津山の鉄道もう一つの宝

-SL時代の遺跡-


このホームページで津山駅の扇形車庫と転車台を航空写真入りで紹介したのは4年前、2002年のの9月です。
その年の12月になってから、扇形車庫の中にDE50 1号機が収められ、新たな津山の宝となりました。

梅小路蒸気機関車館の扇形車庫に次ぐ全国第2位の規模を持った、そして現役の扇形車庫は全国随一のものです。そしてその中に眠るDE50は「国内最大最強のエンジンを持った」たった1台のディーゼル機関車です。

その後、私の願ったようにDE50の見学会が催されたり、扇形車庫を調査して図面を作成展示していただいたりして、扇形車庫とDE50は幸せな余生を歩んでいるように思います。

転車台と扇形車庫は、きかんしゃトーマスの例を引くまでもなく、向きを変えなければ使えなかった(走ることは出来たが)SLの時代の必需品でしたが、電車や機関車が両方に運転台を持ち、ま四角なヨーカンのような形になってしまうとともに必要性が失われてしまいました。それだけに、SL時代の郷愁をさそう物件でもあります。

さて、津山にはもう一つ転車台があります。

場所は美作河井駅、因美線がトンネルを抜けて鳥取県へ抜ける手前の駅です。
駅の近くにはこれまた風情のある鉄橋が川をまたいでいます。
ずっと以前から車窓から見てこの転車台の存在は知っていました。山あいの駅の小さな転車台にはまた、格別の愛着を感じていたのですが、20年ぶりに訪れてみたところ、すごいことになっていました。


なんと転車台の中央を木が貫通して天に伸びています。 真っ先に思い浮かんだのは「天空の城ラピュタ」の情景です。 きっと、「滅びの呪文」を唱えると、この転車台はバラバラになって、中央の木だけが輝きながら天に昇っていくのでしょうね。
もはや存在することを確信して探さなければ、見つけることも困難な秘境となってしまっています。


私が訪れたのは5月に天狗岩に登った帰りでした。新緑に覆われて、その小さな転車台は苔むしてまた別格の風情をかもしていました。転車台自身にとっては不本意かもしれませんが。

ここに転車台が存在する理由は、SL時代に難関だったこの先の物見峠を重連で登ってきた機関車の向きを変えてやるためだったのでしょうか。(追記:ラッセル車の向きを替えてやるためだったそうです。)

今では銀色のバスのようなキハ120系(300番台)が走る因美線ですが、私が小学生だった頃はディーゼル機関車が茶色の客車を引っぱっていたような記憶があります。ドアに丸いノブが付いていて、走行中でもガチャッとドアが開けられる、今となっては信じがたい客車です。しかも10両編成ぐらいの長大な編成や貨物列車もあったように記憶しています。
それが、今Wikipediaでなにげに調べたら、「智頭以南では1997年に急行「砂丘」が廃止された後、落石防止のため路面電車にも及ばない25km/hの速度制限が数多くかけられている。雨天時に至っては15km/hという制限となってしまい、間違いなく遅延する。」とか、「全線を通して運転される列車はない。」とか、なかなかの酷評です。いえいえ、これは考えようによっては褒め言葉かもしれません。全国でも最も遅くまでタブレットによる閉塞と腕木式の信号を維持してきた、ローカル色あふれるわれらが誇れる因美線です。


岡山と鳥取を結ぶ陰陽連絡線の主役は智頭急行に取って代わられてしまった感がありますが、因美線はまだまだ健在です。
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