向山洋一教育実践原理原則研究論文/ 各学年 /やんちゃ坊主
          

 「やんちゃ坊主」は受容と傾聴で

  岡山県津山市立北小学校    岡田健治

 教師が、子ども達に何かをさせるために指示をしたとする。すべての子ども達が集中して取り組めばいいのだが、決まって一人や二人、「オレ、やりたくねー!なあ、みんな!」と言う子もいるものだ。
 いわゆるこのような「やんちゃ坊主」が熱中するようなクラスを創るにはどのような原理原則に従えば良いのだろうか。
 ただ、漫然と指導をしていたのでは、取り返しのつかないような、いじめや不登校、毎時間授業が成立しないような騒乱状態へと発展しかねない。 しかし、上手に「やんちゃ坊主」を指導していけば、その子の可能性を引き出せるのみならず、クラス全体が落ち着き、創造力や活力のあるしっとりとしたクラスを創りだせるのではないだろうか。
 4月当初の指導、1学期の指導、そしてこれからの2学期の指導は、どのようにしていけば良いのだろか。
 どのような「やんちゃ坊主」をどう指導したらどう変化したかなど事例やエピソードを入れ、具体的にお示しいただいた。
 原理原則と言う形で端的に示していただいた。 以下は、私の拙い実践例である。

           ◆   ◆   ◆
 学期初め、私は、クラスのルールづくりに専念する。小さいことでも、全員の前で明確にする。 そして、ルールを施行する。ルール破りがあれば、集団を味方にして闘う。
 これは、向山洋一先生から教わった方法である。 そして、「やんちゃ坊主」が授業の中で、あるいはクラスの中で活躍できる場を保障する。
 しかし、こうしたシステムづくりなどの全体指導をしていても、時に「やんちゃ坊主」の反乱が起きる事もある。

( 一 )
 あれは、一学期初め、社会科の授業をしていた時のことである。私が、「今日は、校内を調べます。でも、授業中ですから、人に迷惑をかけないということを約束してください。」と指示すると、突然、A君が、「僕は、約束はしない!守れるわけない。」と大声で騒ぎ出した。
 私は、こんな暴挙は、絶対に許さないとばかりに、「やってもいないうちから、約束できないとは、何事か!」と叱責したのだった。
 すると、A君は、突然、教室を飛び出し、家の方へー目散に逃げ出したのだった。その後は、私とA君との捕物が展開したことは、言うまでもない。
 私は、必死で追いかけ続け、ついに、A君を空き家のブロック塀まで追いつめた。
 そして、私は、彼に優しい声で「先生は、叱らないから、もう逃げなくたって良いんだよ。」と、苦しまざれに発したのだった。すると、彼は、急に逃げるのをやめ、私の車に素直に乗ってきたのである。
 しかし、どうして彼は、急に素直になったのだろうか。
 伊藤重平氏は、その著書「ゆるす愛の奇跡」(黎明書房)の中で、次のように述べている。


  ゆるせば、自分もゆるされ、与えれば、自分も与えられることを、愛には愛のお返しがあるという。愛する者は、愛のお返しを受けるつもりがなくても受けざるを得ないのである。


 なるほど、私が苦しまぎれに発した言葉の中には、偶然にも、彼の心を開かせる、極めて重要な極意が内包されていたのである。これを、


 極意1 「裁かずに、ゆるす愛」の極意 

ということにしよう。
 とかく、教師は、子どもが問題行動を起こした場合、「何度言えばわかるのだ!きみは、こんなに悪いことをしたのだ!」と一方的に裁いて、相手の否を追求してしまいがちである。
 こんな風に、徹底的に追いつめてしまったら、子どもは絶対に心を開くことはないのである。

( 二 )
 さて、学校に帰ってきたA君を私は、まず車から降ろし、「ずいぶんと、逃げ方がうまいね。足が速くて驚ろいたな。今までも、逃げ出したことがあるのかい。」と、私は彼の足の速さをほめた。 私が、心からA君をゆるし、いとおしいと思う気持ちが、自然に発した言葉であったが、この言葉で、彼は、急に私に心を開き、今まであったことを話し始めた。
 「友達に馬鹿にされたり、先生に叱られて、逃げ出したことが、何回もあった…。」
 そういうA君の横顔を見ていると、私は、いよいよかわいそうになり、「今年は、楽しいことをいっぱいやろうな。でも、もう逃げ出しちゃあいけないよ。あぶないからな。」と肩を抱いて話したのだった。
 それにしても、私が発した彼の行動を責めずに、足の速さをほめた言葉で、どうして彼が心を開いてくれたのだろうか。
 伊藤氏は、前掲書の中で、やはり、次のように述べている。

  
 昔から、子どもは叱るよりほめて育てよ、と言うが、これには深い意味がある。子どもの自発性や自主性が育つからほめることが大切なのではない。
 子どもをゆるす、というゆるしの愛を与える意味があるからである。


 つまり「ほめる」ということは、ゆるしの愛を与えることになっていたのである。
 そして、A君が話すことを、私は、ひたすら共感しながら聞きつづけた。「そうか、友達に馬鹿にされたのか。つらかっただろうね。へー、先生に間違えられて叱られたこともあったのか。くやしかったろうね。なるほど。なるほど……」
 聞いてやると、彼の表情は、見る見るうちに元気になっていった。
 長年、少年院法務教官を務めてきた相部和男氏は、「教師も親も傾聴面接を心がけてほしい」と子どもの話に耳を傾けることの重要性を、その著書「わが子を救う緊急カウンセリング・普通の親なのに、なぜ問題児に泣かされる」(PHP研究所)の中で主張されている。
 向山先生は、「カウンセリングは、ひたすら聞くだけでいいのですか。」という若い先生の質問に対し、「当たり前です。聞けばいいのです。聞くだけで、問題のほとんどが解決するのです。」と言われている。ここにも、

 


極意2 「傾聴」の極意 


という「やんちゃ坊主」の心を開かせる上で、重要な極意が厳然と存在している。
 傾聴していると、人間関係をつくる上でも、指導する上でもこれもまた、重要な、「事の原因がどこにあるのか」ということが、分析でき、対応の方法を検討する資料・情報が、数多く集まるのである。
 向山先生は、「やんちゃ坊主がいつもひざの上に乗っかっているような教師でなくてはならない。」と言われる。
 「やんちゃ坊主」が熱中するようなクラスを創るためには、まず、心を開かせることが先決である。その方法として私は「裁かず許すこと」と「傾聴すること」を実行している。 
 ルールづくり等のシステムを確立させることと併せて活用すれば、効果的である。  


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詳しくは、向山洋一教育実践原理原則シリーズ(明治図書)向山洋一監修 岡田健治・小林幸雄編集 向山洋一教育実践原理原則研究会著をご高覧ください。