下位の「生命の営み」や「物質の営み」の説明原理に還元したがるのです。チンパンジーの子育てを見習えとか、物理学的な「場の理論」が、人間の精神現象にも当てはまるとする「ゲシュタルト心理学」の理論などがその例です。
 何度も述べてきましたように、精神には精神固有の働きがあり、それに固有な説明原理があることを忘れてはなりません。
 話が少しそれたようですが、主として生物学的な教育を受けてこられた医師の通弊なのですが、人間固有な精神的、ありは環境的な働きを軽視する傾向があるのです。
 この方も、摂食障害をその人のもつ遺伝的な体質か、あるいは生物学的な何かで、起こるものと考えておられるのではないでしょうか。前述の文章は、こんなことを考えさせる文章のように思えるのです。
 人間は、他のどんな動物よりも、「飛躍」的に可塑性を増大させて進化しました。それは、他己が自己から分化することで達成されたのです。つまり、他の動物にはない、「他己」という精神の働きを得ることで、他者の影響を強く受けることになったのです。ですから、摂食障害の原因を家族関係や母子関係(一般化して言えば社会関係)に求める説を信じるも、信じないもないのです。それが、決定的に重要な要因であると言えるのです。
 私は、十数年前だったでしょうか、あるアルコール依存症の方の見舞いに精神科の病院を訪れたことがあったのですが、その時、たまたま数人の摂食障害の入院患者(若い女性)と話す機会がありました。その人たちとの話の中で、私は、この人たちには「自己」が育っていないという感じを得ることができたのです。今回、改めて摂食障害のことを、この新聞記事だけではなく、書庫にありました数冊の本やインターネットのホームページで調べてみました(余談ですが、摂食障害で「検索」しましたら、十二万件という多くがヒットしました)が、この障害が、やはり「自己」の発達不全に起因することを再確認しました。
 では、どんな影響で自己が十分育たなかったのでしょうか。論文ではありませんので、細かい点は省きますが、自己が育つには、子ども自身が「自由」に発想・着想し、「自由」に行動を為し、それを親が愛情をもってサポートする必要があるのです。それは、親が示す、子どもとの「情動の共有」によって、つまり、子どもの悲しみを我が悲しみとし、子どもの喜びを我が喜びとすることで、達成されます。言い換えますと、親が「子どもの心を感じるこころ」を豊かに持ち、子どもの主体性を十分に認め、それを尊重してやることなのです。情動の共有と言っても、子どもに、「親の心を感じるこころ」を持てと、強制することではありません。「自己」の発達不全の子どもは、多くは、とても親に依存的です。親の情動を一方的に子どもが共有して、親に依存しているのです。親の情動を子どもが共有することも、勿論、必要なのですが、それは、親が子どもの情動を共有することなくして、そうであってはなりません。共有とは、根本的に相互の関係を言う言葉なのです。
 親が子どもの主体性を無視する傾向は、親が子どもをペットのように過度に可愛がる、いわゆる過保護的な養育態度をとる場合や、子どもを自分のロボットのように思いどおりにさせる、いわゆる過干渉的な養育態度をとる場合に、起こりやすいものなのです。
 こうして「自己」が発達不全をきたすということは、それと対をなす「他己」が優位になっているということを意味します。それは、自己のわがままを主張するよりも「人の心を感じるこころ」を優先させることであり、規則を重んじる傾向(規範性・倫理性・道徳性)の優位なのです。
 摂食障害を起こす子どもに共通な性格特性として、真面目、完全主義、几帳面、努力家、傷つきやすくいつも人に気を使う、自己主張が少ない、他者に依存的、などが挙げられますが、これらは、いずれも他己の優位を示す性格・行動特性と言えるものです。
 では、自己が弱いとなぜ摂食障害になるのでしょうか。詳しい説明がないと、お分かり難いかも知れませんが、私の発達理論では、個人差はありますが、大体十歳前後ぐらいから発達のベクトルが他己から自己に向かいます。そしてその方向が結婚する頃まで続くと考えています。
 この期間の心理的な特徴としては、関心が他者から自分に向かうようになることが挙げられます。そうなりますと、自分の主体性を確立したがります。そして、自分はどんな人間であり、自分にはどんな個性があるのか、何が好きで、何が嫌いなのか、何が得意で、何が不得意なのか、そして、何を職業にすべきなのか、など自己像を確立したがる時期なのです。
 ところが、摂食障害になる女の子(男の子は少ない)は、関心が自分に向いてきても、自己が発育不全ですので、確立すべき自己が「空虚」で「スカスカ」していると感じるのです。そうなりますと、今や自分が主体的に自由になるものとしては、食欲を充足させる方法ぐらいしかない、ということになるのです。
 そして、多くの摂食障害は、拒食症からはじまるものですが、それは、彼女らが持っている「やせ願望」あるいは「肥満恐怖」が、実は、彼女らの強い規範意識(価値観)に合致しているからなのです。
