向山洋一教育実践原理原則研究論文/全 学年 /学級経営/
          

  「逆恨み」の責任は、教師にある。

  岡山県津山市立北小学校    岡田健治


    一、「逆恨み」の責任

 「逆恨み」とは、自分の方に失敗や落ち度があるのに、かえって他人を恨むことである。
子どもが「逆恨み」をする場合、子どもに落ち度があるのに、指導した教師を恨むケースが考えられる。 さて、この場合の責任は教師にあるのだろうか。それとも子どもにあるのだろうか。
私は、「逆恨み」の責任のすべては教師にあると考える。 
子どもが「逆恨み」をするような指導しかできない教師にこそ、そのすべての責任があるのだと思うのである。
もし、教師自らの責任を棚上げし、「逆恨み」の責任を子どもの側にあるとすれば、事は何一つ解決しないのである。
「子どもが悪い、地域が悪い、現代社会が悪い」といくら嘆いても、「逆恨み」は無くならないのである。 
そこで、本稿では、私がかつてどのような「逆恨み」を買い、私のどこに落ち度があったのかを振り返りながら分析していきたい。   

   二、集団から「逆恨み」  

私はある片田舎の小学校に赴任した。児童数百名程の小規模校であった。六年生十六人の担任となったのだが、ここでは、本当に申し訳ないことしかしていない。 
まず、(変だな)と感じたのは、個別指導に机間巡視をした時、女の子が「気持ち悪い」と言いながら、私から離れようとするのである。
教育実習で行った小学校では全くこんな事はなかった。「気持ち悪い」どころか「先生、大好き」と言われ、私の下宿は連日子ども達が来て遊んでいったのだった。
私は、女の子のこの行動が全く理解できなかった。
次に、(変だな)と思ったのは、校庭の草取りをしていた時だった。子ども達が、抜いた草を私に投げ付けてくるのである。
それからは、私を叩いたりする子も出て来た。
四月末の家庭訪問では、児童の祖母に「一年先生に六年を教えられるんかいな。校長先生は、何を考えとるんやろか。」と面と向かって言われたのである。
やがて、クラス全員が反抗的な態度を取り始め、誰ひとり私の指導に従う者はいなくなった。私が、何か指示をすれば、何だかんだと理屈をつけて反発された。
私は、心底「ふざけた連中だ。」と思った。
ある時には、「校長先生、ここの子はどうかしています。私は善かれと思ってやっているのに、反抗ばかりしてくるんです。」と校長室に談判に行ったこともあった。
校長は、「私には特別変わっているとは思えないが。」と答えられたのだった。
私は子どものためを思って指導をしているのに、すればするほど子ども達に「逆恨み」をされるのである。
 夏を過ぎた頃から、朝、車から降りるのも億劫になった。学校に行く道を運転していると、反抗する子ども達の顔が浮かんで来て、神経性の腹痛が私を襲った。
悲惨な体験であったが、この時のことをいま分析してみると、教師として必ず身につけておくべき「基礎基本」が見えてくるのである。
この悲惨な状況から抜け出せたのは、教育技術法則化運動代表の向山洋一先生の著書と巡り会うことができたからである。
「授業の腕を上げる法則」(明治図書)を読み、私は大きなショックをうけ、深く反省したのだった。
教師である私が悪かったのだと気づいたのである。
まず、第一の原因は私の心がまえにあった。
「教師の仕事とは何なのか」ということを私は全く心得違いしていたのである。
私は、「教師は子どもに物を教える仕事くらい」にしか考えていなかったのである。だから、私は子どもを強制的に服従させようとしたし、長い長い説明もしたし、くどくど叱ったりもした。
前掲書を読み、私は初めて、教師の仕事は、子どもの可能性を引き出すことであるということを知ったのだった。
それまでの指導は、「学校ごっこ」と言っても過言ではあるまい。
第二の原因は、私の極端な不勉強である。身につけるべき教育の技術方法を全く持っていなかった。向山先生が挙げる「原則」が何一つできていなかったのである。
「趣意説明の原則」に反して、ぶっきらぼうに指示していた。「オイ、〜しろ。」と言ったふうにである。
それからは、「前にならえ」の指示をする時も「真っすぐなります。前にならえ。」と指示した。
「逆恨み」を買う主たる原因は、「趣意説明の原則」を怠っていることであると私は考えている。
今まで多くの逆恨みされている教師を見て来たが、私を含めて皆ぶっきらぼうで、言葉足らずなのである。
例えば、下校時間を過ぎて残って遊んでいる子に対しては、「オイ。帰れ。」と言うような指示をしているのだ。
子ども達は、強圧的で命令口調でぶっきらぼうなこの指示を聞いて反発心を抱くのである。(うるせーな。この前、A子らが遊んでたら言わないのになー。嫌なやつ。)と言った具合である。 「楽しそうだね。でも、遅くなると危険です。すぐに帰りなさい。」と趣意を説明して指示
しなくてはならないのである。
「趣意説明の原則」の他にも私は全く原則と外れたことばかりやっていた。
 「一時一事の原則」に反して、一度にたくさんの指示をしていた。このため、指導がぐちゃぐちゃしていた。その結果、子どもができないと、子どもの能力が低いのだと考えた。 「簡明の原則」に反して、長い長い発問や意味不明な指示を繰り返していた。効果的な発問・指示の仕方さえ知らなかったのである。
 「指導評価の原則」に反して、何事もやりっ放しにして全く評価していなかった。 また、教科内容を指導する技術も何一つ身につけていなかった。 
ある時、子ども達が私に、「先生、平泳ぎ教えられるの?」と聞いてきた時があった。
私は、小学校時代にクロールでやっと二十五メートル泳げて以来、水泳はやっていなかったので、「いいや。」と答えたのだった。
しかし、今考えてみるとこの時は、「ああ、大丈夫だ。先生は、平泳ぎ指導のプロなのだ。」と答えておかなくてはならなかったのである。
答えた後で、研究すればよかったのである。 この時から、私はプールサイドでただの「監視人」となってしまった。
 学校は、「できない子」ができるようになる所である。そのために、教師は、最後まで子どもを励まし続けなくてはならないのである。 そして、教師は、「できない子」ができるようになるための「教育技術」を数多く持っておかなくてはならないのである。
 向山先生の前掲書からこのような重要なことを学んだ。
今では、私なりの「平泳ぎ指導法」も発表せていただき、追試していただいたりもしていているが、これはあの時の試練から生まれたものなのである。私は、様々な欠点を一つ一つ克服していった。すると、教室は徐々に落ち着いた雰囲気になっていった。
 教師自身が、正しい教育観を持ち、子どもの可能性を引き出す具体的な教育の技術・方法を持てば、集団での「逆恨み」は少しずつ改善されるわけである。
 また、先の個別指導をした際に女子児童が拒否した理由を今、考えてみると、「教師が来て個別指導をされるということは、『勉強が分からない子ども』というレッテルを貼られたことだ」と思っていたのであろう。草を投げ付けたり、叩いたりしてみたのは、子ども達が私の統率力を試していたのであろうと思う。
 当たり前であるが、教師は全身全霊を上げて子どもを統率し、正しい方向に引っ張っていく強さがなくてはならないのだ。
 強く、しかも暖かく子どもを導かなくてはならないのである。

