ひびきのさと便り



No.6 心の理論と「こころ」の意味 (中四国心理学会の発表より・U) ('01.12.6.)

 「心の理論(セオリー・オブ・マインド)」というのは、アメリカの2人の学者、D・プレマックとG・ウッドラフによって、1978年に提唱された、比較的新しい心理学の考え方です。このふたりは、チンパンジーの生活を観察していて、チンパンジーが仲間の「心」を推測しているように見える行動を示すことなどから、チンパンジーが、自分以外の存在者に「心」があることをわかっているかどうかを、いろいろな実験で調べました。その結果、チンパンジーは仲間や人間が何を考えているのか、ある程度は推測できるらしいことが確かめられ、「チンパンジーには『心の理論』があるか?」と題した論文において、「自己および他者の目的・意図・知識・信念・思考・疑念・推測・ふり・好みなどの内容が理解できるのであれば、その動物または人間は『心の理論』を持つ」と述べたのです。
 プレマックはその後も研究を続け、1988年に発表した論文の中では、動物の心の理解の段階を、@どんな種類の「心の理論」も持たない動物(大部分の動物)、A「心の理論」を持つが、それに限界がある動物(チンパンジーなどの類人猿)、B「心の理論」を無制限に持つ動物(4歳以降の人間のみ)、の3つに分類しました(子安増生:「心の理論」の特集にあたって,心理学評論,40巻1号,pp3-7,1997年、等を参考にしました)。
 このことからもわかりますように、心の理論研究は、類人猿から始まって、一方ではより下等な動物へ、また一方では人間の心理学へ対象を広げていきました。特に、人間への応用については、1980年代に、乳幼児の発達心理学や、自閉症を中心とした障害児心理学においてブームと言ってよい状況となり、それが今日まで引き継がれています。さらに、ごく最近の日本では、いわゆる「キレる子ども」が問題になったり、先週ご紹介したLDやADHDが知られるようになったり、いじめ・不登校・学級崩壊・引きこもり・児童虐待等々、さまざまな出来事が起こったりして、それらは、子ども時代から心の理論が正常に発達してこなかったせいではないか、というようなことが言われ、そうした危機的状況に対する処方箋として、心の理論がかなり期待されている面があります。
 心の理論とは、簡単に言えば、自分や他人の心の状態を推測できる能力です。その能力は、いくつかのテストによって調べられます。有名なものに「誤信念課題」というのがあって、これは何かと言いますと、まず、検査者と子どもが向かい合い、検査者は子どもにポッキーなどの、子どもがよく知っているお菓子の箱を見せます。検査者が子どもに、「これに何が入っていると思う?」と尋ねると、たいていは「ポッキー」とか「お菓子」とか答えます。そして、箱を開けると、そこには鉛筆などの違う物が入っているわけです。続いて子どもに、「あなたのお友だちの〜ちゃんにこの箱を見せたら、何が入っているって言うかな?」と訊きます。その友だちは、箱の中身が鉛筆であることをまだ知らないわけですから、「ポッキーが入っているって言うと思う」と答えられたら正解です。
 幼児を対象にこのテストをすると、3歳くらいの子どもは、「お友だちは鉛筆が入っているって言う」と答えます。つまり、自分が「入っているのは鉛筆だ」ということを知っているので、自分が知っていることは友だちも知っているはずだと思っているわけです。「ポッキーの箱だから、入っているのはポッキーに違いない」という、友だちの「誤った信念」を推測することができず、したがって3歳くらいの子どもでは心の理論が働かないと考えられるのです。4歳を過ぎるくらいから、「お友だちはポッキーが入っている、って言う」という「正答」を言える子どもが出て来はじめ、6歳頃になると、ほとんど全員が、友だちの誤信念を指摘できるようになると言われています。
 こうしたことから、健常な子どもでは、4歳から6歳頃に、脳内の、心の理論に関係する神経回路、より専門的には「モジュール」と言われますが、そうした機能が働きはじめるのだと考える研究者がいます。つまり、6歳を過ぎても他者の心を推測できないのは、心の理論のモジュールが欠落しているか、故障しているか、働きが悪いのだ、と言うわけです。そして、生得的にこのモジュールに問題があるのが自閉症児だという考えがあり、この説はいまでも根強い支持を集めています。
 この考え方からすると、他者の心がくみ取れるようになるためには、練習や訓練などによって、モジュールの働きを良くすればいいということになり、実際、自閉症児に対して心の理論課題に正答できるような教育がおこなわれることがあります。