 この二つの要因、「自己の発達不全」と自分が唯一自由にできる「規範意識に合致するやせ願望の実現」とが、摂食障害を促進させることになっていくのです。
 拒食症から発展することの多い過食症は、「食べるように」という周囲からの強い説得とわき出てくる食欲とで、過食(どか食い)に走ってしまうのです。でも、それは、初期の目的からしますと、自分の敗北ですので、食べますが、嘔吐したり、下剤で下したりするのです。
 拒食症の時期は、やせていても自分の願い通りであり、ある意味で自分の勝利ですので、生活は生き生きとして活動的・適応的なのです。(皮肉にも、人間としての生命存続からいえば不適応的。実は、自己の根源は生命力なので、弱い自己に「適応」することは、生命を危うくする道でもある)。
 ところが、過食症の時期は、一時的に太ってきて、周囲(親)にとっては適応的なのですが、でも自分にとっては敗北ですので、多くの問題行動を起こすことになるのです。過食を隠しますし、精神的にとても不安になったり、情緒的不安定になったりします。そして、うつ病に陥り(一時的に自己が弱いとそうなり易い)、死にたいと思ったりするのです。あるいはまた、家庭内で暴力的になったり、過食のための万引きをすることもあり、性的放縦に走ることもあります。また、うつ状態から、家庭内に引きこもりがちとなり、登校拒否・出勤拒否となったりします。このように過食期には、さまざまな問題行動が起こってくるのです。
 ところで、出だしに引用しました「米国の精神科医・ミニューチン」の「摂食障害の家族の特徴」のことですが、少し検討しておきたいと思います。
 まず、第一の「家族同士の心理的な距離が近い」という点ですが、親が(特に母親が)過保護で過干渉的な養育態度をとっていますと、当然、心理的な距離は近いと見えると思います。
 第二の「親が過保護で子どもの自律性が育ちにくい」という点ですが、これは、まさにこれまで指摘した通りです。
 第三の「意見の違いを認識しないようにし、葛藤を避ける」という点ですが、摂食障害の子は従順で、よい子のことが多いのですが、それは、子が親の意見に従い、葛藤を避けようとしているからなのです。
 第四の「家族のかかわり方のパターンに固執し、変化を必要とする事態に対応できない」という点ですが、過保護や過干渉な養育態度をとる親は、エゴが強く、自分の行動傾向に固執する傾向が強いのです。その結果、こういうことになるのです。
 第五の「両親間に葛藤があり。子どもを巻き込む形で葛藤を避けようとする」という点ですが、子が従順で、よい子であることをよいことに、子に愚痴をいうことで葛藤をさけようとするのです。
 ここで、付随的なことですが、なぜ摂食障害が女子に多いのかですが、それは、男性が自己優位なのに対し、女性は他己優位な存在だからです。余談ですが、自閉症が男性に多いのは、それが、他己の障害だからです。
 最後に、治療法について触れておきたいと思います。
 前述しましたように、摂食障害は、大きく言えば、「社会関係」の中で起こってきます。発展途上国ではなく、発展国(先進国)に特有な社会関係の中で起こっているのです。
 では、発展国に特有な社会関係とは何なのでしょうか。
 それは、経済的豊かさと、その豊かさを支える、自由・民主主義の保障する徹底した「エゴ追求社会」のそれなのです。日本が浸かっています、こうした社会では、「他己の確立」ではなく、「自己の確立」のみが求められているのです。ですから、自己が発育不全ですと、自己を確立する時期(十歳前後〜結婚まで)に必然的に困難に直面してしまうことになるのです。そして、その困難は経済的豊かさの故に、摂食障害として現れてくるのです。
 こう考えますと、治療法の根本は、エゴ追求社会を是正することなのですが、それを個人的に解決することは不可能ですので、まず、取り敢えずは、個人を社会に適合させることが必要になるのです。
 それは弱かった自己を育てることなのですが、具体的に言いますと、一つは、強い規範意識を弱めること、もう一つは、愛玩動物やロボットではなく、自らの主体的意識をもった一人の人間として扱うことです。
 そのためには、親が、自分のエゴからではなく、自分を捨てて、つまり、家や世間体や子への期待(ペットやロボットの役割期待)を捨てて、子どもを絶対的に受容しなければなりません。条件付きではなく、絶対的に愛さなければならないのです。ということは、この治療には、家族の参加が欠かせない絶対的な条件になるということです。
 何年か前、ある精神病院で十年間摂食障害で苦しんできた、二十歳の極端にやせた患者さんに出会いましたが、私の直観では、親がじっと抱きしめる以外に治療法がないように感じました。そして、ここまで追い込んできた、心理臨床家や医師の無力さを感じずにはいられませんでした。その体験が、この随筆で摂食障害を取り上げる遠因にもなっているのです。


※今回は『こころのとも』第十六巻一月号の自作随筆選「摂食障害の増加傾向」を、内容の緊急性が高いと思われましたので、ここで特別に掲載しています。


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