    三、子どもを疑うなかれ

 法則化運動に参加し、向山先生の実践から多くを学ぶうちに少しずつ学級経営は軌道に乗り始めた。
優れた実践を追試すれば、子ども達は授業に集中した。
私の教育実践は、大筋ではうまく行くようになっていた。ところがである。新卒五年目の初夏のある時、またしても試練が訪れた。また事件が起こったのだ。
当時、私は六年生の担任であった。私のクラスのB君は、多少問題行動はあったものの、概ね生活態度も落ち着いていた。そんなB君が給食の先生の車トに大量のボンドをたらしたという報が入ったのである。
私は、すぐにその場に駆けつけ「君がやったのか。
給食の先生に何か反感を抱いてやったのか。」と尋ねた。B君は、「俺がやった。給食の先生に恨みはない。捨ててある車だと思った。」と答えた。「今度からは、もうしないように。」と注意し、その場は終わった。
 私は、この件を保護者に連絡すべきであると判断し、次のように電話で伝えた。
「今日B君が、給食に先生のバイクにボンドを大量に垂らしたが、給食の先生に対する恨みでやったのではないそうです。捨ててある車と勘違いしたようです。」
 これを聞いた保護者は翌日、烈火のごとく怒って、本人を連れて学校へ抗議にやって来た。
 「うちの子が、先生に疑われたと言っている。教師に恨みを抱いていたずらをしたのかと疑うこと自体とんでもない。」
と言うのである。
 当時、若かった私は頭に血が上り、怒りを抑えるのがやっとだった。
 同席した生活指導担当の年配の先生が、「岡田が失礼な指導を致しました。」と謝ってその場は納まった。
しかし、私は、当分の間「私は悪くないのに、勝手に謝るとは理不尽な話だ」と不服だった。
今では、子どもを疑う尋ね方をしたことを深く反省している。
やはり、私の心の中に、B君はいささか素行が悪いという先入観があったことは間違いないのである。教師は、子どもに先入観を持ったり、子どもを疑ったりは絶対にしてはならないのだ。   

