美作土の天狗寺陶白人

 

美作は「みまさか」と読むのが正しいよみ方です。

 

美作地方の大部分は1500万年前頃の

砂岩、泥岩、礫岩などの地層でおおわれている。

 

淡水の堆積物が埋め立てられて出来た地層、

海水の影響を受けたやや塩分のある砂がたまって出来た地層、

海水が進入して泥と砂が固まって出来た地層等から出来ている。

 

1500万年前頃にマングローブが生い繁る熱帯性の海岸に両性生活していた、

パレオパドキシアと呼ばれる哺乳類が、美作の地で1982年に発見されている。

 

「美作の国」の建国は和銅六年(713)四月乙未(三日)・現在の暦ですと713年の5月5日頃だそうです。

美作の国名の由来については諸説ありますが、備前の北の意味で備朔(びさく)が当時の美しい字に変える条例により

美作になった説が有力なようですが、美真坂(みまさか)説も捨てがたいものがあります。

 

土で作られたものに

縄文土器、弥生式土器、土師器、須恵器、陶棺、埴輪、瓦、鎌倉時代の勝間田焼などがある。

 

天狗寺陶白人は美作加茂の地で美作地方の土でやきものを創る研究を始めて四十年近くです。

 

作り難い、焼き難い美作土なのになぜ、美作土でやきものを創るのか・・・、

本来、土に良い悪いなど、あろうはずも無い。美作土は天狗寺陶白人そのものである。

 

鎌倉期に途絶えた勝間田焼は美作地方土で焼き物を作る伝統の焼物である。

勝間田焼にみえるように上代無釉すえもの期は概して窖窯で青黒い還元焼成である。

 

窖窯は古窯の一形式であるが、早くから朝鮮ふうがつたえられたようで、

後代の伊部、常滑あたりに残るものは多少施釉製に進み酸化焼成になって明るくなっている。

江戸時代初期から唐津系の登り窯が発達して窖窯式は次第に衰微していった。

 

窖窯は斜面の地を掘りその天井だけを構築したものでおおむね単室である。

遺構としては天井部の残らない遺構が多く、

神や祖霊にささげ、穴を告げる「窖」窯の字源となっているように思われる。

 

この窖窯の復元焼成研究に取り組み三十有余年、独自の窯を築窯、

 

研究成果を、現代社会生活近未来の為の作品、としている。

 

 

 

夜明け前命けずりて窯を焼き

 

天狗寺陶白人(平成22年12月一部加筆しました。)