 さて、心の理論と呼ばれる働きは、心理学的に見て何であるのかということを、プレマックの定義以上にはっきりさせたいと思います。「人間精神の心理学モデル」で、「こころ」と名付けているのは、意識の基礎にある情動−感情機能です。このこころは、生まれた時にはすでにほとんど完成していて、発達につれて出来ることが増えるということはありません。特に、他己に属する感情機能は「人の心を感じるこころ」であって、動物にはない人間独自の働きですし、やさしさや思いやり、愛情などは、能力の有無や高低、優劣で論じられるものではありません。したがって、心の理論は、情動−感情機能には相当しません。
 心の理論は、他者の心を推測、より心理学的な言い方にすれば「認知」できる働きですが、この場合の認知は、単に「あの人はこう考えている」という「一次的」なものに限らず、「別の人の考えを予想している、ある人の考えを推測できる能力」といったように、「二次的、三次的・・・n次的」な認知能力が想定されています。先に紹介した「無制限な心の理論」というプレマックのことばは、こういう意味です。
 これは言い換えますと、構造的な認知能力ということになります。精神機能の中で認知を構造化する働きはどこが担っているかと言いますと、学習障害の時にもいちばん中心になりました、自我−人格機能です。つまり、心の理論と言われるものを心理学的に位置づけるならば、自我−人格機能がそれに相当すると言えるわけです。

 これまでの研究から、心の理論の能力は4歳〜6歳のころに現れると言われてきています。自己・他己双対理論に基づいた発達理論*によりますと、人間の精神は、おもに自己が充実する時期と、他己が充実する時期とを交互に通りながら成長していきます。生まれてから7〜9か月ころまでの乳児期は、最初の自己期です。その後2〜3歳ころまでは他己期になります。それを過ぎると、ふたたび自己期になりますが、そのころはいわゆる「第一反抗期」に相当します。自己に強く関心が向いていて、自分と他者の両方を客観的に見ることができません。ですから3歳のころは、「誤信念課題」などを問われても、正しく答えられないのです。
 4歳を過ぎる頃から、精神の成長はもういちど他己の充実に向かいはじめます。そして、6歳頃までの間に、自我−人格機能がしっかりと働くようになるのです。こう見ると、心の理論研究で言われてきたことと、自己・他己双対理論に基づく精神発達理論で考えられることとが、ちょうど一致していることがおわかりいただけると思います。

 ここで注意していただきたいのは、自我−人格機能もまた、情動−感情機能と同じように、能力の観点で捉えられるものではない、ということです。自我−人格機能は、自分が「かくありたい」と思う方向に、すべての精神機能を動員し、統制・制御し、その通りに実行されたかどうかをモニターし、評価します。「かくありたい」と思う内容には、自分の欲求や希望がありますし、それだけではなくて、他者や社会の期待・要請に応えようとするものもあります。自己と他己とのバランスがはかられているわけです。
 自我−人格機能は、情動−感情機能と非常に強く関連しながら働いています。そして、よりよい人生を願って生きようとしたり、生きている幸せを実感できたりする自我−人格の働きは、能力の高低や優劣で論じることはできません。自我−人格の豊かさとは、他の精神機能領域の高まりが反映されたものです。したがって、学習や訓練で、自我−人格機能自体が直接たかまるということはないわけです。
 これまで、心の理論とは、能力、もっとくわしく言えば認知能力であると考えられてきています。しかし、そのように、人間の精神を何でも能力の観点から見るだけでは、心理学や教育学は非常に貧困なものになってしまいます。いま、現にそうなっているように見受けられます。自分勝手な子は、心の理論が壊れているか、スイッチが切れているので、トレーニングして動かしてやればいい、もしこういう考え方が横行するのであれば、そのどこに人間らしい心の響き合い、「響育」があるのでしょうか。厳に戒めなければならないと思います。

 自閉症児でも、10歳を過ぎた頃から、簡単なものであれば心の理論の課題を通過できる子が現れてくると言われています。そうすると、自閉症では心の理論のモジュールの立ち上がりが遅いと考えられるのです。
 自閉症児も、知的な能力の発達によって、認知−言語機能で対処できる、わりあい単純な社会的場面であれば、解決できるようになります。しかし、自閉症は、精神の基礎、そのうちでも他己モーメントの感情機能が生得的に障害されているのが本質です。したがって、ここと密接不可分な関係にある自我−人格機能が十分に働くことは非常に困難であると考えられるわけです。
 認知−言語機能を高めて、社会適応が可能になればこと足れりとするような教育のあり方では、障害の本質を完全に見誤っています。先週、学習障害児の話でも同じことを申し上げましたが、自閉症児は、自らが障害を負うことで、感情機能、「人の心を感じるこころ」の大切さを、われわれに訴えているのです。こころの荒廃が進む人間社会に、仏が遣わした使者だと、私は考えています。能力概念に安住して、弱肉強食、優勝劣敗を是とするのが現代社会ですが、それは人間の本質に反しているのだという警鐘を、鳴らしているのです。


* 中塚善次郎(1996) 自己・他己双対理論に基づく人間精神発達理論 −Stern理論の検討による細密化−,鳴門教育大学研究紀要,11,309-331.



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