  四、体罰も厳禁である

 先のボンド事件の時もそうだが、教師が、「逆恨み」を買うこととなるのは、正しい叱り方をしていない場合が多いと私は思う。
 私は、とんだ「逆恨み」を子どもにさせてしまい、あとあと後悔したことがまだある。
今から十数年前、あの時も私は六年生を担任していた。
朝の会で日程の変更を、子ども達に告げた時にその事件は起こった。
私は、「今日は、毛筆習字の予定でしたが、教頭先生がおられないので算数にします。」と告げた。
すると、それを聞いたC君は、大きな声で「重たい道具を持って来て損した。損した。ふざけんじゃねー。」
と習字道具を机に叩きつけながら叫んだのである。
私は、こんな物言いは許さないとばかりに、「C君、前に出て来なさい。」と指示した。
すると、「誰がでるか。」とC君は呟いた。
私は、カッとなってしまいC君の腕を引っ張ったのである。
 動くまいとするC君は叫びながら机にしがみつき、椅子や机がなぎ倒され、その場はとんでもない雰囲気となった。
 私は、自分の怒った声に興奮して、怒りが止まらなくなった。
私は、C君を前に引っ張り出し、大声で説教をしたのだった。 それから数日して、C君の研究ノートに「岡田先生は、教師より警察になったほうが良かった。教師をやめるべきだ。」と書いてあったのである。 私は、全身から血が引いて行くのがわかった。
またしても「逆恨み」をさせてしまったのである。
このような指導をしてしまったことが、残念でしかたなかった。
今、あの時のような事態に遭遇したとしたら、私は次のように指導したであろう。
 カッとなっているC君が落ち着いてから「君の気持ちは分かる。重かったんだね。でも、C君ともあろう者が、ああいう態度はどうかな。道具は、次の習字の時間まで置いておくことも考えられるよね。予定は変更することもあることが、学べただけでも、良かったじゃあないか。物事はプラスに考えような。」と諭したであろう。
子どもと同じ立場に立ち、カッとなった自分が恥ずかしい限りである。
 相手の非を責めつけるのではなく、まず「重たかったんだね。雨だし、君の家は遠いもんね。」と共感したい。
 その後で、「ああいう態度はどうかな。」と行動の間違いを本人に気づかせるように諭さなくてはならない。
また、相手の人格を尊重し、「C君ともあろう者が」とか「優秀なC君なら判断できるよな」というさりげない言葉でその旨を伝えるようにしたい。
嫌がる子を無理矢理ひっぱるなど言語道断である。
当時、私は、「叩かなければ体罰ではない」というような甘い認識をしていた。
しかし、嫌がる子どもを力任せに引っ張るなど以っての外である。
この「逆恨み事件」から当分の間、C君とはしっくりいかなかったが、徐々にC君が笑顔で話したりもするようになった。
しかし、卒業後、一度も私の前にC君は姿を現していない。
 今この事件を分析して、もう一つ思うことがある。
それは、「教師は自らの精神状態を如何にして最良に保つか」という自己管理の問題である。
 当時、私は、「遅寝遅起き」を励行していた。少しでも遅くまで起き、少しでも長く寝ることを生活信条としていた。
 先の「習字道具逆恨み事件」が、朝一番に起きている点が見逃せない。つまり、数十分前まで寝ていて、しかも、睡眠不足の私の頭で、事態を冷静に処理することは不可能だったのである。
 今では、「早寝早起き」を励行している。 万一、朝一番の事件でも「まあまあ。そう怒らんといて。なあみんな。」などとユーモアを含ませて対応できるように思うのである。
 最新の医学研究によると、「遅寝遅起き」の励行は、天体の運行と生命体のホルモン分泌の関連から、精神や肉体の健全な維持に非常に悪いそうである。
時に若い先生で「遅寝遅起き」を励行している方がいるが、一日も早く改善されることを切に望む。


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詳しくは、向山洋一教育実践原理原則シリーズ(明治図書)向山洋一監修 岡田健治・小林幸雄編集 向山洋一教育実践原理原則研究会著をご高覧ください。